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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

ベルリンでの国際形成外科学会の小耳症のセクションが終わった。


 


私はチェアマンで、もう一人、サブチエアマンマンがいたのだが、


その人が、これなかったため、


フランソワーズフィアミンが、急遽サブチエアマンをやることになった。


 


フィアミンは、通常のケースのみしか、出さなかったので


フロアーからの質問が出た。


「小耳症の中でも、ローヘアーラインの、ケースはどのようにするのか?」と。


彼女がローヘアラインのケースは、できないことがわかっていたので、


なんと答えるだろうかと、待っていたら、


「それは、永田が、次に述べます。」と、うまく逃げた。


 


そしてみんなの前でフィアミンは


「次のキーノートスピーカーは、私の友であり,師匠でもあるドクター永田です。」


と紹介した。


 


なにせ、私は通常のケースはもちろんのこと、


困難なローヘアーラインのケースや、作り直しのケースを


数多くいやと言うほど出したために、皆はただ、あっけに取られて唖然とするだけだった。


 


私の講演中には、ため息が漏れて、会場が静まり返ったことが伝わってきた。


終わったら大拍手。


そして質問も出ない。


聴衆は、ポカーンとしていた。


 


それが終わってから、一般演題が始まり、


イギリス・ロンドン大学から


「エキスパンダーか、それとも、血管膜か?」


と言う演題が出された、


私にその点を聞かれたので


「エキスパンダーは、小耳症に使ってはならない方法だ」と述べた。


 


「なぜなら、エキスパンダーで無理やり皮膚の表面積を増やしても


あとで必ず元の表面積に戻ろうとする張力が働き、移植肋軟骨が、


溶ける運命にある方法だ。そのような患者さんの作り直しを


私は今、行っているし、発表中にもそのようなケースを出したとおりだ。」


 


すると、韓国からエキスパンダーの発表をした医師は


「再建後2年すると、耳が、倒れてきた。」と述べたものだから


私の意見を裏打ちすることになった。


 


少なくとも、世界には間違った方法をやめさせるように、教育しなければならない。


かつて、エキスパンダーを使ったことのあるフィアミンも、


「永田と同じ意見だ。」と述べた。


 


このセクションが終了後には、例によって、


一緒に私と写真をとってくれと、せがまれ、写真撮影会となった。


 


また、[ウズベキスタン共和国」で来年開催する学会に


招待するから来てくれないか?」


と、誘いがあった。

今日も一日ごくろうさん。


「先生、ネットはそっちから持たないで!」


「いや、はすかいに持ったらいいのに!」


何時までたっても、気の合わない同士で、回診が終わり、でも、もしかしたら漫才としては成立してるかも・・・だってお母さんたち笑ってる。そしてそれからまた医局で残業です。


なんと○先生「今日は僕がおごりましょう!」と・・・。


「えっ。どうしたの?」 さてはがっぽり稼いだか?または竹やぶから小判でも拾ったか?


とにかくありがたくご馳走になる事となった。


○先生お気に入りのスタミナ弁当。毒子さんも、美味しい、美味しいとぺろりとたいらげ、私もやっと美味しいご飯にありついた。


このほか○先生のお勧めはケチャップたっぷりめのオムライス。ハムステーキ弁当。などなど。


すべて近くの弁当屋さん、あずまやさんの商品です。


しあわせやったあ♪

本日から公演される映画「ボルベール〈帰郷〉」

この映画・・・
ペドロ・アルモドバル監督の最新映画(スペイン映画)です。
主演はペネロペ・クルス

CIMG1004.jpg


ペネロペ・クルス・・・綺麗!!
本屋さんで普段は買わない雑誌ですが、ペネロペ・クルスが表紙になっていたのを見つけ、即購入してしまいました
うっとり~~~って感じ。。。

CMにも流れてきていますが、「主題歌・VOLVER」がものすごくイイ
NHKのスペイン語会話の本によると・・・
タンゴの曲で、ペネロペ・クルスがエストレリャ・モレンテの吹き替えで、フラメンコ風に歌っているらしい
「ボルベ~ル・・・」って。。。
私にとっては、とっても心地の良い音楽・・・

もちろん、私・・・
見に行く予定です
なので、結末はまだ言わないでねっ


さ~~~あ!


