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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

 DSC02614.jpg


 カナダのレイクルイーズで1998年第三回国際小耳症形成外科学会が開催されました。


これはその際のシンポジスト3人の写真です。


左は、「バート・ブレント」・・・・・・・・・・・・アメリカ・カリフォルニア州


中央は、「フランソワーズ・フィアミン」・・・・・・・・フランス・パリ


右は、「永田 悟」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本


 


 この、ブログで何回か前述した、ブレントやフィアミンの写真です。


 


1980年代には小耳症に対し


4回の手術で耳を作る「ブレント法 」の論文が


アメリカ形成外科学会誌に掲載され


欧米で主流 となっていました。  34


ブレントの所へ、何度も通い   フィアミンはブレント法を ヨーロッパに 広めましたが、


1993年及び1994年、2回の手術で完全な耳を作れる「永田法」の論文が


アメリカ形成外科学会誌に総計6論文、掲載され、


それ以降、フィアミンは、永田のもとへ、何度も通い


永田法をヨーロッパに広めることになりました。34


2000年に、「永田法」はアメリカ発刊の形成外科テキスト本となりました。21


2006年アメリカのテキスト本は、新刊を発刊することになり、


ハーバード大学形成外科・エリクソン教授からの依頼をうけて


「新たな永田法」をも含む原稿を、先週、アメリカへと発送したばかりです。4


ますます世界の小耳症手術の進歩を願って。237



 


 


 




私が形成外科と出合ったのは、9年前の新人の頃

当時は500床以上ある3次救急の病院に勤務し、

外科の混合病棟に配属された。

そこで、形成外科の看護に携わらせていただいたのだが、

衝撃的であり、興味をもてた

事故で運ばれ、指が切断されている。その接着術であったり、全身熱傷であったり・・・

失われたものが、新たにできあがる、新たに機能する・・・

その事に感動し、

そしてなにより、患者様が退院した後に

「看護婦さん、こんなにキレイになったよ!」

と笑顔で会いに来てくれる事が嬉しかった

その後は、異動やらで形成外科とは縁がなかったが・・・


ちょうど1年前位でしょうか・・・

縁があって永田先生と出会いました

みなさんが初診の時に聞かれる先生の篤~~いお話

そう、受診された方は誰でも知っている

あのスライドでの「小耳症の手術」の説明を聞きました

私の中で、心の奥底に眠っていたワクワクするような・・・

何ともいえない感情が新たに湧き出てきたのを覚えています

そして、手術に携わらせて頂き、

更に「感動!!」

まさに芸術である先生の手術

そして、手術後に笑顔になる皆様のお顔を見れるのが、

私は幸せです

今日はちょと、カルメンらしくない
まじめ~~なお話をしてしまった・・・・
ゴメンチャイ・・・

その昔・・・


園長先生が研修医の頃・・・


どこぞの医局の忘年会・・・


とある中華料理のお店で


かなり酔っぱらった園長先生は


な、なんと・・・


お料理を回す、中華テーブルに上に


しっかり正座・・・


ゆっくり、


ゆっくりと、


中華テーブルが回転を始める。


誰かが・・・


回しているのだが、


園長先生・・・


ケラケラ と笑いながら・・・


笑いなが・・・


ながら・・・


なが・・


テーブルは高速回転中!


