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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

インスブルグ・オーストリアでのヨーロッパ形成外科学会で「小耳症手術」を発表した。。


それを見たトルコ共和国のアンカラ大学のオズカン教授が私に


「トルコ形成外科学会へ招待いたしますので是非とも公演してください。」と言った。


そこでトルコへ飛んだ。233


イスタンブールの空港からボスポラス海峡の大きな橋491を渡り、イスタンブール港へ、


そこからフェリー108でヤロワへそこから坂道を車で105猛スピード282・5時間もかかり、


ようやくブルサに到着。


14世紀前半オスマントルコに征服されたブルサは


緑豊かな22オスマン帝国の最初の首都だった町なのだ。


マルマラ海の南岸に近く温泉48豊富な歴史の町だ。


さて「基本的な小耳症治療」「小耳症治療の困難なケース」と1時間の招待公演が終わった。


美しい夕暮れ281となった。


形成外科学会全員による晩餐会が始まった。


268楽団315がアラビア特有266のメロデイー342を奏でるなかで


超豪華な食事272が次から271次から274出されてくる275


とっても明るい人々で皆がそれぞれ挨拶に来てくれた。


そしてクライマックス・・・世界一悩ましい踊りで有名なベリーダンス516が始まった。


眼から下は透けたベールで隠し、胸の谷間と臍は強調され


そして、これまた透けた下半身の、とびきりグラマーな踊り子が。419


悩ましく美しい。


胸を腰をゆっくりとくねらすダンスに見とれていた。


と、・・・42


次第に、い、いつの間にか、


私の目前に、416417416


そ、その揺れる谷間と、お臍が・・・・・


402ドギマギする405私を横目に皆、424大喜びなのだ。411


ゲストスピーカーとしての私に対する


彼ら特有のもてなしだったのだ。


その胸と臍は、今も私の脳裏に焼き付いている。22110363

クゥエートで行われたアラブ形成外科学会は、


サダム・フセインがクゥエート侵攻した152、あの湾岸戦争40の1年後に行われた。


空港168を出るとアスファルトの道路が砂地に作られている。


暑い砂地を抜けるとアル・バブテイン形成外科熱傷センター100に着いた2階建ての白い建物だった。


そして広いOPE室は地下にあった。


「地下のOPE室は初めてですよ。」と言うと、


「砂地のため重いOPE室は地下に作らなければ建物が傾きやすいのです。」


そして高層階もできないので2階建てだったのだ。


小耳症手術の候補者患者さんが2名いた。


10歳の男の子と20歳代の女性。


女性は黒いベールを頭にすっぽり被り


それこそ目だけしか見えないアラブ特有の典型的な全身黒服だった。


現地の医者がアラビア語で何か述べると女性がベールを取った。


ベールで隠れて見えない小耳症なのだが


耳を作らないと結婚できないとのことだった。


デモンストレーション手術を行ったが、浅黒いその女性の皮膚は


今まで私が経験したことの無い厚い皮膚だった。


そのため耳の輪郭を出す事の困難な症例だったのを覚えている。


「小耳症公演」を行った後、車でクゥエートタワーへ連れていかれた。


私を乗せた車448の運転手はシリア人だった。


「シリアは美しい国だけどクウエートでの仕事の方が金61になるんです。


クゥエートではフィリッピン人も数多く働いています。


クウエート人は石油のおかげで税金も無税で教育も医療も無料です。


外国人が50パーセントいます。


クウエート人のために下働きしているのはほとんど外国人です。」と


いろいろ説明してくれた。


そういえば、病院で実際手術する医師も東欧から来た医者506だった。


クゥエート人の医者がトップポジッションについていたが・・・・・。


 


クウエートタワー4941階には湾岸戦争でのなまなましい銃弾痕152が残っていた。


最上階はじゅうたん敷きの美しい展望台491となっており


そこを借り切っての豪華な夕食会272271となった。


クエート人医師によると「法律上、男は4人の妻を持てる。419420419420」のだそうだ。


そこでズバリと聞いてみた。


「あなたには何人の奥さんがいるのですか?」


139人です。」


「うらやましい。363363124