園長先生回診開始!・・・・・


と思ったら、


両下肢Ⅱ度熱傷の患者さんが!


12歳の女の子


どうも油がかかったようだ。


園長先生、毒子さん、奥様と3人で処置し、


そのまま入院!


女の子のお母さんは、以前永田クリニックに入院されていたので、


とんで来られたわけだ。


 


適切に処置し、入院して様子をみることに!


いやいや、今日も1日忙しい!


 


 


 


 


 

昨日は少し遅くなったが、


園長先生、


ゆっくりと回診(ガーゼ交換)してまわった。


散髪したり、抜糸をしたり、スポンジをはずしたり・・・と。


みんなおとなしくしてくれるので、


とってもやりやすい。


今日は予定通り2人退院した。


2人とも喜んで帰っていった。


 


さてさて、院長先生はベルリンから毎日ブログを更新している。


日本と変わらないペースで・・・


半年前までは考えられないくらいの


ブロガーになってしまった。


コンピューターをある程度使える人でも、


海外から更新する人は少ない。


ただ・・・


写真があれば、もっとリアルタイムに


生のベルリンの様子がわかるのだが・・・


なんとか院長先生にデジカメを教えないといけない・・・(笑)


 


10月は園長先生もスコットランドにいくので、


その時は現地から生の映像を送りたいものだ。


 


今日は朝から美容の患者さんと小耳症の患者さんを診察し、


午後からは・・・


園長先生回診だ。


 


 


 


 


 


 


 

ここドイツ・ベルリン国際学会場に着いてからは、


私が、世界中から招待されて、あらゆる学会で


かつて、知り合いとなった医者たちと、


数多く会えて、懐かしくもあり、


それらの医師が、今も第一線で活躍し続けており、


世界中の医者のその後を聞けて、


結構刺激的な毎日が続いている。


 


他人の顔を、世界で初めて、移植して、成功したオランダ・アムステルダム大学の


モシュ・コーン教授は、前、何回か会った時は、


禿げていたはずだが、今回はなんと、髪の毛が濃くなっていた。


付け薬なのか、移植したのかは不明だが。


 


背中の皮膚と脂肪組織を生きたままマイクロサージャリーで、


顔面全体に移植したロジャー・クーリー医師[アメリカ・フロリダ]は、


「ホテル予約を、私と同じ所にしていたのに入れず、


紹介されて入ったホテルが、犬小屋みたいに狭い。


また、この学会はプログラムのみで、アブストラクト集もプリントしていない。


ひどい。」と、文句タラタラだった。


ちなみに、クーリー医師は、前回よりも太っていて、


前回と同じように禿げたままだった。


 


明朝は、フェイスリフト手術を自ら受けて、若返った


ヨーロッパ形成外科学会会長、フランソワーズ・フィアミン女医[フランス・パリ]と、


小耳症のセクションで、再開するはずだ。

友人Mちゃんと「新丸ビル」に行ってきました
目的は・・・

「メイク」です

友人が「私、メイクしてもらいたいんだけど・・・」と・・・
早速、新丸ビル内にメイクをしてくれるサロンがあり、
こへ行ってみることに・・・

ここでは、メイクの仕方も教えてくれます。
アイメイクが苦手で、アイラインを入れた事がない私・・・
うわっ、すごっ
目が・・・ちっ、ちがう・・・

「ハイライトは何を使ってますか?」
 と聞かれたが・・・
 「ハイライトって何ですか???」

こんな感じで・・・メイクにウトイ私・・・
ひとつ、ひとつに大感激
担当の方に「面白い方ですね・・・」
と、言われてしまった

仕上がりは、「このメイク、二度とできません!」・・・って感じ
ここでの写真撮影は禁止だったので、撮れませんでしたが、
CIMG0996.jpg


こういう紙に使った道具や、ポイントを書いてくれました。

友人と私は満足、満足・・・
こういうのって、楽しい!!

