年明けの、2007年には、6月26日から30日まで
4年に一度開催される、第14回国際形成外科学会が、ドイツ・ベルリンで行われます。
世界の形成外科医から1000を超える一般演題数の応募があったそうです。
私は、あらかじめドイツ・サイエンティフィック会議より、
耳の部門のキーノートスピーカーとして決定したから、
よろしくとの依頼状が届いていたので、
「小耳症に対する耳の再建術」を公演しに行く予定です。
過去に世界を回った結果として知り合った医師たちの多くと
また、再開します。
お互いの進歩を遂げた最新部分を、
新たに患者さんに取り入れ治療する事が出来るチャンスなのです。
だから、世界の一流形成外科医との交流は欠かせないのです。
私と小耳症を通した交流が切っ掛けで知り合い、このブログですでに紹介した医師のうち、
他にすでに、キーノート・スピーカーとして選ばれた医師名をあげると、
リカルド・マゾーラ教授・・・・・・・・・・・・・・・・・イタリア、ミラノ大学・・・・・・・・・鼻の再建
フェルナンド・オルティス・モナステリオ教授・・・・・メキシコ・・・・・・・・・・・顎顔面外科
ロバート・ゴールドウィン教授・・・・・・アメリカハーバード大教授・・・・・・・困難な症例
ドナルド・M・ズッカー教授・・・・・・・・カナダ・トロント子供病院・・・・・・・・・顔面神経麻痺
ジーノ・リゴッチ教授・・・・・・・・・・・・・イタリア、国立ベローナ病院・・・・・・・乳房再建
ユーレイ・チェン教授・・・・・・・・・・・・・台湾、チャングン大学・・・・・・・・・・顎顔面変形
以上のように、それぞれが、その分野で
現在も世界的に活躍している事が分かります。
今年ヨーロッパ形成外科学会会長となった教え子の
フランソヮーズ・フィアミンもフランスから来る予定です。
以前、私が、小耳症を教育したドイツ・リューベック大学のシーゲルト医師は、
当時は助教授でしたが、現在は教授となっています。
皆と同じ場所でまた会える事が、楽しみです。
小耳症患者さんにとっては
、正常な形の耳と同時に、補聴器無しで聞こえると言う、形態と機能の両者が必要となる。
以前、このブログで述べたように、補聴器無しで聞こえるようにするためには
術前に60デシベルだった聴力が、15デシベルというレベルまでアップする必要がある。
この手術を、開発したのは、アメリカ・バージニア大学・ジャスドーファ教授であり、
彼が、手術すると98パーセントと言う、すばらしい成功を収めるのだ。
彼の弟子のケッサー助教授も出来ているのだ。
ところが、それに比べて、世界中の他の国では、手術しても結果は、
50デシベルくらいがせいぜいなので、補聴器がはずせないのだ。
それどころか、補聴器の入る穴をあけるのだ、
と居直った耳鼻科のほうが、ほとんどなのだ。
ジャスドーファ教授が手術すれば10年来、つけていた補聴器がはずせて
日常会話ができるのに、それを知らずか、骨髄炎という危険を回避するために
毎日死ぬまで厳重な消毒が怠れない、最低毎月医療機関へ通い続けなければならない
結果として合計すると高額な費用のかかってしまう骨から突き出した危険なBAHAを
最初から付けようとするのは、間違いなのだ。
それくらいなら、優秀な日本人若手耳鼻科医を
ジャスドーファ教授の下へ留学させて、聞こえの手術が
日本でも可能になるように計画すればよいのだ。
ただ、聞こえの機能手術を、絶対必要とする両側小耳症の患者数は、
日本においては毎年20名程度しかおらず、
せっかく学んできた医師がそれを専門として生きていくことは
このままでは不可能なのだ。
得票数の少ない人の団体のために話を聞いて行動する政治家はあまりにも少ないのだ。
どうしたらいいのかを、皆で考える必要がある。
さて、話を戻して
外耳道入口部[耳穴]の最上部点は耳の縦の長さの二分の一の所に存在する。
耳穴入り口の前方には耳穴を立体的に覆い隠すような「ひさし」として、
小さな三角形の後ろに突出する「耳珠」と呼ばれる構造が存在している。
耳穴の上には、これまた耳輪脚と呼ばれる「ひさし」が存在する。
これらの構造により、耳穴には、水や小さなごみが、入りにくいようになっているのだ。
長径約、8ミリメートルの楕円形の穴なのだ。
これを実現するにはどうしても、ミリ単位の正確な手術が必要となる。
作られた耳の場所がちょっとでも、ずれていれば穴を開けてもヘンな事になる。
中途半端な耳が作られていれば、穴をあけても成功率が落ちる事もある。
形態と機能の両者ともが、非常に、神経質で、繊細な技術を必要とする手術なのだ。
そのため、形態と機能との世界レベルでの細かく計画されつくした
国際協力がどうしても必要不可欠となる。
その、打ち合わせがなされていないと
バージニア大学耳鼻科のジャスドーファ教授とて、困るのだ。
だから、私の所で耳を作った患者さん以外は、断っているのだ。
科学的根拠があってのことなのだ。
やみくもに私以外のところで作られたからと言って、
それらの日本人の患者さんを断っているわけでは無いのだ。
患者さん側にもお願いしたいことがある。自分の子供に何をすべきか、
科学の頂点はひとつですから、それを深く理解したうえで
子供さんに、わかるように説明してください。
「子供の判断に任せる」というのは、親の責任逃れです。
厳しいようですが、
後で後悔しても取戻しがつかないようになった患者さんを見てきた
私からの、お願いです。
「海外の学会にいくのは、お金がかかるのでいやだ。」
と言う若い医者が過去に何人かいた。
目の前のお金がほしいだけなのだ。
そんな人達には、将来が無い。
何事も、自己投資無くしては、一人前になれるはずが無い。
とは言ったものの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の所では、世界トップの治療を行っている。
・・・・・・・・・が、
日本においての小耳症治療費は、アメリカやフランスと異なり、
医療する立場から見れば、異常に安く設定されており、
個人クリニックであるため、国の補助をもらえる大学のようには、
多くの医師を雇うわけにはいかない。
だから、まともな給料では、後継者も雇えない。
当直は、もはや、8ヶ月も自分でやり続けているくらいなのだ。
ここには、世界から、自費留学してくる医師も多くいるのだ。
そのような医師は、その費用を自己投資と、考えている。
それが後で、大きく跳ね返ってくる事を知っているから自己投資するのだ。
そういう事情を知らない、海外からの留学生からみれば、
ここで、給料までもらって学べる日本の医師が、逆にうらやましいと見えるようだ。
彼らは、国に帰って永田法で大もうけできるからだ。
私は、そろそろ、この小耳症手術を完全に引き継ぐ医者を
日本にも育てなければならない年齢となってきた。・・・・・
出来れば、この、永田法を超える術式をさらに開発進歩させてほしいと願っているのだ。
小耳症を制す形成外科医は、全てを制す。と言われるほど困難な手術。なのに
