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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

私が最初に国外で小耳症の教育デモンストレーション手術を行ったのは
1995年10月イタリア・ベローナの国立ベローナ病院だった。
そこの形成外科のトップは乳房再建が専門のジーノ・リゴッチ教授。
小耳症専門はピエール・ルイジ・ジべり医師。
横浜で4月国際形成外科学会があったがそこで私が開催した国際小耳症サテライトプログラムにジべり医師が参加していた。
彼が私に「是非とも公演と手術をイタリアに来てやってくれないだろうか。」と言って来た。
カンツォーネ大好きの私は即[OK]した。
そんな乗りで医師2名・看護士2名・通訳1名のチームで珍道中となった。
ベローナの町へ着いた途端
・あまりにも美しい町並み・まるでオトギノ世界。
ロミオとジュリエットが恋に落ちたのも当然のロマン溢れる町
その素晴らしい歴史の香りに酔いしれた。
今はオペラの舞台ともなっている円形劇場[アリーナ]。
ローマ帝国時代の橋を渡ると閑静な豪家が続く。
その先に国立ベローナ病院があった。
英語ではHospitalだがOsupitaleと書いてある。
イタリア人はHの発音ができないらしい。
デモ手術の後・公演。
その後ミラノ大学のリカルド・マゾーラ教授が声を掛けてきた。
「来年のヨーロッパ形成外科学会・オーストリアで公演してくれ。」
それ以降もこのパターンで延々と招待公演依頼が続くようになった。
帰国時ミラノ空港で買ったイタリア語の新聞に
日本人の顔写真入り記事が2個・目に飛び込んできた。
1個目は私。
もう1個目はあのオウム真理教の松本チズオ氏。
なんという巡り合わせ・・・・。
1995年横浜で国際形成外科学会が行われた。
会長は当時の東大の波利井清紀教授。
学会の中で私は国際小耳症サテライトシンポジュウムを開催した。
このシンポジウムは出席者も多く熱気に包まれた会となった。
この会が引き金となり
1996年第2回国際小耳症学会がドイツ・リューベックで
1998年第3回国際小耳症学会がカナダ・レイクルイーズで
そして間を置いて2007年第4回がイギリス・スコットランドで
開催予定となっている。
ドイツ・カナダとも私はレクチャーやデモンストレーション手術で大忙しだった。
その2つの学会で私はJahrsdoerfer[ジャスドーファー]教授「バージニア大学・アメリカ」と大きな出会いをした。
小耳症の患者さんに穴をあけて補聴器無しで
聞こえる手術の開発者がジャスドーファーその人だった。
耳鼻科医の世界ではスーパースターだ。
彼によると当時診察した2000人の小耳症患者中で
手術適応患者が1000人
手術した1000人中補聴器無しで聞こえるようになったのは980人以上だった。
すなわち98パーセント以上と驚異的成功率をほこっていた。
私のレクチャーの後、私に質問や話のある医師達が、ずらりとフロアーで並んで順番待ちとなっていた。
その中になんとジャスドーファー教授も並んでいたのだ。
順番がきた彼は「あなたの作った耳の患者に・自分に穴をあけさせてくれ」。
と頼んできたではないか。
こちらこそ国際チームを築きたかったのにだ。
私の1回目の耳再建術を受けた患者さんは
希望されればアメリカのジャスドーファ教授に紹介して
聞こえの手術を受けて来る。
その後2回目の耳立て術をおこなっている。
受けた人全てが補聴器無しで会話出来るようになって来るのには
私も嬉しい驚きを感じている。
これも苦労してシンポジウムを開いた事がキッカケなのだ。
あの時苦労して良かった。