園長先生・・・


突然、気分が・・・・・


・・・・・・・・


・・・・・


園長先生・・・


~~~~~をスプリンクラーしながら、


テーブルから転げ落ちた。


 


それ以降、


その中華料理のお店から


「出入り禁止!!!」


という名誉あるレッテルを


はって頂いております。


 


飲み過ぎには注意しましょう!


園長先生からの緊急提言でした。


 


 


 


 

30年程前、あらかじめ耳形となっているシリコン製の耳[アメリカで作られ輸入した製品」


を皮下に移植して耳を作った時代があった。


日本国内の一部の病院で行っていた。


これを「シリコン耳」と呼んでいた。1313


 


4年に一度の国際形成外科学会が1987年インド・ニューデリーで行われた。


小耳症手術・「永田法」を初めて一般演題で国際的に発表し注目を集めた学会となった。28


その学会においてはアメリカからダートマス大学の


「リューカート教授」が小耳症のレクチャーを行った。


タンザー教授の弟子であるリューカート教授は17


肋軟骨移植による「タンザー法」を、とうとうと公演した。


その際、「シリコン耳は一部でも露出すれば


化膿して結局シリコンを取ってしまわなければならなくなる。


長く持っても、5年から10年でほとんどだめになってしまう。405」と述べた。


イギリス・その他からも同様の発表が行われた。


その後シリコン耳は、アメリカで製造中止・販売中止となった。237


世界がシリコン耳から撤退して10年のタイムラグの後、ようやく日本でも撤退となった。435


このタイムラグが長すぎたために、犠牲を増したのが問題であろう。359358


 


 


当時、小耳症手術に関する論文は形成外科領域のなかで最も多く、


世界で認められた医学ジャーナルに記載されたものだけで400以上にも及んでいた。


なぜなら、当時は、完全な耳を、まだ誰も作れなかったからだ。


シリコン耳もそうした人類が、ある時期挑戦した方法の一つなのだが、


結果的に撤退となった方法の一つなのだ。26740435


 


小耳症手術には、別の方法として「組織拡張法]と言う方法が報告された。


「ティシュー・エキスパンダー法」とも呼ぶ。55


第1第2鰓弓症候群のような顔面半側萎縮を伴う症例においては、


髪の毛が通常よりも下がってはえているので、単に従来法を行うと


耳から髪の毛が生えてしまう。


それを防ぐためには、髪の毛の生えていない皮膚の表面積を増す目的で、


「あらかじめ皮膚の下に、シリコンバッグの風船を入れておき、311


後から生理的食塩水を序序にシリコンバッグに注入してふくらませ


約2ヶ月かけて膨張させる事により皮膚の表面積を増した後、


「すなわち、超でかい「たんこぶ」を耳のあるべき場所に作った後、」405


シリコンバッグを抜き取り、そこに肋軟骨で作った耳型を入れれば


髪の毛がはえない耳ができる。」と言う論文報告がなされた。14


 


その後、この組織拡張法が通常の小耳症にも20年程前、世界的に用いられた。


しかし、この方法では、


「バッグを膨らます途中でしばしば患者に「痛み41」と「皮膚壊死40」が起こる。37


又、壊死をおこさなくても、拡張したはずの皮膚が


、[妊婦のお腹が出産後元に戻るように]


もとの面積に戻ろうとして収縮するために、その収縮力が持続して作用し


5年10年と時間の経過とともに耳の凹凸の輪郭が結局消失していく。26359


ひいては、移植肋軟骨が溶けて変形する。404」との報告が38


イギリスからもその他の国からも相次ぎ、


かつては、組織拡張法の論文報告をしたはずのアメリカの


リューカート教授自身も、この方法から撤退したのだった。4031435


私が1995年学会で再会した際、リューカート教授から直接、聞いた話だ。


 


その理由は


組織拡張によって顕微鏡で見ると、皮下に毛細管血管網が増えてるように見えるのだが、


これは、皮膚が異常に引き伸ばされ瀕死の状態となったため、


皮膚が生き残ろうと、もがいた結果としての生態防御反応に過ぎず


元々あった毛細管が拡張したためであって


血管が増えたのでも無ければ、血行が増したのでも無い。267


「耳の中に移植された肋軟骨が溶ける」と言う事実の原因は、


そもそも無理に拡張された皮膚が


元の表面積にもどろうとして働く「持続する張力」と


瀕死回避のため太くなった毛細管は細胞への栄養・酸素の補給といった働きの


機能低下を引き起こし、結果的に血行不良となってしまうからだ。


 


そして、世界はとっくの昔に組織拡張法から撤退したのだ。40435


2006年10月のアメリカ形成外科学会において、


もはや、それに関する発表は皆無だった。21


しかし日本では、まだタイムラグが・・・・・・・・・


 


 


 


 


 


 

私は他人の不幸が好きで他人の不幸をバネにして生活してます
物心ついた時から好き嫌いがはっきりしており気持ちが顔にでてしまったりすることが時々あります
こんな事を口のするとみなさん引いてしまうでしょうが・・・・
つい最近ヒットした韓国ドラマなど見るのが好きでこんなに不幸な人がいるんだ私より不幸な人がいると思い自分を元気
づけたりします
そして意地悪なシーンがあると心地良かったりします
そして自分の好きな人のしあわせは心の底から喜べるのですが嫌いな人のしあわせには目を向けずピンチの時はバチがあたったざまあみろと心の中で思ったりします
私は変ですか

この時期、忘年会シーズン・・・
お酒の好きな方にはいい時期なのかしら

私は、正直お酒は飲めない・・・

いつも気持ちよ~~~く酔っ払っている方を見ると、ちょっぴり羨ましかったりする。

たちの悪い酔っ払いは困るけど・・・・

ワインを片手に「おいしい」と飲んでいる友人を見ていると、美しいとさえ思う。映画のように絵になる
クリニックのスタッフでも、「アル中かっ」って思うほど、お酒大好きな方がいるが、羨ましいかぎりである(笑)

私は飲むと、真っ赤にゆでタコのようになり、目が腫れあがり、眠くなってしまう・・・
それが嫌で飲めないわけではない
味が「おいし~~い」と感じないの・・・

私はもっぱら「お茶派」である
中でも立てた抹茶、日本茶、ジャスミン茶は大好き

まだ実家にいた頃(6、7年前)は夜勤の前の目覚ましに母が抹茶を立ててくれたものだ・・・

以前、フレーバーティという言葉を知らなかった時
友人が「フレーバーティおいしい」と言っていたので、早速紅茶屋さんに行き、探すが・・・ない
店員さんに「フレーバーティありますか?」
と聞くと、店員さんは不思議そうに「えっ、そこに・・・」
ん!?
私は「フレーバーティ」という名前の紅茶と思っていた
「香のついた紅茶を総称したもの」とは知らず、
「フレーバーティ」の並んだ棚の前で聞いたものだから、店員さんもビックリだったのね・・・

それにしても恥ずかしい・・・
かっこよく、いかにも紅茶知ってます!かのように聞いたつもり・・・だったのに・・・(ははっ
ちなみにフレーバーティの中では、キャラメルが好き


皆さん、この時期、飲みすぎには注意して楽しんで下さいね
未成年はダメですよ~~~
お茶飲みましょ~~~

小耳症に対する耳再建術は


1959年自家肋軟骨を移植して耳を作る6回の手術を要する「タンザー法」や


1980年代の4回の手術を要する「ブレント法」が行われた。


しかし、この両者とも


耳のまわりの耳輪とその内側の対輪そして不完全な耳珠しか再建できない方法だった。358


また、左右対称に、耳を立てる事も不可能だったのだ。358


ブレント法に至っては、再建して立っていない耳に合わせて、


正常な耳までをも、倒してしまうと言う「居直り手術」だった。359


一方で、理想の耳はどうあるべきか?


と言う論文が1978年に「ハーレ・トーレス」と言うアメリカ人医師により報告されていた。267


2000人もの正常な人の耳を写真に写し、耳の細部までパーセントで表現した論文だ。


だが、当時は、


「全ての細部まで正常に持ち合わせた耳を作る事は不可能だ。11」と言われていた。


これら、すべてを解決したのが、たった2回の手術で完成する永田法なのだ。411


 


ハーレ・トーレスの論文によると、顔を横から見て写した写真上で


耳を切り取り、切り取った耳を横にして、ほっぺたに置いてみると


目じりと耳との間に、ちょうど入る。


言い換えると、目と耳との間に、耳の長さを一辺とした正方形が出来る。