これを引き継げる後継者とは、次の条件を兼ね備えたような人だけなのです。
天才的芸術の才能と、
科学としての進歩を成し遂げられる頭脳と、
年間を通じて必ず毎週3回の8時間以上かかる手術に耐えうる忍耐力と、
その上さらに、大学病院で、すでに再建されたが、不幸な結果となった耳の
困難で抜本的な作り直し手術が、追い討ちをかけるように
10時間以上かかっても妥協することなくやり遂げるほど偏執狂となれて、
20年間もの間、夏休みも、冬休みも取らなくても我慢出来る覚悟と、
それだけ働いても、貧乏でも良い、と自分だけでなく、
理解のある家族を持つ、と以上の全てを兼ね備えた、
早死にしたいヘンな医師だけが、
この日本では永田法を引き継げるのです。
引き継ぐ医師がいなければ、日本人の患者さんは困る事になるはずです。
なんだか、日本のシステムは変で、間違っていると思いませんか?
厚生労働省よ。なんとかしてくれー。
一刻も早くー。
私が子供の頃いつも母に言われた事がある。
「どんなことがあろうが、決して泣くな。泣いても何も解決しない。
泣く暇があったら今度は、どうしたら、いいかを早く考えなさい。泣くのは時間の無駄だ。」
「何でもやり始めたら、徹底的にやりなさい。そうしないと、何も物にならない。
中途半端にやるくらいなら、初めからやるな。」
「人が、一度口に出した事は、二度と帰らない、
だから言う前に何回も考えた後に口にしなさい。」
「一度口に出した事は、守って実行しなさい、
そうしないと信用されなくなる。」
「正しいと思った事なら、死ぬまで貫き通しなさい。」
「自分が、やりたい仕事があって、人のためになる事なら
世界中どこにでも行きなさい。」
これらを、総合すると、
「人生は、七転び八起き」
「信用第一。」
[一芸にひいでれば、全てに通ず。」
日本の良い意味での誇り高き、武士道精神を伝えたかったのだ。
心にしみる言葉だ。
そんな母も、今は星空の人。
2003年8月、オーストラリア・シドニーで、国際形成外科学会が、行われた。
私は小耳症治療のパネリストとして、出席した。
学会前に、オーストラリアのサイエンティフィック会議側から、
私がパネリストとして、選ばれるまでに、どんな経緯があったのかを、
詳細にレポートとして、報告して来た。
こんなことは、初めてだった。
その手紙には、まず、あらかじめ、学会を自分側に有利に操作しようとするある国の、
政治的に特殊な大物人物が関与していたことが
実名をあげて具体的に書かれていた。
あらゆる政治的暗躍が事前にあった事が,時間の経過とともに、詳しく報告されていた。
驚くべき内容だった。
しかし、最終的に、オーストラリア・サイエンティフィック会議は、
「学問の発展のため、真に科学的レベルを基準に優先して人選した結果、
小耳症部門のパネリストとして、あなたには、
最も長時間公演していただけるように決定致しました。
よろしく、お願いします.」との事だった。
この政治的暗躍をした人物は、もはや、国際的信用を無くしたようだ。
科学の討論で、学問の進歩を目指すために
この、4年に一度の国際形成外科学会は存在する。
そこに、自分個人の政治力で、科学を捻じ曲げようとしていたのだ。
しかしながら、真の科学は世界共通で、一つなのだ。
科学が政治を上回った結果となった。
学会が終了して帰国後、
オーストラリア形成外科サイエンティフィック会議代表者から、手紙が届いた。
[あなたの公演により、学会は充実し熱気にあふれる会となりました。
本当に、ありがとうございます。最大限の感謝をしています。」
との内容だった。
医学の世界では
インデックス・メディクスと言う世界の基準レベルの、ジャーナルが、格付けされている。
それらのジャーナルには、今まで、人類が思考し挑戦し成し遂げられて来たことが、
医学論文として蓄積されており、
これらの論文は検索する事が出来る。
これらの論文内容を超えた科学的レベルが一点でもあれば、
新しい論文と認められて蓄積されていくシステムとなっている。
個人の寿命は、限られていても、この科学的蓄積があるからこそ、
これまで、人類だけが、あらゆる進歩を急速に遂げたのだ。
本当の学問とは、進歩のために行われる。
そのためには、先人達の論文が基礎となるのだ。
だから「、誰が、いつ、何を書いた。」と言う事が重要だ。
その根拠なしに、理論は始まらない。
ところが、そんな基本が、なーんにもわかってなくて
日本形成外科学会では、すでに、世界の教科書となっている事を
とうとうと、あたかも自分が聴衆に教育するように、発表する大学が多い。
「それは、だれの方法ですか?」と質問すると、
「N氏の方法です。」と、答える。
英文の教科書になっているのだから、最早10年以上前に、
すでに英文論文と、なっているのだ。
5分しゃべらなくても、「N氏法」と、ひとこといえば2秒でわかるのにだ。
そもそも、学問とは「誰が、いつ、何を書いた」と言うことが
基礎として重要だと言う事が全く分かっていないのだ。
だから、学問とは何かが、理解できていないのだ。
知的所有権
と言う事も知らない未開発人が、
世界の論文を書けないのは、正にそこにあるのだ。
それでは、大学といえないし、学会とも言えない。国際レベルに達しないからだ。
GDP第2位の国には匹敵しないのだ。
私は、イギリス形成外科学会誌の編集ボードメンバーなので、
世界中からイギリスに送られてくる論文の中でも特に、
小耳症も含め、耳の論文を、審査している。
その中で日本人の論文も、審査する事があるが、
学問というものが分かっていない論文が多い。
やはり、ディスカッションの中の知的所有権が、わからないようだ。
ひどい時には、何にも新しい「ノイエス」がないばかりか、
その結果が、先人にも、劣る論文すらあるのだ。
もっと、しっかりしろ、日本人。
私も日本人の一人だから言うのだ。
今年も、残すところあとわずか・・・
園長先生やカルメン様が
サルトル院長にブログを教え、
いつの間にか・・・
いや、この1ヶ月足らずで、
もはや、素人の域を脱している。
原稿のペースも小説家なみだ。
その内容に関しては、
世界規模であり、ブログを読んでいるこっちが
世界中を旅している気分なれる。
ブログ直木賞・・・
ブログ芥川賞・・・
でもあれば、受賞する勢いだ。
来年も、サルトル院長はとどまることなく、
ブログを書き続けるに違いない・・・
園長先生も負けてはいられない・・・
1995年・10月、私が初めて海外から小耳症のデモンストレーション手術を
依頼されたのは、イタリア・ベローナ国立病院だった。
これは、そのときの、イタリアの新聞記事、
むかって左が乳房再建で有名な、ジーノ、リゴッチ教授、
右が、私。
新聞の最上部に、イタリア語で、
Dimostratione pratica del medico giapponese Satoru Nagata,と書いてある。
ディモストラッチオーネ プラチカ デル メディコ ジァポネーゼ サトル ナガタ。
