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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

小耳症に対する耳再建術は


1959年自家肋軟骨を移植して耳を作る6回の手術を要する「タンザー法」や


1980年代の4回の手術を要する「ブレント法」が行われた。


しかし、この両者とも


耳のまわりの耳輪とその内側の対輪そして不完全な耳珠しか再建できない方法だった。358


また、左右対称に、耳を立てる事も不可能だったのだ。358


ブレント法に至っては、再建して立っていない耳に合わせて、


正常な耳までをも、倒してしまうと言う「居直り手術」だった。359


一方で、理想の耳はどうあるべきか?


と言う論文が1978年に「ハーレ・トーレス」と言うアメリカ人医師により報告されていた。267


2000人もの正常な人の耳を写真に写し、耳の細部までパーセントで表現した論文だ。


だが、当時は、


「全ての細部まで正常に持ち合わせた耳を作る事は不可能だ。11」と言われていた。


これら、すべてを解決したのが、たった2回の手術で完成する永田法なのだ。411


 


ハーレ・トーレスの論文によると、顔を横から見て写した写真上で


耳を切り取り、切り取った耳を横にして、ほっぺたに置いてみると


目じりと耳との間に、ちょうど入る。


言い換えると、目と耳との間に、耳の長さを一辺とした正方形が出来る。


と言う事が図示されている。21


 


この点と同じ図示をもっと大昔の中世に行っていた人物がいたのだ。


それは、イタリアのあの有名な芸術家・科学者・解剖学者である


「レオナルド・ダ・ビンチ」なのだ。363


 


当院では1パーセント誤差範囲以内の科学に基づいた耳を作っている。363363


 

ミラノ・フマニタス病院手術室で小耳症手術も終わりかけの頃


453コメ・プリーマー・266・ピューディ・プリーマー・266ターメローーー・266


ペルラビータァー・266ラミアビータァー・266ティーダローー・266


センブラン・ソーニョ266ディーベデルチ・266ア・カレ・タールティー341341342341


と、イタリア人看護婦さんといっしょに「コメプリマ」を歌った。


「発音、イタリア人より、りっぱ」と非常に驚かれた。237


それもそのはず


私は中学時代よりカンッオーネばかり聞いて歌って育った変な236日本人なのだから、


と言うより感覚的にはイタリア人。


ソフィアローレンとマストロヤンニの映画は何回も見たし、55


前述したように、パバロッチのCD・DVDはほとんど集めている。5152


スパゲッティー・マカロニ・ピザ・ゼラートも、大好きなのだ。372274273


だから日本にいるよりイタリアの方が落ちつくのだ。


そもそもローマ帝国以来、古い歴史を持つイタリア。


世界最初の耳再建術を行ったのは


1597年イタリア人医師「タグリアコッチ」だった。363


彼は、耳の上半分や下半分の欠損に対して耳の後ろに生きたままの皮膚弁を


作り、再建したのだった。418


ミラノ大学教授・リカルド・マゾーラに、見せてもらった、自宅に保管されている


中世ヨーロッパ時代に出版された革張り表紙の医学書に載っている。295


近代医学になってから小耳症の耳再建術は、


世界的にはタンザー法、ブレント法、永田法と推移してきたのだ。

世界3大テノール歌手と言えば266


イタリアのルチアーノ・パバロッチと、


スペインのホセ・カレーラスおよびプラシド・ドミンゴである。


私が最も好きなテノール歌手は、もちろんパバロッチだ。238


太っているのが気になるが、声の良さ、419


特に高音まで無理なく出る声の響きは、他のついづいを許さない。


天性の素質を持ち「イタリアの熱い心」を歌えるパバロッチ。


私は中学時代からカンッオーネの熱烈なファンで、


当時のテノールと言えば「ステファーノ」だった。


ステファーノの歌うレコードで


「オーソレミオ」や「帰れソレントへ」を聞き、イタリア原語で歌えるようになっていた。


その後、同じ歌のパバロッチのレコードを手に入れるや、もう虜となってしまった。314


3大テノールのコンサートは1990年のローマ・1994年のロサンゼルス


そして1998年パリで行われている。


それぞれをDVDで比較すると、3人とも、


次第に外観上は年をとったのがわかるのだが、


歌声は年をとってから益々若がえり、


つややかになってきた事に驚かされるのだ。405


いつまでも歌い続けてほしいと願っているところだが、


パバロッチは、最近さすがに70歳を超えて膝を痛めてコンサートが開けなかった


との情報で寂しい想いをしていた390・・・・・・・・・・・・が、


昨年、イタリアで開催された冬のオリンピック開会式では、


な・なんと、黒いマントに身を包むパバロッチが登場したではないか。41416


そしてジャコモ・プッチーニが最後の力をふりしぼって作曲した


あの有名な歌劇[トゥランドット]の[誰も寝てはならぬ]を大熱唱したではないか。342


しかも自ら立って。458


歌い終わって両手を高く上げ、目をつぶって余韻を残しているパバロッチに対し、


会場から割れんばかりの拍手が・・・・・424


思わず私も大感激してテレビのパバロッチの姿が涙で、かすんでしまった。408402


そして、くしくも、そのオリンピックで唯一、日本の金メダルだったのは、


パバロッチが歌ったトゥーランドットの[誰も寝てはならぬ」の曲を


バックミュージックにして『41イナバウアー41』を演じた


フィギュア・スケートの荒川シズカ選手のみだった。


なにか運命か宿命的な物を感じた。363


 


そして今日、小耳症患者さんの包帯交換を行っていた時、


私が看護婦さんに、消毒薬「イソジン」と言ったら、


ベットの遠く反対側にいた看護婦さんから、サッと、ピンセットで渡された。


あんなに遠いはずなのに、何故すぐ渡せたのだろうと思い、とっさに振り返り


ふと見ると、その看護婦さんは「41イナバウアー41」ポーズを取り、


ピンセットで持ったイソジンを渡していたのだ。363


今後、この看護婦さんには「イナバウアー」と名づける事に決定した。21


 


 

永田小耳症形成外科クリニックでは、


現在、1回目手術時に、小耳症側と同側の前胸部より、4本の肋軟骨を採取しています。


最も長い肋軟骨は、17センチあります。


肋軟骨の周囲は、肋軟骨膜で覆われています。


この肋軟骨膜を切開し、肋軟骨膜を、全周にわたり、はがしてから


中の白い肋軟骨本体のみを、取り出します。


開いた肋軟骨膜を、元のように戻して縫合すると、


肋軟骨をとった後の空洞には自らの体液で満たされます。


これは最高の生体内培養環境ですから。21


その中に肋軟骨を削り組み合わせ耳の形を作って余った分を捨てずに


細かく・みじん切りにして入れ戻してあげると、


見事に白い肋軟骨が再生されます。424


ですから、当院で小耳症手術を受けた患者さんは、胸が凹まなくてすみます。21


これは世界初の事で、当院の論文が、


2006年5月号アメリカ形成外科学会誌に「パート1」、が記載されました。41


また、再生された肋軟骨の顕微鏡レベルでの所見が


2007年1月号に「パート2」として記載されます。41


胸の凹みを起こさないですむ、ということは、健康にとって非常に重要なのです。


肺が、凹んで酸素供給量の減少を、引き起こさなくても、すむようになりました。308


そして現在の傷は3センチから4センチくらいと短くてすむようになっています。22