と言う事が図示されている。21


 


この点と同じ図示をもっと大昔の中世に行っていた人物がいたのだ。


それは、イタリアのあの有名な芸術家・科学者・解剖学者である


「レオナルド・ダ・ビンチ」なのだ。363


 


当院では1パーセント誤差範囲以内の科学に基づいた耳を作っている。363363


 

ミラノ・フマニタス病院手術室で小耳症手術も終わりかけの頃


453コメ・プリーマー・266・ピューディ・プリーマー・266ターメローーー・266


ペルラビータァー・266ラミアビータァー・266ティーダローー・266


センブラン・ソーニョ266ディーベデルチ・266ア・カレ・タールティー341341342341


と、イタリア人看護婦さんといっしょに「コメプリマ」を歌った。


「発音、イタリア人より、りっぱ」と非常に驚かれた。237


それもそのはず


私は中学時代よりカンッオーネばかり聞いて歌って育った変な236日本人なのだから、


と言うより感覚的にはイタリア人。


ソフィアローレンとマストロヤンニの映画は何回も見たし、55


前述したように、パバロッチのCD・DVDはほとんど集めている。5152


スパゲッティー・マカロニ・ピザ・ゼラートも、大好きなのだ。372274273


だから日本にいるよりイタリアの方が落ちつくのだ。


そもそもローマ帝国以来、古い歴史を持つイタリア。


世界最初の耳再建術を行ったのは


1597年イタリア人医師「タグリアコッチ」だった。363


彼は、耳の上半分や下半分の欠損に対して耳の後ろに生きたままの皮膚弁を


作り、再建したのだった。418


ミラノ大学教授・リカルド・マゾーラに、見せてもらった、自宅に保管されている


中世ヨーロッパ時代に出版された革張り表紙の医学書に載っている。295


近代医学になってから小耳症の耳再建術は、


世界的にはタンザー法、ブレント法、永田法と推移してきたのだ。

世界3大テノール歌手と言えば266


イタリアのルチアーノ・パバロッチと、


スペインのホセ・カレーラスおよびプラシド・ドミンゴである。


私が最も好きなテノール歌手は、もちろんパバロッチだ。238


太っているのが気になるが、声の良さ、419


特に高音まで無理なく出る声の響きは、他のついづいを許さない。


天性の素質を持ち「イタリアの熱い心」を歌えるパバロッチ。


私は中学時代からカンッオーネの熱烈なファンで、


当時のテノールと言えば「ステファーノ」だった。


ステファーノの歌うレコードで


「オーソレミオ」や「帰れソレントへ」を聞き、イタリア原語で歌えるようになっていた。


その後、同じ歌のパバロッチのレコードを手に入れるや、もう虜となってしまった。314


3大テノールのコンサートは1990年のローマ・1994年のロサンゼルス


そして1998年パリで行われている。


それぞれをDVDで比較すると、3人とも、


次第に外観上は年をとったのがわかるのだが、


歌声は年をとってから益々若がえり、


つややかになってきた事に驚かされるのだ。405


いつまでも歌い続けてほしいと願っているところだが、


パバロッチは、最近さすがに70歳を超えて膝を痛めてコンサートが開けなかった


との情報で寂しい想いをしていた390・・・・・・・・・・・・が、


昨年、イタリアで開催された冬のオリンピック開会式では、


な・なんと、黒いマントに身を包むパバロッチが登場したではないか。41416


そしてジャコモ・プッチーニが最後の力をふりしぼって作曲した


あの有名な歌劇[トゥランドット]の[誰も寝てはならぬ]を大熱唱したではないか。342


しかも自ら立って。458


歌い終わって両手を高く上げ、目をつぶって余韻を残しているパバロッチに対し、


会場から割れんばかりの拍手が・・・・・424


思わず私も大感激してテレビのパバロッチの姿が涙で、かすんでしまった。408402


そして、くしくも、そのオリンピックで唯一、日本の金メダルだったのは、


パバロッチが歌ったトゥーランドットの[誰も寝てはならぬ」の曲を


バックミュージックにして『41イナバウアー41』を演じた


フィギュア・スケートの荒川シズカ選手のみだった。


なにか運命か宿命的な物を感じた。363


 


そして今日、小耳症患者さんの包帯交換を行っていた時、


私が看護婦さんに、消毒薬「イソジン」と言ったら、


ベットの遠く反対側にいた看護婦さんから、サッと、ピンセットで渡された。


あんなに遠いはずなのに、何故すぐ渡せたのだろうと思い、とっさに振り返り


ふと見ると、その看護婦さんは「41イナバウアー41」ポーズを取り、


ピンセットで持ったイソジンを渡していたのだ。363


今後、この看護婦さんには「イナバウアー」と名づける事に決定した。21


 


 

永田小耳症形成外科クリニックでは、


現在、1回目手術時に、小耳症側と同側の前胸部より、4本の肋軟骨を採取しています。


最も長い肋軟骨は、17センチあります。


肋軟骨の周囲は、肋軟骨膜で覆われています。


この肋軟骨膜を切開し、肋軟骨膜を、全周にわたり、はがしてから


中の白い肋軟骨本体のみを、取り出します。


開いた肋軟骨膜を、元のように戻して縫合すると、


肋軟骨をとった後の空洞には自らの体液で満たされます。


これは最高の生体内培養環境ですから。21


その中に肋軟骨を削り組み合わせ耳の形を作って余った分を捨てずに


細かく・みじん切りにして入れ戻してあげると、


見事に白い肋軟骨が再生されます。424


ですから、当院で小耳症手術を受けた患者さんは、胸が凹まなくてすみます。21


これは世界初の事で、当院の論文が、


2006年5月号アメリカ形成外科学会誌に「パート1」、が記載されました。41


また、再生された肋軟骨の顕微鏡レベルでの所見が


2007年1月号に「パート2」として記載されます。41


胸の凹みを起こさないですむ、ということは、健康にとって非常に重要なのです。


肺が、凹んで酸素供給量の減少を、引き起こさなくても、すむようになりました。308


そして現在の傷は3センチから4センチくらいと短くてすむようになっています。22


 


 


 

    


        サルトール・ガリ 361                サルバトール・ダリ


      「 ナンコツの変貌 」 41              「 ナルシスの変貌 」             


          1995年                     1937年


      ナガタ・ギャラリー               テイト・ギャラリー


         トダシティー41                    ロンドン



     DSC02593.jpg              DSC02592.jpg

   肋軟骨で彫刻された「耳418と支えの       「指で持つ割れた卵から生える植物」


半月用肋軟骨」が[女性 ・アヒル・蛇・月」へ    が「水面に写る自分の姿に恋焦がれ


 と変貌する複雑なダブルイメージ   352          る]人物 へと変貌するダブルイメージ     


 


ヨーロッパ形成外科学会公演のため1995年に描かれた


サルトール・ガリの絵は小耳症の「耳たぶ]を2枚に割き、


皮膚の表面積を有効利用しようとする工夫が描きこまれている。


又耳の存在すべき場所が池として描かれ、わずかな波を描くことで静かな風を感じさせ


その池からはえている木は、耳をしっかりと支えている。


その耳の構造となる「肋軟骨の変貌」を、みごとに描いている。458361


また右側の耳の前には・浅側頭動静脈・が耳再建の血行の重要性を表現し、21


左の耳には燃える情熱の「メス」が、描かれているではないか。41


 


1937年に描かれた、サルバドール・ダリの絵は、


澄み切った空気の中で、


鏡のように平らな水面を表現することで、


無風、なおかつ静寂につつまれた場面を、舞台にした


[転身物語]をナルシスの変貌として


みごとに描いている。


又、良く見ると指には蟻が、這っているではないか。253356


 


ダリおよびガリの2名には、広大な空の下で繰り広げられるダブルイメージの転身


という共通の思考創造がなされており、見る者に、不思議で超現実的な現象を


与えている。8





 画面をクリックすると拡大画像がお楽しみいただけます。416417416




 