ディモストラッチオーネ・・・・・Demonstration・・・・・デモンストレーション
プラチカ・・・・・・・・・・・・・・・・・practis・・・・・・・・・・・・手術・実行
デル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・the・・・・・・・・・・・・・・・・その
メディコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・doctor・・・・・・・・・・・・・医師
ジァポネーゼ・・・・・・・・・・・・・japanese・・・・・・・・・・・日本人
大体このような意味である。
初めてだったので、慣れなくていろいろ大変だったが、
とても、とても、新鮮な体験として、心に残っている。
この町にアリーナと言うローマ時代に建築された円形劇場がある。
ここを、会場としたコンサートやオペラは、一流の出し物が夏には行われる。
たまたま手に入れたオペラ・カルメンのDVDは、この円形劇場で、行われており、
感動的なのだ。
見るたびに、美しいベローナの町を今でも思い出す。
カナダ・エドモントン・アルバータ大学医学部、および、その関連施設COMPRUに
招待されて、1998年3月、私は小耳症デモンストレーション手術を行った。
私を呼んだのは、上の写真右側のゴールド・ウィルキス教授、
患者さんは、アラスカからやってきた、女の子、アシュレイさん。
手術前日、手術当日と、マスコミ取材があった。
やれやれと、一段落して、
ホテルへ帰ると、皆が、私を見ているような気が・・・・・・・。
あれ?指差している、私を、・・・・・・。
何か背中にでも,変なものが付いてるかもしれない。
早く部屋に帰ってチェックしなければ、と部屋に戻り、とにかく、シャワー。
何も付いてなかったけどなー。
テレビでもつけて、一休み、と・・・・。
あ、な、なんと、・・・私が・・・・・・テレビに・・・映っているではないか。
15分くらい続いたのだ。、その番組終了。C・M・となったので、チャンネルをまわす。
と、と、・・・・ま・また・・・私が、ニュースに。それが終わり、別のチャンネルへ。
こ・これまた・・・ヮ・・私だ・・・。あ、肋軟骨削ってる。またまたチャンネルをまわすと
またもや・患者さんと、わたし、が、
カナダ中のチャンネルが、
「日本から小耳症患者への贈り物
」というような
ニュースやら、科学番組やら、ダイダイ的な放送と、なってしまっていた。
コーヒーでも飲もうとフロアーに降り、受付で、どこに喫茶店があるか尋ねると、
「あなた、知ってますよ。さっきテレビで、見ましたよ。耳をつくれるんですね。
」
コーヒーショップでも店員から、[知ってる。知ってる。あなた、」と。
そして、翌朝の部屋に届いた新聞が、上に示す記事なのだ。
帰国時、空港で私に係員が、「この荷物は何だ、たくさん変な形の金属が、
入っているぞ。開けて見せなさい。」と、怒ったように言う。
アルバータ大学からわざわざ空港まで見送りに来た人が、
係員に[日本から、わざわざ小耳症患者の手術をしてもらうために、
アルバータ大学が、招待して来ていただいた人ですよ。
中の金属はそのため、日本から持参の手術道具ですよ。
失礼ですよ。」と、すごい剣幕となった。
それでも、係員は、納得しない。
ふと見ると新聞が、そばに売っている。
それを買って、係員に見せた。ら、
すんなり、納得、わたしにペコペコ状態となったのだった。
それが、次の新聞だった。
向かって右は、バージニア大学耳鼻科のジャスドーファ教授である。
左はその、教え子の、ケッサー助教授である。
ジャスドーファ教授は、小耳症患者さんの外耳道閉鎖症に対する
聞こえの改善手術の開発者である。
ジャスドーファ教授が、手術すると、98パーセントと言う驚くべき成功率で、
補聴器が無くても聞こえるようになる。
なにせ2000症例の経験と実績があるのだ。
他の医者が、逆立ちしても、まねのできない事なのだ。
現在は、ケッサー助教授がジャスドーファ教授の指導のもとに手術を、行っている。
私のところで耳再建の手術をした患者さんで、
希望する人は、ジャスドーファ教授を紹介している。
紹介して手術を受けた患者さんは全員それまで10年間付けていた補聴器なしで、
日常会話が、出来るようになって来た。
上の写真は、1997年、9月、ドイツ・リューベックで開催された
第3回国際小耳症学会での夕食会。
向かって最も左がジャスドーファ教授
最も右が私の若かりし頃
この時以来、小耳症学会では、常にいっしょだ。
ジャスドーファ教授が私の再建した耳に、穴を開けさせてくれ。
と、頼んできてからの国際交流が、続いている。
日本の患者さんであっても、私が、耳を再建した患者さん以外は断っているそうだ。
台湾にて。
向かって左は、アジア一の規模・一万ベットのチャングン大学学長ユーレイ・チェン教授。
右は、たった15ベットの永田小耳症形成外科クリニック院長・永田悟。
ユーレイ・チェン教授は顎顔面変形修正手術における世界的権威であり、
日本形成外科学会が何回も、事あるごとに、招待公演を依頼している教授だ。
昨年はアメリカ形成外科学会においても、「学問の進歩に貢献した]事で、
表彰式まであった人なのだ。
あまりにも天井人なので、通常の形成外科医では面会も出来ない人物なのだ。
なのに、いまだに、1日に4件も顎顔面手術を、行っている。
私は、この大学のズンチャンチェン医師に小耳症手術を教育した。
ユーレイ・チェン教授からの依頼を受けて。
だから、こうして「ギブ・アンド・テイク」ができる関係なのだ。
私が、日本で10歳の時小耳症手術を行った患者さんで、希望する人は
17歳時に顔面の手術を、ユーレイ・チェン医師に行ってもらっている。
台湾のチャングン大学には、海外からの形成外科医が、常に数多く留学している。
アジアからに限らず日本や欧米の一流大学からなのだ。
患者さんも欧米からも来ている。
上の写真は、アメリカからの小耳症患者さんの、診察をしているところ。
左が、私、右が教え子のズンチャンチェン医師。
なにせ、一万ベットと超巨大病院だから、患者さんのカルテは電子カルテ。
レントゲン・立体CTなどの画像も、撮影後すぐコンピューターで見れる。
手術記載や手術点数などは、手術室で術後すぐ入力できるので、
間違いも少なく、会計も迅速だ。
日本のように、待たなくてすむ様になっている。
日本厚生労働省もここにシステムを学びに行くべきだ。
太陽の光が、医局に差し込む、
昨夜は、12時間も眠っていた。
夕方7時から、朝7時までもだ。
この1年の中で最も長く寝たのだ。
それなのに、まだ眠い、
何なの?
そーだ。
開業してからここまで、
緊張していたのかも。
今日の手術で、今年も最後の締めくくり、
長かったような
短かったような。
あらゆる出来事が、
あっ、と言う間に過ぎ去った。
なかなか、刺激的な年だった。