Mちゃんはとっても美人!
メイクもいつもバッチリだし、お洒落で、憧れの女性です
見習って、頑張ってみようかしら・・・

       ムリっぽいなぁ・・・
       顔がまず、違うのよ・・・       

私が泊まっているホテルの隣には川を挟んで


「ベルリンドーム」と呼ばれる巨大な教会がある。


毎朝朝食を取る際に、この巨大教会がせまって、見える。


 


近くに行ってみると、


第2次世界大戦での銃砲跡を無数、壁や柱に残している。


しかも燃えた跡が黒くなっている所がある。


少しずつ修復がなされ始めた、と言った所だ。


 


観光客相手に、旧ソビエト占領時代の


軍人の帽子や、毒ガス用マスクなど、


怪しげな物を露天で、中近東から来た人たちが売っていた。


 


こんな所を見ても、この町、ベルリンの歴史の一部が垣間見える。


 


それにしても、巨大でりっばな教会ではある。


いかにも、かつてのヒットラーが好みそうな巨大建築物だ。


 


入り口は、


永田小耳症形成外科クリニックの玄関を


そのまま、巨大化したような形だった。[笑]。

帰りの飛行機のための、リコンファームをしたところ、


私の切符はOKなのに、


ジョージさんの切符は、名前のリストに載っていないと言われた。


このままではジョージさんは日本へ一緒に帰れなくなる。


あせったジョージさんは


まさに血の気が引き、


ホテルの人から教えてもらって、


アリタリア空港事務所まで行く羽目となってしまった。


 


タクシーでそこまで行く間は、どうなるだろうか?


と、ドキドキで、タクシーのソファーに座っても、


前傾姿勢だった。


 


やがて事務所に到着し、調べてもらうと


なんと、みよじと、名前とが逆転し、しかも、みよじが、イニシャルになって


コンピューターに、入っていたので、


わからなかったと言うことだった。


 


結局、問題は解決して、ほっとして、ふたたびタクシーに乗り


帰るときは、タクシーのソファーに後傾姿勢で帰ってきた。


相当ショックだったらしく


帰ってきてから、ぐったりとしていた。

会場を歩いていると


懐かしい顔がみえた。


ジーノ、リゴッチ教授だ。


向こうも、すぐ気がついて、握手となった。


 


以前、私がイタリア・ベローナの国立ベローナ病院に招待されて


小耳症デモンストレーション手術と、講演を行った所だ。


 


リゴッチ教授は、乳房再建が専門で


今回もその部門のキーノートスピーカーを行った。


そのそばには、日焼けした女医さんがいた。


 


私が、イタリアに行った際に、


ずっと宴会の時に私に、付きまとっていた女医さんだった。


鋭い目つきをし、


大きく胸元を開けたドレスを着ていたことを記憶している。


 


あの時は若かったが、今回は、ずいぶん年を取っていた。


「明朝の永田先生の耳の発表を、見に来ますよ。」と言っていた。


まだ、リゴッチ教授の元で働き続けていたのだ。


 


両者とも懐かしかった。

今日は11時15分から、ベルリンでの国際学会で、


Aesthetic Facial Conturing Surgery 「美容的顔面輪郭外科」


のセクションの、チェアマンを行いました。


 


このセクションで最も重要人物は、


台湾、チャングン大学の、ユーレイ・チエン教授でした。


キーノートスピーカー3人の中の一人です。


あとの2人はアメリカ人で、あまり、大したことは無い内容だとはじめから、わかっていました。


その3人のあとには、


7人の一般演題が続きました。


 


私は、肝心のユーレイチェン教授のみ、まず紹介しました。


しかも、丁寧に。


「最初の、キーノートスピーカーは、ユーレイ・チェン医師です。


チャングンメモリアルホスピタル、台北、台湾からです。」


と紹介して公演が始まり、公演が終わると、


「ありがとうございます、ユーレイチェン先生。最高の結果です。


質問はありますか?」


すると、ドイツからの質問者が、手を上げたので、指差すと


「最高の結果です。」ときた。


もう一人を質問させてから、


 


私は、ブラジル人のもう一人のチエアマンに、バトンタッチした。


 


その時点で、聴衆は、部分的に、外に出始めた。


ユーレイチェン教授の公演だけ、聞きに入った聴衆が多かったのだ。


このように海外では、聴衆も、はっきりと意思表示をする。


 


