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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

永田小耳症形成外科クリニックには、


通常の病院では見られないような


大きく白い薄型テレビ、および白いプレステ


それぞれのベッドサイドにある。555251


さらに大きいテレビ収納台特注品の白で、21


インテリア上も統一されて美しい、


入院している子供達にとっては最も大きな安らぎになっている。218


外来待合室プレイルームには、白い大型テレビが設置している。237


プレイルームではみんなでプレステを用いたゲームを楽しんでいる。


そのときは笑い声が絶えない。411


 


当院のこれらの設備は、


私が開業する事を知ったすでに手術が終了している患者さんのお母様が、


「これから入院する小耳症の子供達のために、お役に立つことがしたい


寄付を申し出て来られ、実現したものなのです。22


 


とてもありがたい事なのです。


次々と入院する小耳症の子供達のためにも205206


大切に使いましょうね。219


 


 


 


 

私の叔父はかつて


熊本地方裁判所の裁判官だった。208


 


司法試験を受験する前には、猛勉強をしたらしい。


私が子供の頃、祖母から聞いた話だが、


冬の寒い日の深夜、276


叔父が勉強している机の横には、


冷たい水を入れた洗面器が置いてあり、46


眠くなると、その水でマブタを濡らし目を覚まして勉強したそうだ。12356


祖母は体を壊すから「勉強はやめて寝てくれ237」と


何回も泣いて409頼んだが聞く耳持たず勉強し続けたそうだ405


そんな叔父は裁判官となった。21


 


当時の熊本には工場廃液の中の


水銀汚染された海産物を食べ


住民の体内に蓄積濃縮された水銀


神経系を蝕んだことが原因の水俣病事件があった。37


熊本地方裁判所の裁判官だった叔父は、


水俣病事件の裁判に立ち向かっていたのだが、


しばしば、水銀汚染を引き起こした会社が雇った暴力団


自宅周囲を取り囲まれて脅迫を受けていた。405


 


その裁判途上で胃癌になった叔父は、今の私と同じで他界した。339


葬儀のときに、祖母が叔父の遺体に向かって


母親より早くあの世に行ってしまってこの親不孝者が237」と言って


泣き崩れた406を、小学校時代だった私205は今でもはっきり覚えている。


そんな叔父が死ぬ前に私の父に言った事がある。


私に「医者になれ22」と。


 


その後何十年もかかって水俣病事件国の謝罪でようやく決着した。363


私は、形成外科医となりを作り続けている。418