スペイン人の風習といったら、見習うべき事が多い。
その中でも、一番考えさせられた事・・・
それは、「スペイン人はストレスを溜めない」事

彼らにとって、いかに終末を楽しく過ごすか・・・が課題らしい
金曜の夜からはとにかく仕事の事は考えず、気持ちよく過ごせるシチュエーションを選んで徹底的に楽しんで休むのだそうだ

日本人は「仕事」「仕事」・・・・

休む暇もなく、自分をいためつけている

以前の自分もそうだった・・・

座る暇もなく、処置に追われ、病棟での仕事が終わったとしても、
今度は学会の準備、勉強会、研修・・・・
休みの日でも仕事していたなぁ・・・

まぁ、いい経験をさせてもらったといえば自分の自信にはつながったから良かった・・・かな

でも、自分を見返る事ができてなかった

気持ちに余裕がない

そうなると、優しくもなれない!?
仕事では、笑顔


怖かったかも・・・

今、思うのです
自分に少しは余裕がないと、人に優しくできないし、いい看護もできない

人間って、「顔」に出る
余裕が無い時は知らぬ間にキツイ顔になっている

日本人、もっと自分を大切にしなきゃ・・・って思うのです。
仕事、仕事・・・じゃ、頭おかしくなちゃう・・・

幸い、今の私は自分も大切にできている

きっと、永田小耳症形成外科クリニックのおかげ・・・

いいスタッフにも恵まれてるし、仕事も楽しい

フラメンコにも出会えた

みなさんも、自分に休暇を


2004年7月、イギリス形成外科学会誌の、第一回編集委員会議が、
イギリス・アイルランド・ダブリンで、行われた。
編集長はセント・ジェームズ大学のサイモン・P・J・ケイ教授。
以前、イギリス形成外科学会誌は、イギリス人のみの編集委員で、構成されてきた。
が、サイモン教授が新しく、編集委員長に選出されてからは、大改革を行った。
以前も、少し、このブログで述べたが、
大改革の目的は、この、ジャーナルのレベルアップあった。
そして、イギリスのジャーナルから世界のジャーナルへと変身することだった。
そのためには、論文審査を行う編集委員の質の向上が、必要と、なった。
そこで、サイモン教授は、一度今の編集委員を全てなくしたうえで、
形成外科領域のあらゆる分野の、最先端と言われる科学者に取りかえる。
だから編集委員は、イギリス人に限らず、世界レベルで集める。
人員数は30名程度とする。
と、提案した。
最初イギリス人の、猛烈な反対意見があったそうだが、
粘り強いサイモン教授は、ついにこの方針を貫いた。
結局編集委員の構成は
イギリス12名・アメリカ4名・ドイツ2名・スウェーデン2名・オーストラリア2名・台湾2名
フランス1名・スイス1名・オランダ1名・ベルギー1名・ポルトガル1名・カナダ1名・
ブラジル1名・インド1名・スロベニア1名・南アフリカ1名・中国1名・日本1名
となった。
私が、日本の1名である。
今回の第1回編集委員会議では、さらにレベルアップするために、どうしたらよいか
あらゆる方法論を出し合った。
サイモン教授から、意見を求められ、
私は、「たとえ1例報告であっても、その中には将来の治療法に、
大きな革命をもたらすものがある。
編集会議でそのような重要性のある論文と判断した場合は、
アメリカの形成外科学会誌のように杓子定規にページ数を制限せずに、
何ページでも全て載せると言うように柔軟に、対応すべきだ。」と、解答した。
「良い考えだ。取り入れましょう。」とサイモン教授は答えた。そして、
「日本形成外科が、このジャーナルを日本の機関紙として使ってもいいのだが。」と
言ってくれた。
日本形成外科学会誌は、インデックスメデックス上で、
世界に認められていない学会誌なので、スカンジナビアン・ジャーナルを
日本の機関紙として使っている。
しかし、インデックスメデックス上、スカンジナビアンジャーナルは、
0.2ポイントしかなく、いつ圏外へ転落するかも知れないのである。
それに比べ、0.92ポイントを持つイギリス形成外科学会誌は、
アメリカのについで2位と、ハイレベルなので、
日本にとっては将来とも良い話だ。
そこで、この件を、帰国してから、日本中の形成外科大学教授へ
詳しい資料を付けて手紙で送った。
個人的に、何件かの返事がとどいたものの、
形成外科学会幹部の集まりの場で話し合った形跡もないし、やる気も無いようなので、
私は、そのまま、ほったらかしにしている。
そして、最近はイギリスのジャーナルへの世界からの論文投稿数が増加しており、
内容も充実して来た。
サイモン教授の努力の結果が実を結んできたのだ。
一方、スカンジナビアンジャーナルは、ますます薄くなって来ている。
1998年、国際小耳症形成外科学会が、カナダ・レイクルイーズで行われた。
この時、培養軟骨の実験が、発表された。
ネズミの耳の軟骨を外に取り出して、
人工的に作った培養液の中に入れて、培養し、軟骨細胞を増殖させて、
人間の耳の形になるまで、誘導し、
完成した軟骨を、ネズミの背中の皮膚の下に移植して、
人間の耳の形をネズミの背中に再建したと言う発表があった。
その報告の示す写真をみれば、