ブラジル人のチエアマンは、2番目、および、3番目の、アメリカ人の「キーノートスピーカー」


を紹介する時、私の紹介の仕方と比べて、やや「失礼な紹介のしかた」だったので、


むっとした顔をしていた。が、


ブラジル人は、かまわず、そんな、司会を続けた。


 


一般演題では、日本、スイス、コスタリカ、ドイツ、ドイツ、日本、チェコスロバキア


の順に、発表がなされた。


終わりごろには、ほとんど聴衆は少なくなっていた。


 


時間制限があるので、時間をオーバーする人には、「まとめに入れ!」と


促されているのだが、


それが理解できない日本からの教授は


原稿も用意してなくて、意味が通じない発音の英語で、ズルズル


まだ公演を続けようとしていた。


内容もぱっとしない。


 


さらに催促されて、ようやく終わった。


このような発表が最も困るのだ。


 


とにかく、12時45分終了のはずが、1時となって終わった。


 


終わってフロアーに降りると、3人が、私のそばへ、いつの間にか来て取り囲まれた。


「私は、キルギスタンから来た医者です。」と言うではないか。


キルギスタンは、旧ソビエト連邦から独立した国である。


そして、さらに言った「私は、永田法を使って小耳症手術を行っています。」


私は、答えようも無く一瞬「・・・・・」。


すると、「一緒に写真をとってもらいたいのです。」ときた。


 


その人と一緒に写真を取られたので、終わろうとしたら、


他の二人が、入れ替わり立ち代り、私と一緒に並んで写真をとっている。


国際学会に、行くといつもこれだ。


 


今日はまだ、小耳症のセクションでは無いのにだ。


 


私が壇上に上がって、司会をしているところのネームプレートに


大きく、「SATORU NAGATA 」と書いてあったので


私が終わるのを待ち構えていたらしい。


驚いた。


 


とにかく、無事、司会は終了した。


 


明日は、チエアマンとして、司会を、しながら、


小耳症のセクションを、やり、


自らも、キーノートスピーカーとして発表する日だ。


 


 


 


 


 


 


 

今日はようやく、ベルリン時間で、


朝6時に、起きました。日本時間では午後1時ですよ。


昨日までは夜中3時から眠れませんでした。


 


今朝はこちら時間の朝11時15分から、Chairmanをやらなければなりません。


その時間には眠気が来ない様にしなければいけないので、


朝風呂などに入り、調整しています。


 


こちらのホテルの部屋の中では、


いつものクリニックにいる時と同じ「赤い手術着」を着ています。


 


もうこちらで7時を超えたので


そろそろ着替えて朝食です。


 


 

今日は朝一番で「警察」へ・・・

悪い事をした訳ではありませんよ~~
運転免許書の更新です
警察の駐車場に入れないと困ると思い、早く出ました。
さすがに、警察の前で路駐はできませんからね・・・

わたしは、「優良ドライバー・ゴールド」です
  (運がいいだけかも・・・ね
なので、有効期限は5年・・・
5年前の自分の写真と今日撮った写真では・・・
やはり、老けたかっ・・・
いつも思うが、何で免許書の写真って、こんなに写りが悪いのだろう…
(写真のせいにしているが・・・)

よく見ると、目の大きさは違うし、口角の高さも左右違うじゃない・・・
まぶたが腫れぼったいな・・・
ん!?太ったか・・・、いや、たるんだのかっ!!

など、など・・・
気になる所がいっぱいに・・・

園長先生に「治しましょうか??」と言われそうだが・・・

まぁ、30分の講習を受けて無事新しい免許書を頂けた。
結構疲れた・・・。

昨日は2名もの方が、交通事故で亡くなられてるとか・・・
ほぼ毎日運転している私も、気を付けよっと

今日の夕食も歩いて10分のところにある日本食の店に行った。


この店は「五行」と言って、日本人がやっている店なので


安心できる。


しかも日本語が完全に通じるのでさらに安心だ。


店の前には日の丸がどーんと目立つ。


客は私とジョージさんを除くと、


すべてドイツ人で、いつ行っても、しっかりと客が入っている。


 


東側のベルリンにおいては、唯一、本物の日本食の店だ。


ドイツ人が皆、お箸を使いこなして、すしを、注文して食べている。


ただし、味噌汁だけは、スープのように、「さじ」を使って飲んでいた。


 