チュニジア共和国って、皆さんご存知ですか?


2002年、FIFAサッカーW杯に、


チュニジアチームが参加し日本と対戦、


日本が勝ったと言う事くらいしか知らない国。


当時の私もそうだった。


それまで、私が知っているチュニジア人と言えば唯一


フランス・パリの凱旋門近くにあるフランソワーズ・フィアミン女医が働く


ビゼット病院にいたチュニジアからの留学生医師が、私に、


「『永田法の小耳症手術』を学びに日本へ行きたい。238」と言ったら、


ただちにフィアミン女医が、


『私ですら永田法を習得途上なのに、おまえごときには早すぎる。237』と、


烈火のごとく怒って359、その、チュニジア人は、かわいそうに


手術室から追い出されてしまった356事を覚えているくらいだ。


フランソワーズ・フィアミンによれば、かつてチュニジアはフランス領であり、506


当時のフランスからの移民の子孫達はフランス語をしゃべり、


彼らの中で医者となった人がフランスへ留学して来るのだそうだ。


 


チュニジア政府からの招待で、


私は2002年10月チュニジア共和国へと飛んだ。19


イタリアの南、わずか100キロにチュニジア共和国がある。


アフリカ大陸の最北部の国の1つ.


人口1000万・


イスラム教スンニ派の穏健派が殆ど・


アラブ人98パーセント、


公用語は、アラビア語で、その他フランス語・


首都はチュニスで、


紀元前9世紀より都市国家カルタゴとして栄えた41


146年ローマ帝国征服、56


7世紀アラブ侵入、56


1500年代後半オスマン帝国の属州となり、56


1881年フランス保護領となり56


、1956年フランスより独立し


1957年より共和制となる。352


なんとも複雑な歴史を持つ国ナノダ。


 


さてチュニジア形成外科学会が開催された。


私の『小耳症;招待公演』の時には、女性厚生大臣が出てきて21


長い長い話をして私が紹介され、ようやく公演出来たのだった。


公演後・迷路みたいな町中の一角にある豪華な店で、


これまたアラブ特有の晩餐会と相成ったのでした。272


クゥエートの時のような。トルコ共和国の時のような。


その後、医師同士で私の奪い合いとなってちょっと困ったのだった。399

スペインとオランダは、日本が鎖国をしていた江戸時代から、


長崎の出島を通じて交易のあったヨーロッパの国なのだ。506


長崎で生まれ育った私には、なじみ深い国だ。


なぜか?と言うと、長崎特産の「カステーラ274」はオランダから、


「キリスト教」はスペイン人のフランシスコ・ザビエルから、もたらされた。


テンプラ376も「天ぷら]と言う言葉も、これらの国からもたらされている。


西洋医学は特にオランダの医師、「シーボルト」が長崎に「鳴滝塾]を建て、


そこで杉田玄白などの日本の医者がオランダ医学書を写し取り、


あの、日本人には有名な「解体新書」を完成させた。


シーボルトに教えられたおかげで、西洋医学は移入されたのだった。295


江戸時代の日本は当時、


医学も科学もヨーロッパより遥かに遅れている、原始人みたいな国だったのだ。 14


 


1999年 オランダ・ロッテルダム大学・形成外科の招待を受けて、


私は「小耳症手術」公演および教育デモンストレーション手術をおこなった。   


翌年、オランダ・アムステルダム大学の「モシュ・コーン 教授」の


招きで、同様の公演・手術を おこなった。 その際、


私は、西洋医学の手ほどきを受けたオランダに対する298


恩返しのつもりで教育をおこなったのだ。


その際、オランダ人医師達は「オランダと日本とは昔から交流が深かったのだ。」


と、口々に、熱く語ってくれた。


それもそのはず、アムステルダムのライデン大学には


日本から帰国したシーボルト医師が持ち帰った


日本地図・写真・植物・着物・風俗・習慣に到るまでの


膨大な資料が展示されているとの事だった。  


 


それから、ほどなくして2,3年後・衝撃的ニュースが世界の新聞をにぎわした。 


他人の死体から顔全体を移植し成功したとのニュースだった。405237


その手術を行ったのは「アムステル大学形成外科のモシュ・コーン教授」と書いてあった。


堂々と禿げていた彼の姿を思い出した。 


オランダで、注文した味噌汁に、入っていた豆腐はチーズだったと言う記憶とともに。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         


 

20世紀絵画史上、最も偉大な天才は?362と言えば


スペインの巨大巨匠サルバドール・ダリ[1904-1989]だ。


私は小学校時代に「燃えるキリン41」を目にしてから一瞬にして虜になった。


空気の澄んだ赤茶色の大地が遠く地平線まで描かれている。


その上に広大に広がる青い空は宇宙まで感じさせる。352


そして大地に聳え立つ細長くデフォルメされた人間517


その形は奇異なのに美しい、顔には目鼻口もない。


あまりに細すぎて後ろへ反った上半身は、


背中、骨盤、大腿から突き出した棒をさらにY字型の・つっかい棒で支えている。376


大腿部前面からは7段、胸部からは1段の引き出しが半分、引き出されている状態だ。140


その人物の向かって右側の奥には、もう1体細く直立した同様の人体が聳えている。


さらにもっと遠く左側にタテガミが41炎と化して燃えているキリンが立っている。


炎の上にはさらに煙が立ち上り、燃えている事の、リアリティーを増幅しているのだ。


このように絶対、現実にはありえない事が


卓越した描写力により、


偏執狂と言われる程、253超細部に到るまで立体的に描かれている。295


とくに光の陰影のなかでも影に関して、21


光学的には科学に基づいて描かれているために、


不思議な現実と見える程、リアルな風景となっているのだ。281


それは現実を超えるほど


芸術的な美しい不思議な世界なので


超現実主義[シュール・リアリズム]と呼ばれている。


これは人間の中でも特に高度な芸術家・


サルバドール・ダリだからこそ創造し得た世界なのだ。363


 


ある意味においては小耳症手術もシュール・リアリズムなのだ。


生存していない耳を別の組織を用いて創造する。


その時、卓越した描写力により、


偏執狂と言われる程、253超細部に到るまで立体的に肋軟骨を彫刻し、組み合わせ、


特に組織学的には科学に基づいて


複雑な3次元肋軟骨フレームの凹凸に死腔を作らず


ぴたりと皮膚の表面積を合わせ、色調をも違わないように考慮し、


しかも血行が充分量、確保された組織で、全てを多い尽くした時に初めて、


再建された耳418は、「もとは無かったのだ]と言う現実を超えて


不思議にも美しい耳が初めからあったように思える程となる。352


これを私は超現実耳『シュール・リアリズム・[Ear」・イヤー』と命名する。418352


このような耳は人間である形成外科医の中でも特に高度な芸術家


偏執狂・「サルトール・ガリ」だからこそ創造した耳なのだ。361


 


えへーーーーー・・・・・・・。8


 


 

私は、オペラ大好き人間だ。343


特に「カルメン」は、最高なのだ。41


ジョルジュ・ビゼー「1838-1875」は、なんと天才なのだろうか・・・・


作曲家とよばれる人は多数存在するもののビゼーはずば抜けている。


特にカルメンほど耳に残るメロディーが他にあるだろうか?362


カルメンのハバネラ、266


エスカミーリョの闘牛士の歌343


ミカエラの母のことを伝える、あの旋律341


どれをとっても素晴らし過ぎる。352


更に重唱曲がなんとしびれる事か。


ドラマの刺激、曲の刺激、


これを最大限に表現するには、美声と美貌を兼ね備えた天才を


そして天才フラメンコダンサーを516


世界中から集め、


天才芸術家が壮大な舞台を作り、


また天才監督と・天才演技指導者を必要とし・天才指揮者・天才楽団が268


心ひとつになってはじめて完成する「


人類が行う最高の総合芸術だと思う。


ビゼーに乾杯237

2000年1月メキシコのフェルナンド・モリーナ医師からの招待状が届いた。5


議長はニューヨーク大学のジョセフ・マッカーシー教授と


メキシコ・マヌエル・ゲア・ゴンザレス病院のフェルナンド・オルティス・モナステリオ教授


そしてフェルナンド・モリーナ自身との事。