なるほど、確かにネズミの背中には、巨大な人型の耳が、出来ているではないか。
素晴しい発表だ。すごい。と、思った。
が、
たった、「2週間で、溶けて無くなった」との事だった。
現在、世界中の科学者が軟骨培養に、しのぎを削っているが、
世界の認める医学ジャーナルや、2006年アメリカ形成外科学会でも
まだ、人間に応用して成功したと言う報告は無い。
現在、永田小耳症クリニックは、東京大学医学部倫理委員会の許可を受けた
東京大学医学部ティッシュ・エンジニアリング部が、
「小耳症患者さんの耳再建手術の際に、
小耳症の中にある本来は捨てるべく摘出した軟骨を用いて
人工的に培養増殖させる研究」の目的で、
患者さんの承諾を得た上で、いただいて、
手術日当日、東大から取りに来て待ち受けている専門家に直ちに引き渡し、
研究に用いさして頂く事に賛同し協力しています。
未来、夢の小耳症治療発展を願って。
世界がそのような状況のなかで、2年前ごろに、大阪の病院から
「人工的に培養増殖した耳型の軟骨を小耳症患者に、移植した。」との報告が、
日本形成外科学会で、あったのです。
私は、この2年間、海外からの学会招待が忙しすぎて
国内学会を欠席したため、その、発表を見ていないのですが。
この治療を人間に応用する前には、
他の人間に近い動物での、基礎実験を行い、
移植した培養軟骨が溶けずに何十年も保ち続けると言う事を確立させ、
さらにその安全性をも確認してから後、初めてようやく人に応用すべきですが、
もしこれを怠り、見切り発車してしまったとしたならば、
そして、その耳が溶けてしまったならば、
それは、医の倫理に反する事になります。
その病院での倫理委員会もその委員も犯罪となります。
その後、この患者さんがどういう経過をたどっているのか?
日本形成外科学会は、社会に対する公的な立場としても、
厳しく監視する義務と必要があるのです。
また、それを報告した医師は、責任上、包み隠さず、毎年、科学的な経過報告を、
世界に認められたジャーナルに報告するか、
もし、それが倫理上の問題で世界のジャーナルから
認められなくてアクセプトされなかったならば、
日本形成外科学会誌に詫び状とともに報告すべき義務があるのです。
その際、学会としては、なんらかの処分を出すことになります。
責任ある科学者として。
うやむやにする事は、決して許されません。
今後の医療のためにも。
2005年3月、第9回アジア太平洋形成外科学会が、インド・ムンバイで行われた。
ムンバイ空港からタクシーに乗り1時間行くと右手に海が見えてきた。
左手には街路樹が並び、同じ高さで統一した、りっぱな建物が立ち並ぶ
。
ほどなく、中でも歴史と風格のある、りっぱな、建物の前でタクシーが、止まった。
すばらしいホテルだなーと思いながらタクシーを降りた。
ここが会場のホテルだった。
ホテルの前は非常に広大な広場となっており、
海の近くには、ほぼ、パリの凱旋門と同じ大きさのりっぱな、凱旋門が、建っていた。
昔、イギリスからキング・ジョオジーという人が、
ここに入港した事を記念して立てられていた。
凱旋門近くの海は、やや黒ずんでいて汚染された異臭を放っていた。
今、インドは急速な経済発展が始まっており、
1970年代の日本の海が汚染されて黒かったように、
この国も同じ経過をたどっているのだ。
ところで、ここで久しぶりにフランス・パリからの「フランソワーズ・フィアミン」と再開した。
私もフィアミンも、耳再建領域の、ゲストレクチャーとなっていたが
私が「小耳症の耳再建術と再再建術」のレクチャーをする事が分かっていたので
フィアミンは,あえて「外傷耳の再建術」を喋った。
その後に、私のレクチャーとなった。
私のレクチャー後は、拍手大喝采の嵐となり、
その拍手がなかなか収まらず会場は一種、異様な興奮に包まれた。
休憩に入るや否や、私は周囲をぐるりと医者達に取り囲まれて
身動き出来ない状態となり、いつものように、興奮した医師たちからの質問攻めとなった。
さらに、それぞれの医師にせがまれて、いっしょに写真撮影に応じさせられ、
いっとき、フラッシュで目が霞むほどだった。
一段落後、フィアミンと「その後、家族は元気?」など日常の話をした。
彼女と最初にスペインでの国際学会で会ったのは、1992年だった。
当時は、黒かった彼女の髪も
2005年となったこの時は全て白髪と化しており、
時の流れを感じさせた。
ところが、ところが、1998年、カナダの国際小耳症学会や
1999年、アメリカ国際形成外科学会で、会った時は、
存在していたはずの顔の「しわ」が、今、全く無くなっているではないか。
なんと彼女自身、「しわ取り術」を受けて若返っていたのだ。
そのあと、パリへのみやげを買いに、さっそうと町へ出かけて行ったのだった。
さすが、ファッションの都、パリ人。
関東の都心には1000ベット級の大学病院が乱立している。
歩いてゆける距離に、隣接している所も多い。
形成外科も、ほとんどの大学に出来た。
それゆえかどうか、患者さんの奪い合いとなり、
各々の大学において、全日をかけるような再建手術は、激減している。
1ヶ月に数えるほどしか、なくなっているそうだ。
それでは、学問の進歩はおろか、医師一人当たりの研修症例も不足し、
これからの将来を担うべき若い医師達が、
いつまでたっても一人前とは、なれなくなっている。
特に、30代の若いうちの、科学的に新しい発想が、湧く時期が最も大切である。
現在のような状況が、続けば、みすみす、そのチャンスを逃す事になってしまう。
これは、国家にとっても、国民にとっても、ひいては世界にとっても大損失である。
そもそも、世界的に見ると、1000ベット程度では
機材購入の面でも、学問の進歩と言う面でも非効率なので、
少なくとも、数多くある都心の大学病院を一つにまとめて
10000ベット級に巨大化すべきなのだ。
台湾のチャングン大学のように。
そうすることで、病院は設備の上でも、経済的にも効率的となり、
、患者の数も増加するので医師の数も増やせる、
また、現在は医学部教授の給料があまりにも安くおさえられすぎており、
国際学会発表のための渡航費用まで事欠く状態である。
そのため、優秀な人材が大学教授を目指さなくなっている。
経済的な面を、巨大化で解決できるし、研究設備も、整うので、
今の10倍の給料が、教授に払えるようになる。
すると、世界的に優秀な人材を、世界から教授として、引き抜けるようになる。
優秀な教授が集まれば、優秀な若手医師が、自然と集まり
結果として、学問の進歩にも良い環境が、整う事となる。
国民も、レベルの高い治療が、安心して受けられるようになり、
さらに患者が集まるので、学問の進歩が加速し、
医学の面でも、輸出黒字となり、海外から高度医療を求めて
治療を受けに来る外国人が増えるばかりか、
医療技術を学びに海外からの留学医師が増加し、
祖国へ帰った医師達が、日本で開発された医療技術を用いて
その国の人々を治療する。
そうなって初めて尊敬される日本となれるのだ。
非常に、良いこのアイデアは、世界中のその国を代表するような大学病院を
「小耳症手術」で教育してまわった経験から逆に、私が学んだ事なのだ。
後は、日本で数少ない、才能ある政治家の英断とこれが良い事なのだと
判断出来るような国民自身の質の向上を待つのみだ。
レックリングハウゼン氏病と言う病気がある。
1882年レックリングハウゼンと言う医者が名づけて報告したので
この名でよばれている。
医療関係者でなければ、どんな病気か、あまり知らないのだが、
「エレファントマン」と言う映画があることは、多くの人が知っている。
良性の腫瘍が長年かけて体中の、至る所に出来てくるのが特徴なのだ。
この腫瘍が顔に出来ると、特徴的な経過となる。
子供の時は、正常な顔をしていたのに、
ある時期、目の周りから腫瘍が増殖し始めて、額、ほっぺた、耳、唇、と
次第に増殖し20年以上かけて巨大化する。
腫瘍は軟らかいため、垂れ下がる。
ある日、わざわざ、九州から私を訪ね50歳代の女性患者さんが来られた。
右顔面全体に腫瘍が肥大してロウソクが溶けるように、垂れ下がっていた。
すなわち、巨大化した目は前に飛び出しかつ、下に垂れ下がり、
右の、ほっぺた全体が巨大になり下へと垂れ下がっていた。
唇も右側が垂れ下がり、そこから、常によだれが垂れるので、
常にタオルを手にしていた。
柔らかく垂れ下がった腫瘍は、ほっぺたの筋肉や神経を侵し、
言葉を話しても、空気が右から抜けるので何を言ってるのか聞き取れない状態だった。
また、右耳は、巨大化して垂れ下がっていた。
左を下にして寝ると、柔らかな右の巨大腫瘍が、
鼻と口を、ふさいでしまい呼吸が出来ない状態となるとの事。
九州中、の大学病院を受診したが、教授達はただ「んーーーー。」
と唸るだけだった。との事。
半ば,あきらめていたのだが、ある日、尋ねた皮膚科医で
「関東に、小耳症の人に耳を作る先生がいる。あんな複雑な耳を作れるのだから、
その先生を尋ねたら、あなたの顔を治せるかも知れない。行ってみませんか?
」
ということで、私をハルバルだづねたのだった。
その後半年ごとに、6回の手術を行い3年後にほぼ、左右対称な顔面となった。
患者さんは、九州に帰ると、町の知らない人からまで声をかけられ
「きれいに治ったねー。」と言われる。
「もっと、早くに先生の事を知っていれば良かったのに。
自分は、それを知らなかったのでこの年まで苦労したのです。
私と、同じ病気で苦しむ人のためにも、私の顔写真を使ってもかまいませんので、
先生が治療できる事を患者さん達に知らせてください。」と患者さんがおっしゃった。
その、言葉もはっきりわかるようになった。よだれも止まり、
口からボトルでお茶も飲めるようになった。
世界の形成外科領域の一流ジャーナルや、アメリカのテキストを検索しても
左右対象まで治せたケースは一つも無かった。
私は、論文にまとめ、イギリス形成外科学会誌ジャーナルに投稿した所
2006年春、掲載された。
その後世界の医者達から
論文のリプリント請求の手紙が届くようになっている。
この症例に対する術前、術後の状態に関する資料、その他に関しましては、
「永田小耳症形成外科クリニック」のホームページにて、示しておりますので
このような状態でお困りの方は御覧いただけます。