「先天性顎顔面変形・マイクロサージャリー・歯科矯正・顔面神経麻痺


及び、小耳症」のシンポジウムを開催したいので


是非『小耳症の再建と再々建術」を公演してくれ。』との手紙だった。


10月メキシコへ飛んだ。19


メキシコでの小耳症発生率は、特に高いのだそうだ。237


メキシコシティーは高地で盆地なので車の排気ガスがたまりやすい。


もともと北米にいたインディオとスペイン人との混血した国で


スペイン語が公用語となっている。


形成外科医はスペイン白色系が多く、


インディオ系は下働きの仕事をしている人が多い。


夜ともなると、あちこちで


殺人事件・交通事故・引ったくりが多くなるので11


一人での外出は控えるようにとの事だった。


学会後モナステリオ教授が私を自らの車を運転し


町の案内をしてくれた。


モナステリオ教授は顎顔面外科の世界的大家である。


当時70歳を超えていたが、テニスが強く若手医師の誰にも負けないとの事。


自宅へ向かうためハイウエイにはいると突然超スピードアップ。105355356


前の車という車を右に左に抜き去った。405


そして大豪邸へと到着。458


召使達が食事を運んでいた。


海外招待医師を招いての大晩餐会となった。275271272


前にも述べたが70歳過ぎても世界の大家は誰もとっても元気だった。21

夜10時、園長先生が突然医局へやってきて


「これ、差し入れです。」と


べヤングソース焼きそば372。長崎ちゃんぽん373。かき揚げそば373。特大コカコーラ。


を持ってきてくれた。


園長先生が帰ってから『永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間達』の


ブログを書きながらふと見ると、「べヤングソース焼きそば372」が目416に入った。


 


その姿は私の角膜・水晶体・を突き抜けて網膜へ、像を結び、


視神経から一気に視神経交差を通過するや


多数の脳神経細胞シナプスを通り抜け後頭部・大脳視覚野へ達した。


そこで画像を停滞させストップさせようとしたが、222


かってに別の神経回路を流れた情報が


大脳前頭部・思考領野へと達してしまった。20


思考回路はそれを、


「懐かしい学生時代の美味しかった経験』として


側頭葉・記憶回路から探し出し


総合判定の結果「すぐ、食べるべき」と決断。419


やいなや、大脳運動領野から脊椎コードを伝わった


伝令は、私の手足を動かして、お湯を沸かさせ41


べヤングソース焼きそばを食べられる状態とした。


さらに右手に持った箸が、やきそばを口の中まではこんでしまうのだ。


と、唇から吸引力が作用し、陰圧の口腔内へと吸い込まれる。


軽い歯の咀嚼運動とともに舌下腺・顎下腺から唾液が分泌。


「そば」とミックスされて砕かれて出て来た化学物質は舌の味覚細胞を刺激。


味覚神経から大脳味覚領野に到達し、さらに別の回路シナプスを介して


再び前頭葉で『昔なつかし学生時代のおいしかった味』と


同じ味だと確認するに至った。416417416


その後咽頭部の嚥下作用によりべヤングソース焼きそばは、


食道蠕動運動に、なすすべも無く、胃の中へと導かれていくのだった。8


「あー、疲れた。236」   37


「こ、こんな事って、41悪の源41は何処だったのだーーーー359


「私の思考回路だ。405


「ごめん435

今日は土曜日、29


外来が朝から絶え間なく続き


お昼休みもとれず、


外来終了が夕方6時15分245


低血糖状態をなんとか改善するため、


そこらにあった食べ物をかけこむ、374


夕方6時30分から、ようやく病室患者さんの包帯交換を開始29


本日は、やたら抜糸が多く時間がかかり


終了したのは、8時半でした。247


それでブログ書きが遅くなってしまったのです。404


 


本日も、ほかの施設で何回も手術を受けたが


不幸な結果の耳となってしまった患者さんが38


作り直しを希望されて来院されました。


つい先日も述べたように


いまだに従来法で手術され犠牲者ともいえる患者さんが40


続々と増え続けています。


そして当院に作り直し希望の患者さんが


年々増加しています。405


この国は、どーなっているのでしょーか?236


私は、そのような


時代遅れの手術を


今だにやっている形成外科医の良識を疑っています。26


「少しくらい洋書295を読んで世界の最先端が、どうなってるか勉強しろ。359


と、その形成外科医に言いたい。419


またまた、今日もおじさんは怒っている。35941412

みなさん、ご存知!?の通り、私はフラメンコを習っています
始めてまだ7ヶ月位ですが、と~~~ってもはまってしまい
踊るのが、楽しい 楽しい
いつしか、スペイン語も習いたいなぁ~~~と思ってインターネットで「スペイン語教室」を探しているのだが・・・

たっ高い・・・
受講料って、こんなに・・・するのぉ~~
私の場合、決まった曜日には行けないし、時間もマチマチ・・・
プライベートレッスンとなると、更に高い・・・
どうすんべ・・・?

本日、書店で発見

20061216180519.jpg


えへっ・・・
独学の道・・・
これ、CD付き

おそらく、誰もが思っている・・・
「カルメンは、長続きしない・・・」と
何故なら・・・ダイエットも続かなかった・・・

それ、おそらく正解・・・かも・・・
購入しても、ムダになるかも・・・
わからないことだらけなのでは・・・?

でも、でも、興味のある事は今しないと・・・
行動しないより、やってしまった方がいいかっ

このような葛藤がしばらく続いたが、
続くかわからない「スペイン語会話」の本を購入したカルメンでした・・・

Hasta luego (では、また)

園長先生久しぶりの登場です。


よく、患者様や、クリニックの皆様から


園長先生ってだれですか?」


って言ってるのを耳にします。


つまり謎の人物な訳ですね・・・


ブログ上の架空の人物だったりして。


 


ところで、最近サルトル先生のブログ更新頻度が凄いのです。


人間・・・だれしも段階的に上達するもので、


最初は人差し指1本だったのが、


セカンド・ステージでは、使う指の本数は同じですが、


中指、薬指、小指(?)、親指(?)・・・


と増え、器用に使い分けていらっしゃる。


な、なんと、最近は両手を使い、キーボードがうてるように・・・


だから・・・


更新頻度がUPするわけです。


 


しかし、サルトル先生、没頭される性格で、


「ご飯も食べずに、パチパチ!!!と」


・・・と奥様がお怒りモード突入へ。


しまいに、とばっちりが・・・


「片棒を担いでいるのは園長先生!!!な・の・よ」


と、おかんむり!!!


今、サルトル先生と奥様は冷戦モード。


そんな状況を打開しようと


恋のキューピット434でもある園長先生は、


「早く仲良くして下さいね!」


って奥様に言ったら、


「余計なお世話よ!」・・・42


 


園長先生は1人思う・・・


「喧嘩するほど仲がいい」・・・と


 


 


 

現在『永田小耳症形成外科クリニック』のベット数は15ベットです。


今日は小耳症の患者さんは、13名入院されております。


大人1名を除き、他は、10歳から14歳までの方です。


お互い、とても仲がよいのですが、仲良すぎて大騒ぎ。8


何度注意しても、すぐ汗をかくほど走り回る。355356


頭からの汗が耳まで流れてくると


汗の中のバイキンが縫った糸からしみ込み37


化膿しやすくなり傷に悪いので


「騒ぐな。 」「汗かくな。」と私は言うのだ。


今日、私は、ついに『お前達は、何度同じことを言ってもわからないのだから、猿だー。14


と、爆弾を落とした所です。19


術後の痛みがあまりにも少ないのも1つの原因だからです。21


 


我がクリニックでの麻酔医は東京慈恵医大、医学部麻酔科の上園昌一主任教授です。237


上園教授は鹿児島県生まれで、


鹿児島ラサール高校を卒業後、


東京大学医学部に入学され東大卒業後すぐ


帝京大学i病院麻酔科の森田教授のもとへ入局されました。


森田教授の紹介によりアメリカへ留学し、


名門・ハーバード大学麻酔科で5年間の研鑽を積まれ、


「アメリカの小児麻酔237」を専門とされて帰国しました。


国内で当時このような研鑽を積んだ麻酔医はほとんどいませんでした。


帝京大学麻酔科講師時代に、