本日は小耳症患者様13名入院している
朝の9時・・・

っていうのに、まだ寝ている子が・・・

「早くおきなさぁ~~い!!」
と、カルメンの雷がおちる

いつもと変わらない朝・・・

のはずだった・・・
あれっ

なんか、いつもと違う・・・


何やら騒がしいぞ・・・

えっ・・・

どこからともなく、サンタが永田小耳症形成外科クリニックに舞い降りてきた

ん!?
「サルトルサンタ!!」
サルトルサンタは、入院中の子供たちの病室へ行き

「メリークリスマス!」

こっちの患者様にも
「メリークリスマス!!」
と、大きな袋からプレゼント

そんな思いがけない「サルトルサンタ」に
子供たちは大喜び

「来年も来てくれるのぉ~~?」
いい子で入院していたら
また、来年
クリニックに来てくれるかもねっ・・・

*それにしても、サルトル様・・・・
お似合いです・・・・・・・

学問の一つに科学が、ある。
科学は数学と同様に、しっかりとした理論の上に成り立つ。
条件を1定にしぼると、1つの結論に必ず到達する。
条件をAとBにした場合,Aというのは何パーセント、Bというのは何パーセント、
と言う確立で、どういう結果となるかが、はっきりと決まるのだ。
医学も科学の一分野である。
が、まだ、はっきりとした原因や根本的な、治療法の理論が確立出来ていない疾患には、
「非特異性・・・・・炎]と言う呼び名がついている。
このように「非特異性」と名がつく病気は、
まだ科学となりきっていない病気ということを示すのだ。
これからの研究進歩を必要とする病気なのだ。
形成外科は医学の分野の一つである。
形成外科医が科学者としてなすべき仕事は、無限大にある。
よく、日本の大学教授が若い医者達に「学問をやりなさい」と言う。
そして「形をつくるだけと言うのは学問ではない。」
だから、「小耳症の耳つくりは、学問では無い。」と言う教授もいる。
それこそ、とんでもない考えだ。
体の欠損部を再建するのが、形成外科医のなす最も重要な仕事である。
ただ血が出ないように皮膚でカバーすれば良いと言うものではない。
科学的に正常な形態を、なおかつ感覚もあり、
一生、長持ちする組織を用いて再建しなげればならない。
再建すべき形が複雑であればあるほど、困難となる。
だから、それこそ、いつも、ある一定レベル以上の正確な形態を再建できるようには、
どうしたらいいか?と、いうように、科学にしなければならない。
形成外科は「形態学への挑戦」と言う事こそ、真髄であり、
科学になすべき事なのだ。
それこそ、形成外科医が科学者としてする学問の真髄なのだ。
学問と認められる事こそ世界の一流ジャーナルに載り、
世界中の患者もために役に立つのだ。
たとえ開発者個人が無くなろうとも。
園長先生が、院長先生になるのは、藤沢のクリニックに行った時。
そもそも、「園長先生」の名付け親は毒子様である。
「院長せんせ~~い!」
って呼ばれたときに、「は~~い」って2人が返事するもんだから、
毒子様・・・
「2人とも返事するのは おっかしいのよ!
先生は、永田クリニック園の園長先生として任命します!」
ってことで、園長先生に・・・
そんな園長先生が院長先生になれるひと時・・・
藤沢のクリニックでいいことがあった。
それは・・・
二重まぶた(埋没法)の手術の患者様。
最初のカウンセリングは、何もせずにお帰りになった。
なんと、その患者様、その後・・・
かの有名な大手美容外科の「○塚美容外科」さんにも
カウンセリングに行って来られたようで、
最終的に2つのクリニックを比較し、
結局、園長先生の藤沢のクリニックに来られ手術された。
こんな嬉しいことはない。
もちろん「○塚美容外科」さんは素晴らしいクリニックである。
だからなおさら嬉しいのであった。
園長先生は、たくさんの自分の美容の症例スライドを使って、
患者様に1時間ぐらいかけて説明する。
これは「サルトル・イズム」の継承である。
サルトル院長も、外来のカウンセリングでは
1時間以上かけて
小耳症の超膨大なスライドを患者様にみせながら説明する。
これは、患者様の視覚と聴覚に直接訴えかけるので、
説得力もあるのだ。
サルトル院長から学ぶことは多い・・・
手術手技、考え方などなど
今回は、そんなサルトル・イズムが実を結んだ結果かもしれない・・・
今日はクリスマスイブ、子供達は朝からなんとなくウキウキしている。
日曜日とあって、家族の見舞いが大勢来て
永田小耳症クリニックの病室は,大にぎわい。
ケーキ持って家族ともどもクリスマスイブを祝うのだから、楽しいに決まってる。
現在、入院患者さん13名、全員が小耳症で、
10歳超えた小学生か中学1年生くらいばかり、
不思議な連帯感が出てくるのも当然なのだ。
お見舞いの帰りに、あるお母さんが、
「息子にクリスマスプレゼントを持ってきたのですが、
息子が眠ってしまってから、枕元にそっと置いて下さいませんか?」
と、プレゼントを看護婦さんに、言付けて帰られた。との事。
なんと、ファンタジー。
とても、とても、すばらしい素敵な親子関係ですね。
国連WHOによれば、人類は誰でも最先端の医療を受ける権利があると規定されている。
これまで「日本の医療はどこにかかろうが病院は同じレベルの治療を受けられる」
と言う前提の下に行われてきた。
だから3年ほど前まで、「どんな治療をどのくらいのレベルで行っているか」
と言う情報発信を病院が行う事を、法律で禁止していた。
だから同じ病気なら、どこで治療しても[タクシーと同様に]
同一料金と言う事が成り立っていた。
日本の医療システムは共産主義そのものなのだ。
国民はせいぜい自宅のそばの開業医あるいは大学病院へ通い治療を受けていた。
特にレベルの違いなどに、ほとんど疑問を感じる事も無く。
医者が家族に「最善で最新の治療をおこないましたが、お亡くなりになりました。」
と告げると、家族は「お世話になりました。」と答えるのが定番だった。
この、「最善で最新の治療」と言うのは本当だろうか?
世界最先端の治療なのか?
日本最先端の治療なのか?
その県で最先端なのか?
10年前の治療なのか?
20年前の治療なのか?
30年前の治療なのか?
誤診の治療なのか?
形成外科領域での世界最先端の医学論文は、
世界中からアメリカ形成外科学会誌かイギリス形成外科学会誌に集まる。
以前もこのブログに書いたように、
日本形成外科学会誌は、世界の科学ジャーナルとしては
認められていない圏外レベルなのだ。
毎月発刊される、これらアメリカ・イギリス学会誌のなかで、
10年間分で最も最先端の論文を書いた人が、
アメリカ人に限らず、それぞれの分野の筆者となり、アメリカのテキストが出来る。
10年以上遅れて日本語に中途半端に翻訳された「海賊版もどき」の本が出来る。
この時点ですでに、世界レベルから20年のタイムラグが生じている。
原本を見ないで、海賊版しか読まない若い形成外科医が多いのだ。
さらに、
日本では、なぜか大学病院によって教科書も異なる。
同じ病気なのに治療法も教授によって全く異なる事が珍しくないのだ。