千葉徳洲会病院で、


私の行う小耳症手術の麻酔をかけていただいたのが最初の出会いでした。


顔面半側萎縮症を伴う小耳症の患者さんの中には、全身麻酔をかける際、


気管チューブを気管に入れる事が困難404な方が多いのですが、


千葉徳洲会病院での、そのような「挿管困難な小耳症に対する麻酔」に対して、


論文をまとめ、アメリカの麻酔ジャーナル学問誌に掲載されました。


 


そうこうするうちに上園先生が私に


『来月から麻酔かけに来られなくなります。』と、


『え・・・・どうして?362』と聞くと


『来月からカリフォルニアのスタンフォード大学麻酔科の助教授になるんです。』497


なんと、あの心臓移植で世界的に有名な


アメリカのスタンフォード大学の助教授なのだ。


本当に行ってしまったのでした。409


 


その後1999年私は国際形成外科学会の『小耳症シンポジスト』として


サンフランシスコへ行きました。そのとき


上園先生に連絡したところ「めちゃいそがしですー。56」との事だった。


 


月日は過ぎて、「上園先生が東京女子医大麻酔科・助教授として帰国した。363


との情報が飛び込んできた。


当時、私は秋葉病院に勤務して小耳症手術を行っていた。


私は早速電話213し「上園先生、また小耳症の麻酔かけてー。」435とお願いした。


即「行きます237。」との返事に『ホッ』とし78


100万力のエネルギー41が沸いてきたのを覚えている。


再び、こうしてu先生に麻酔をかけてもらえるなんて超ラッキー426


通常の麻酔医の麻酔と異なり


なにせ出血はほとんどしない21ので手術が非常にやり易いのだ。


通常の大学では挿管困難な症例でも問題なし。81


切った痛みを神経に、はじめから記憶させない方法も取り入れたら


患者さんは手術後の翌日から歩いてトイレに行ける。411


これには、イギリスから当院に見学に来た形成外科医も麻酔医も驚いていた。405 363


そして永田小耳症形成外科を開業しようとしている時、


49上園先生は東京慈恵医大麻酔科の主任教授となったのだ458


まだ40歳代前半の若さで。22


当院での麻酔医は、ほかに


上園先生をしたって東京女子医大から東京慈恵医大について来られた、


マドンナの肥田野先生。206


さらに60人のゴスペル合唱団を指揮する内海先生。208


と、いずれも優秀な麻酔の先生に麻酔をかけていただいています。


当院の患者さんはラッキーなのです。4122121842621


 


 

小耳症の中でも


髪の毛が、生まれつき、


本来は耳のあるべき場所まで、下がってはえている場合を


ヘアーラインが下にあるので155


Low Hair Line[ロー・ヘアーライン」の合併した小耳症といいます。267


このようなケースは、「手術不可能56」だと、言われてきました。239


その位置が下がれば、下がるほど、手術が困難となります。


 


従来法で単に、肋軟骨を用いて作った耳型を、418


皮下に移植されれば耳の表に髪の毛がはえてしまいます。427


そして耳の後ろに足の付け根から採取した皮膚を移植されますので、


色が異なります。さらに大人になってから陰毛がはえてきます。427427


すなわち耳の表には「髪の毛」・耳の裏には「陰毛」がはえているのです。11359355


驚くべき、恐るべき耳です。40541356


このような患者さんが『永田小耳症形成外科クリニック』に来られて


作り直し手術をしています。


 


また逆にロー・ヘアラインの合併する小耳症の場合


髪の毛が生えない耳をつくるために、髪の毛から逃げて


本来耳のあるべき場所より、前か下に


耳を作られてしまった患者さんもいます。399


すなわち間違った場所に耳をつくられているのですから、35


眼鏡をかけると、とんでもない状態になります。270


このような患者さんも、当クリニックに来られ


作り直し手術を受けています。


驚きでしょう。  怒るでしょう236。   359363359


で・でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現実なのです。412


そ・それが・・・いまだに・・・・・・・・・・・です。40


「あー・・・・・・・、もうー・・・・・・・・。」   370416417416370418


おじさんは怒っています。          4141941


                             311


 

最近私の周りでは、第2の結婚ブーム!?か・・・

第1のブームは24、25歳の頃だった気がする

しばらく結婚式も無かったのだが、

今月2件、来月1件の結婚式やパーティがある

結婚式は、もちろん友人の幸せそ~な姿をみて祝福

どんなドレスかワクワクし・・・

そして、旦那様はどんな方かしら・・・

と興味深々・・・ふふっ・・・

あとは、なんと言っても「料理」

めったに食べれない手の込んだ料理・・・

先日出席した披露宴の料理・・・

思わず、写真をパチリ・・・

これ、これ↓↓

20061214213939.jpg


フォアグラ

とってもおいしいっ・・・

結構な量があったが、

食いしん坊な私・・・

こんなおいしい物を残してたまるかっ

出された料理ぜ~~~んぶ食べ

大満足

やっぱり、私は

食べることがだ~~~い好き ・・・・・なんだ・・・なぁ・・

小耳症に対する耳の再建手術では


、肋軟骨を材料としている。267


139本の肋軟骨を採取して、


彫刻刀で削ったり、医学用ステンレスワイヤーで


141145箇所以上も組み合わせて、


ようやく耳型418ができるのだ。237


私は、海外のそれぞれの国を代表する大学の形成外科医達からの依頼を受けて


毎年のごとく、招待公演や教育用デモンストレーション手術を行ってきた。


国内での小耳症手術で再建した耳は、もはや136140145145耳を超えた。363


その経験から


「食生活」と「肋軟骨の質」との間には深い関係がある事が、分かってきた。6441


正常な136145歳の肋軟骨は、205206


すべて真っ白で均質な硬さをしていて曲げられるのだ。21


年をとっていくにつれて,中年208209には骨化して曲がらなくなる。


老人509510になるとついには周囲だけが白い骨で


中心は大部分が黄色くなってしまうのだ。350


もちろん真っ白で均質な肋軟骨は細工しやすい。411


骨化していても工夫すれば耳を作れる。410


中心が黄色くなっていても工夫しだいで耳は作れる。392


 


しかし肋軟骨の中心がスポンジみたいに


中がスカスカに抜け落ちたようになっている場合がある。33


専門的にこの状態を、「スポンジオーシス」と呼んでいる。


これは非常に困る。35812


まず削りにくい、さらに、組み合わせしようとしても崩れてしまうのだ。31


イタリア・ドイツ・イギリスの白色人種506513の患者に、スポンジオーシスが多かった。237


また、ドイツで生まれ育った日本人511も、そうだった。237


そこで日本人496のスポンジオーシスだった患者さんに


「どんな食生活372をしているか?361」と尋ねた所、


「お肉27152916ばっかり食べて、野菜22をほとんど食べない」と言う人が


圧倒的に多い事が判明した。267237


健康にも悪い食生活なのだ。37


家庭での毎日の食生活が


その後の人生の食生活を決定してしまうので405356355


幼少時から、73


野菜22、魚376、果物378、も、とり混ぜた、


正しい食事が大切だと言うことなのです。42621


正しい食生活を続けると健康で、


白い均等質の肋軟骨を持っているので


良い形の耳が作れるのですよ。418352266


驚きでしょう。363


 


 


 


 


 


 

「永田法」の小耳症手術の耳作りは2回で済む方法です。


1回目は肋軟骨を細工し,耳の形を作り,皮膚の下に移植する。


その結果耳の表ができる。418


すなわち,まだ頭に、くっついた状態である。


 


半年後、2回目の「耳立て」を行う。


 


従来法では耳と頭の間に足の付け根より、とってきた皮膚を移植するだけだった。


手術は137時間ですむが、


結果、「耳は絶対立たない、」405


言い換えると、ただ「頭と耳が分離しただけにすぎない」。39


 