形成外科すら存在しない大学もある。
だから教授によっても、疾患によっても治療レベルが異なる事になる。
これらの大学で教育を受け、疑問を感じなかった若い医師達が一人前となり
日本の治療にあたるのだ。だから
開業医が行っている治療レベルが
世界レベルの30年遅れているのはあたりまえなのだ。
考えを変えてみると、
日本人医師が日本国内で独自に開発し、世界最先端となっている分野が、
いくつあるのだろうか?
アメリカのテキストの筆者となっている日本人が何人いるだろうか?
実はほとんどいないのだ。
国民総生産[GDP]世界第2位の国としては、そんな世界的視野から見れば
あまりに医学分野のみが貧弱すぎると言わざるを得ない。
同じ病気でも、医師によって治療レベルや成績が、全く違うのだ。
国民に病院と医師のレベルが明白となってしまうと、
一極集中となってしまう。
そうなると資本主義、アメリカのように、ランキング付けされた医師による料金格差が生じる。
国は、同一の病気は、同一料金の制度を守るため
病院や医師の情報発信を禁止していたのだ。
純共産主義の日本医療制度は全国民に広く、安く医療を提供出来た
と言う意味で成功だったのだが。
歴史が示すように、上達しようが、しまいが同じ料金なら、
医者は苦労して上達する意味が無くなり、
上達しすぎた医師はアメリカへ逃げる事になる。
共産主義の日本医療システムは共産主義崩壊と同様、
そのレベルダウンの弊害があまりにも生じたために
国民からの突き上げがおこり、
次第に情報開示の方向へと向かわざるを得なくなってきた所なのだ。
その情報が、どの程度、信頼できるのかは、今後は患者サイドの判断となる。
小耳症に対する耳再建術は形成外科領域の中で、最も困難な手術です。
なぜならば、形成外科領域の基本的手術手技の全てを駆使できるようになってから
ようやくスタート出来る分野なのです。
科学的にも、形態学的にも、最も複雑な要素を含む集合体の手術なのです。
昔から、「耳を制する形成外科医は、全ての形成外科を制す。」
と言われてきたゆえんです。
小耳症と、一言で言いますが、その形態は個人により様々に、異なります。
単純に形態の違いを分類しはじめると無限大になってしまいます。
でも、最終結果は正常な耳なのですから、
それぞれ形態の変化に応じた手術術式が必要となります。
ですから、手術術式も無限大となります。
ここが、一般の形成外科医が理解に乏しい所なのです。
一度か二度くらい手術見学すれば、簡単にできるだろうと、誤解しているのです。
まず綿密な、術前の設計プランが必要です。
ミリメートル単位で、耳が何処にあるべきかを決定し、
患部にあるべき耳の形を1パーセント誤差範囲内で書き入れる事からはじめます。
これだけも非常に神経を要します。
かつて、日本形成外科学会で「科学的に厳密な精度の耳再建法」について発表した際に
当時、ある小耳症治療で有名だった教授から、
「どだい、ミリ単位で人間が耳をつくれるわけがないだろう?。」とか
別の教授からは、「特別な個人しかできない方法をどうやって教育するのか?」とか
「耳は立てなくていいのだ」「そこまで細かく作らなくて良い
」などと、言われた。
若い医者を教育し、学問の進歩に貢献する義務を最も多く担うべきなのは、
それこそ、大学教授なのに、このていたらくは何なのだ。
心の中で私は激怒したが、ググッと抑えて解答した。
「近代医学においては、
唇裂治療領域において、ミリメートルの誤差範囲で議論する時代となりました。
しかし、小耳症の耳再建分野においては、いまだ、その次元まで到達出来ていません。
それは、小耳症患者の発生率が圧倒的に少ないから、治療経験も少ないので
進歩が遅れた。と言う事実のみならず、
唇とは比較にならないほど耳の形態は複雑で、組織欠損量も大きいのです、
、科学的にも形態的にも複雑な耳だからこそ、
当然の結果として
正常な耳を作ろうとすればするほど耳の再建手術は、複雑になるのです。
この、複雑な耳を、あくまでも正常に正確に作れるように努力するべきなのは、
形成外科医以外に誰がいるのでしょうか?
また、その進歩ために大学、大学教授がいて、その知恵を出し合う場で、
改革・前進・進歩がなされるはずです。
この日本形成外科学会はそのための場であり、
この目的にこそ、その存在意義があるのではないですか?」
と、あまりにも当然といえば当然の解答をした。
と言うより、あまりにも当然すぎるレベルの低い話を、
日本では大学教授でもない、この私が、しなければならなかった事実と
時間の無駄に腹が立った。
そして、今頃になってこれらの教授達の作った耳が
作り直しとなって続々と私のクリニックへ来ているのだ。
2006年10月に行われた「アメリカ形成外科学会・」「サンフランシスコ」において、
私はカナダ・シックチルドレン病院の教え子の医師達と共に
「小耳症手術」について、3時間ものインストラクショナルコースを行った。
そのときの聴衆だったアメリカ人教授達は
非常に前向きな質問をいつまでも熱心に私に浴びせて来た。
私も喜んで前向きの解答をした。
有効な時間をすごせて充実していた。
どちらの国が早くレベルアップするかは明らかだ。
私は日本人なのに。
2000年メキシコで「顎顔面及び小耳症のシンポジウム」招待者
中央女性が、フランソワーズフィアミン・・・・フランス
向かって右へ
フェルナンド・オルティズ・モナステリオ・・・マヌエル・ゲア・ゴンザレス病院教授・メキシコ
永田 悟
向かって左へ
ジョセフ・マッカーシー・・・・・・・・・・・・・・・・・・ニューヨーク大学教授・アメリカ
フェルナンド・モリーナ・・・・・・・・・・・・・・・・・・マヌエル・ゲア・ゴンザレス病院・メキシコ
マッカーシーの向かって左後に
ウルフ教授・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フロリダ・アメリカ
以前に述べた「メキシコ、元気なモナステリオ教授」です。
また、このシンポジウム企画者の一人・ジョセフ・マッカーシー教授は、
形成外科医なら知っている「マッカーシー形成外科教科書」を作りました。
1998年カナダ・第3回国際小耳症学会での写真。
左から、
オランダ・アムステル大学・「モシュ、コーン教授」,・・・・・・・・・・・・・・・・・永田法
前述したように、世界初・「他人の顔を移植」した医師。
アメリカ・カリフォルニア州の「バート・ブレント」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブレント法
フランス・パリのビゼット病院「フランソワーズ・フィアミン」・・・・・・・・・・・・・永田法
イギリス・ロンドン・グレートオズモント子供病院「デイビット・ガルト」・・・・・永田法
日本・永田小耳症形成外科クリニック「永田 悟」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・永田法
現在用いている、それぞれの医師の小耳症手術法を右側に示しています。