移植した皮膚の色も異なり、11


大人になってから陰毛が耳の後ろからはえてくる。402


さらに5年後・10年後に耳の中に移植してあった肋軟骨が溶けて来て399


耳全体が、くずれてしまうのだ。405


これが従来法の最も困る点である。37


このような患者さんが最近特に増加している。11


これは耳の周りを切ったことで体液循環が減少したことによる結果なのだ。427155


さらに足の付け根には傷跡が残る。412


 


正常な耳は頭と平均30度の角度で立っている。267


この角度を実現するためには耳と頭の間に、


厚さ14ミリの半月型の肋軟骨を支えとして移植する。21


この半月型は一本の肋軟骨を削っただけでは、絶対量が足りないので


組み合わせることでようやくできるのだ。


厚みを変えると耳の立つ角度も変えられる。267


これで初めて本当に、耳が立つのだ。426


 


そして、この肋軟骨を生かすためだけでなく、


さらに耳への、減少した体液循環を増すために、


頭の皮膚の下にある「薄い血管の豊富な膜」を


生きたまま移動して来て、支えとして移植していた肋軟骨の上だけでなく


耳の後ろ全体まで含めてカバーする。


手術時間は143時間を要する。


 


これで移植肋軟骨が生きるようになる、というだけでなく


耳の後ろから毛細血管が入り込み、


耳全体への体液循環動態を増加出来るのだ。219


この点が最も重要で「一生、溶けない耳」が再建できる事となるのだ。410


正常な耳も後ろからしっかりと動脈が栄養しているのだ。


 


皮膚は頭から薄く採って移植する。


頭からの採った薄い皮膚には、毛根は含まれないので


耳の後から毛は、はえない。410


さらに色は耳と同じとなる。410 411


また頭の採皮膚の部分は、かすり傷なので、治って毛がはえるのだ。21


傷は髪の毛の中に隠れてしまう。411


足の付け根に傷を残さなくてすむのだ。424


左右対象に立った耳で、一生溶けない耳となる方法は


この『永田法』のみで、


アメリカの形成外科医のためのテキストとなってから、


すでに、5年もたっている。8241


世界が永田法に変わった今でも


日本には、いまだに従来法に固執している施設がある。412


そして作り直しが必要となっている。405 11


 


 


 

電信柱は町のいたる所どこでも建っている。


はりめぐらされた電線がまるで要塞のようだ。


我が「永田小耳症形成外科クリニック」の前にも「どーん」と建っている。


じゃまなのだ。338 37


景観がくずれるのだ。239


写真をとってみると良く分かる。


第一、地震で倒れたら建物を破壊するし人を殺す可能性もあり危険だ。40


狭い道路では交通にも支障をきたす。10570


ヨーロッパの主な都市では電信柱などない。267


なんとすっきり美しい事か。482


やはり歴史が違う。46


「美しい国、日本496」が新政権のテーマらしいが、


国民総生産『GDP』、世界第137位の日本ならばそれぐらいできるはずだ。


無駄な道路建設をやめて358


電線は地下に埋めてほしい。31


土地代はかからない。21


そのかわりに木255を植えれば


なんと「美しい国 」となるだろうか。  411


しかも夏、都市のヒートアイランド現象も緩和できるのだ。


皆さん、そう思いませんか?

1950年代私の子供時代、日本は貧しかった。35


原子爆弾を投下された長崎の爆心地近くで育った私は15242


破壊されつくした町全体の復興途上に生まれた31122


荷車で物を運ぶ人や馬車で行き交う姿も覚えている。230


それでも3歳の頃、両親に連れられ、


右は父208と、左は母209と、両手をつないで歩いている幸福な小さかった自分、205


これが最も古い記憶だ。


 


さて、私の父方は太平洋戦争時代、祖父の代に中国・満州に渡り生活していた。


当時の中国・北東部は日本が制圧し、27


日本軍部が、中国人の「溥儀」を皇帝として満州国家を設立し507


実権は、日本軍部が握っていた。496


父はそこで生まれ育ったのだった。


そして日本帝国の戦況が思わしくなくなった頃35


父は青春時代を迎えていた。29


 


軍曹だった父は数人の部下を連れて草原を移動していた。47


そのときロシア軍の戦闘機が旋回後、低空飛行を開始した。233


父の部隊めがけて機銃掃射を始めた。26


身の隠しどころのない草原で空からの攻撃に


ただ身を縮め、伏せることしか出来ない。


次第に近づいて来る機関銃の地面をはう銃声音41に身の凍る思いだった。1212


幸運にも・戦闘機が通りすぎた。


『軍曹、また戦闘機が旋回し、こちらに戻ってくる前に早く向こうの森281の中へ逃げましょう。』355


それで武器と食料をつんだリヤカーを皆で必死に引きはじめた。


すると地面の悪い草原でリヤカーの車軸が折れて立ち往生。40405112


父は即座に『銃刀の銃身を抜いて車軸と交換しろ。』と命じた。


『軍曹、そんなことをしたら軍法会議にかけられ重罪です。35839


銃刀は命同等、大切に扱うようにと軍の命令です。』


『馬鹿者42、この食料371374375なくしてお前達は、何日生き延びられると思っているのか、


銃刀の件は、この俺が責任を持つ218。早く車軸と交換しろ。』


そして、この部隊は生き延びることが出来たのだった。91


 


しかし、さらに戦況は悪化し・ついに父の部隊もロシアの捕虜となってしまう。270


ロシア東部・ベルホヤンスク、そこは世界的にも厳冬の地として有名だ。404


零下40度にまでなるこの場所に日本人捕虜収容所があった。73


日本人捕虜達は厳冬の中、毎日毎日、森林伐採作業をさせられた。255


「一人何本、木を切れ」とノルマを決められていた。


正直な日本人は早くノルマをすませて暖かい収容所へ帰ろうと一生懸命伐採した。


ロシア兵はそれくらい出来るのならと、段々とノルマを上げてきた。


日に日に栄養失調と重労働さらに厳冬で体力を消耗しつくした日本人達は


帰り道の途中で一人、また一人と倒れて行ったのだ。38


父の友人もついに力尽き、倒れた。その時


助けたくても自ら歩くだけで精いっぱいの父には、


振り返ることしか出来なかった。399 白い雪の上に倒れた友を残して。


収容所では食料配給の際は、穀物371を天秤で量り個人へ渡していた。


皆、一粒でも多くもらおうと天秤の傾きを、目を皿のようにして見ていた。


収容所の周囲を囲む柵から、手の届く範囲の草と言う草22は一本も残っていなかった。28


栄養補給のため捕虜達が草をむしり取り、


僅かの穀物と一緒にグツグツと煮て372食べてしまったのだ。419


鼠など523253発見しようものなら大喜びだったのだ。277


ある日、同部屋の一人が「脱走しよう、355このままでは、どうせ助からないから。」356


と、父に持ちかけた。


父は『逃げても、逃げられる町も無いし、すぐ捕まって銃殺されるか、


万が一にもここを逃げられても凍死するかしかない。40


だから、やめといたほううがいいぞ。427』と断った。388


しかし・その人は脱走したのだった。355


5分もしないうちにロシア兵に捕まり


見せしめのため、皆が見ている前で銃殺されたのだ。3932626


終戦となり137145145145名以上だった日本人捕虜達のうち


助かったのは137145145名余りだった。


私の父208もわずかに助かったうちの一人だったのだ。


だからここに私が生きている。42


 


 

先日、久しぶりに実家へ行ってきた

っていっても、一ヶ月ぶり位なのだが・・・

私には、姪っ子が3人いる

かわいくて、仕方ない・・・

相当、「おばバカ」である

4歳の長女が私に手紙を書いたと手渡してくれた

「みいみ    ひさしぶりだね
  (私は姪っ子たちから「みぃ~み」と呼ばれている。おばさんと呼ばせないように、小さい頃から言い聞かせたのだ・・・ははっ

と、大きな字で書かれ、その裏には・・・

20061212120032.jpg


私の顔だとさ・・・
(画像が悪くてごめんなさい・・・

以前よりもはるかに上手になっている

何よりも、みぃ~みはうれしい(これも、おばバカかっ)

最近、メールばかりで手紙というものが少なくなってきた

やはり、手書きのあたたかさがあって、心にじ~~~~んとくる

先日、友人の結婚式に出席したが、

席の名札?に一人ひとりに手書きでメッセージが書かれていた

相当、大変だったろうが、

非常に嬉しかった

これからは、年賀状の作成時期

全てパソコンでなく、 少しは、手書きも入れてみようかな・・・・・

「日本形成外科学会は何処へ」、で述べたように、


世界の医学の科学ジャーナルは、インデクス・メデイクスによりランキングされている。


学問の進歩は、これらの一流ジャーナルに掲載されて行く事の蓄積により、なされているのだ。


このシステムを形成構築したのはどういう人々だろうか?361


それはアメリカのユダヤ系の人達が大部分なのだ。405


アインシュタイン以来、「ユダヤ人が科学技術にたけている。」と言われるゆえんだ。


 


形成外科に限らず、その他の日本の学会誌は大部分が、


世界のジャーナル・ランキング上、最下位か圏外とされている。40


1970年代まではイギリスのジャーナルがトップにランキングされていたが、


現在、ほとんどがアメリカのジャーナルがトップを独占する状態となった。497


医学に限らず他の科学分野も同様となっているため、


どうしても世界中からアメリカにトップ論文が集まる「しかけ」となっているのだ。


だから、まずアメリカに先進科学が集積されるのだ。


科学を握った国は、全てを握る事となる。


例えば軍事武器は科学の最先端の集積そのものだ。19


 


勿論、人の生命に関わる医学も同様なのである。


医薬品の開発や医療技術の発展も、この科学論文の集積がもとになるために


アメリカは医療分野でも世界一の輸出大国となっている。61


 


またアメリカでは食品医薬管理局【FDA】が、


開発された医薬品などの調査研究結果を基にして


安全性が確認された物だけに使用販売を許可している。426


例えばアメリカの血友病学会誌に「加熱処理されていない血液製剤を使用すると


エイズが感染する原因となる。」との報告がなされると、


直ちにFDAは「今後は加熱製剤のみ使用を許可し、非加熱製剤は使用禁止」とした。358


 


この時代、エイズに対する日本での対応はどうだったのか?と言うと


まず当時の日本血友病学会のドンだった人物は、


アメリカ血友病学会誌をすでに読んでこの事実を知っていたにも関わらず


ミドリ十字と言う製薬会社が、すでに輸入していたエイズ感染の可能性のある


非加熱製剤を使い続けたのだ、お金のためだけに。37


そして2000人以上もの人々が犠牲となってしまった。


本来ならば日本血友病学会のドンは、


いち早く厚生労働省に非加熱製剤を使わないように進言する立場なのに。


また、当時の日本血友病学会のメンバーには各大学の教授も多くいたはずなのに


それで教授と言えるのか?361それで大学と言えるのか? チャンチャラおかしすぎる。395


厚生労働省および文部省は学会とか大学と言う資格基準を見直すべきだ。237


「非加熱製剤は危険だ。」というコンセンサスすらまとめることができなかったのか?236


そして誰一人、ドンに反対されても厚生労働省に進言しなかったのか?39


それが学会と言えるのか?なんという低レベルなのだろうか?35


もし知っていたにも関わらず


自らの保身のためにしか行動しなかったのなら、それも犯罪だ。26


また当時アメリカはミドリ十字に対して、「すでに輸出した血液製剤は危険なので。


在庫は引き取り、安全な製品に取り替えます。」と言う手紙が届いていたのに。


ミドリ十字も犯罪だ。26


そしてアメリカ血友病学会誌の情報を最も早くキャッチし日本国民のために


非加熱製剤販売を直ちに差し止める事をすべきだったのは、


厚生労働省のはずだ。217


それなのに低レベルの血友病学会を学会と認め、その意見を待っているぐらいでは


国民の生命は、守れるはずが無い。26


厚生労働省が自分で判断できないならばアメリカのFDAの決定に同時期にすぐ従ったほうが


よっぽど、ましだ。237イエロー・モンキーと言われても仕方が無い。14


また日本医師会学会も何も役立たなかったし、何もしなかったではないか。237


自分達の領分では無いとでもいうのだろうか?


同様な事件がクロイツフェルト・ヤコブ病『狂牛病』でもおこっている。


牛を原料に生産された脳硬膜は脳外科手術に用いられ


それらの患者に長い潜伏期間をおいて症状がでるのだ。。


日本が最も犠牲者が出るはずだ。と言われている。


アスベストによる肺がん問題もしかり。


30年以上前からわかっていたのに、


小学校時代から壁・天井に使用されたアスベスト浮遊物を国民は吸わされていたのだ。


後で何十年もしてから肺癌が発生する恐怖に脅える事になる。


FDAの決定時期と日本厚生労働省の決定時期との


あまりにも長いタイムラグ『10年・20年30年』が問題なのだ。


国民総生産[GDP]第2位の国なのに、医学は「あっ、と驚く」ほど遅れているのだ。


せっかく個人的に進んでいる場合があったとしても、


それをサポートする体制がなければ優秀な研究者は


日本を捨ててアメリカ人のために働く事になってしまうだろう。


あくまでも日本で独自に研究開発を続けるんだと言う根性のある人物が少なすぎる。


小耳症分野も大学間のタイムラグや厚生労働省の勉強不足などなど問題山積なのだ。


だから再再建術があまりにも多くなっているのだ。


患者さんがあまりにもかわいそうだ。


だから科学・学問の発展が正しくなされる事が重要なのだ。21


おじさんは、怒っているのだ。

医学は科学の中の一つだ。237


科学論文を書く時は、


過去に世界で認められた論文を


さらに超えたと言う事を証明しなければならない42


そのためには世界に認められた論文を参考文献にして


「誰がいつ、どういう手術法を行い、どういう結果となっていたけれど、


この部分に関しては不可能だったし、


いまだに、この点を可能にした論文は存在しない。


それで、この点がなぜ不可能だったのか考えたら


どこに対する配慮が不足していることが分かった。


なので手術法をこのように工夫して改良した結果、全て解決できた。」21


と言う流れとなる。


だから現在までにその点に関する人類が書いた論文の全てを読んで


深く理解してないと論文が書けない。


必ず必要論文を引用していなければならない。62


かと言って、そこらのかってに書かれた週刊誌などは引用する必要など無いのだ。


世界に認められた論文だけで良い。


ならば、世界に認められた論文とはどういう基準で決まっているのだろうか?236


 


インデクス・メディクスと言う本がある。


世界中の毎月、発行されている科学ジャーナルの


リストとその科学水準レベルをインパクトファクターとして点数化してあるのだ。


それによると形成外科の分野では


 


アメリカ形成外科学会誌が      1・5点でトップ136497


イギリス形成外科学会誌が      0・9点で2位137501


その他数個のジャーナルが続き・そのあとに


スカンジナビア形成外科学会誌が  0・2点399


日本形成外科学会誌は496?と言うと  0点 つまり圏外 ・記載無しなのだ。12237


国民総生産『GDP』世界第2位の日本496だが・・・・・・・・・・


 


すなわち、日本が発行している形成外科学会誌は


科学ジャーナルとして無視されているのだ。239


だから、論文を書くときに読まなくても良いのだ。


ということは、日本形成外科学会を毎年行っているものの


世界的には存在していない事と同じだ。56


それでは困る。


誰でも科学者として認められたければ


インパクトファクターの高いジャーナルへ投稿する事になる。


それを止める事は出来ない。


なぜなら 世界の人々の役に立つ事になるからだ。


 


スカンジナビアの学会誌と日本の学会誌とが合併したことで


なんとか日本でも学会をやってる。と言うことにはなる。16


スカンジナビアとはスウエーデン・フィンランド・ノルウエーの北欧3国なのだから


極東アジアにある日本が合併と言っても


いっしょに学会をやってもいないし、やれるはずもない。


不自然だ。236


10年ほど前は、スカンジナビアのジャーナルのインパクトファクターは、0・5点


しかし、今は0・2点に転落した。427


以前、0・2点だったジャーナルは現在、圏外に消えたものもある。


これから先スカンジナビア誌が同様に消えたら


厚生省は日本形成外科学会を学会として認めてくれるのだろうか?361