湯豆腐と、太巻き寿司、味噌汁、湯豆腐、そして、


メニューには無かった「納豆の細巻き」と、「かんぴょう巻き」を、注文したら、作ってくれた。


ラッキーだ。


二人とも喜んで食べた。


本物だった。


ベルリンでつかんだ幸せなひと時だった。


 


「アジアン・テイスト」などと、「アジアン」と言う名に、だまされ入って食べたら、


ベルリンでは、とんでもなく、まずい物が出てくるので要注意だ。


また、「ラーメンショップ」と言う店では、


「スパゲッテイースープ」が出てくるそうでこれも要注意。

今回のベルリンでの国際学会では、会場が、


コンベンションセンターなので、


ホテルとは別なのだ。


 


だから皆は、周囲のホテルからそこへ通っている。


あまり休むためのソファーなども無いため、


自分の発表が終わったらホテルへ帰って休むしかない。


だから、ちょっと疲れるのが難点だ。


私の滞在するホテルから会場までは、約10分強かかる。


 


その間に、雨にばかり見舞われる人もいる。


幸いにもこれまで、私はあまり雨にはあっていないので、ラッキーだった。


 


ポスターになってしまった人などは、


ポスター展示無しの、コンピューター展示なので、


ほとんど誰も見てないようだ。


 


今回の国際学会では、


アメリカからこれまで出ていた半額にも上る資金援助が


無くなったため、ドイツサイドもさすがに当てが外れて困ったのか、


プログラムは配ったものの、アブストラクト集の印刷物は無く、


変わりに単なるCDで、見ても、誰の物かも目次が無く、見る気も無くなる。


開催国としては、準備不足で失格だ。


 


皆は、不満を漏らしていた。


 


 


 


 


 

今日の昼間は和食の店に行って


やっと本物のうどんを、食べることができました。


今日は19度あり、比較的寒く感じない日となっています。


こちらは午後4時になろうとしていますが、日本は夜11時ですね。


皆、元気ですかー?


 


ベルリンでは定期的に、雨が降っては、やみ、といった日々です。


明日は、ユーレイ・チェン教授が、顎顔面外科の


キーノートスピーカーをするセッションがあり、


私は、その、チエアマンをやる予定です。


 


会場で、ユーレイ教授と出くわし、「あっ、私のチェアマン。」と言われました。


「私の教え子のズン・チャン・チェンは、元気ですか?」と聞くと、


「いい耳を作って元気ですよ。」と、答えたので、一安心だった。


 


 

ベルリンには緑が多く


鳥がそこに暮らしています。


ホテルの窓から見える公園の森から


そびえる教会の屋根の周りを数多くの鳥がとびかっています。


 


今泊まっているホテルは新しい斬新なつくりをしているところで、


エントランスを入ると、


周りを11階建てのホテルの建物で


ぐるりと囲まれた広場となっています。


その広場の真ん中には


これまた、巨大な円柱のモニュメントがあります。


そのモニュメントは、建物の高さの2階までは支えの構造となっており


2階部分から11階部分にいたるまでは、


超巨大な円柱強化ガラスで囲まれており


その中に大量な海水が入れられており、


海水魚が、回遊しています。


 


エレベータもガラス張りとなっており


そのどこからも


この超巨大円柱水槽が目前に見えます。


今朝は、潜水服を身につけた人が二人も水槽にもぐり


水槽の中から掃除をしていました。


まるで魚と人が深い海水中で泳ぎ回る


ところを見ながらのエレベーター・ショウとでも言ったところです。


 

このドイツでの国際形成外科学会の開催中に


また4年後の、国際形成外科学会は


どこで開催するのかを、投票で選ぶ事になっている。


 


開催国として立候補していたのは


カナダとインドとチリだったのだが、


 


投票の結果


1位カナダ・バンクーバー。


2位インド・ニューデリー。


3位チリ・サンチアゴ。


となった。と、


カナダ・エドモントンの、アルバータ大学形成外科の


ゴールド・ウィルキス教授が教えてくれた。


 


予想どうりの結果だ。


カナダの中でもバンクーバーは


太平洋側で、日本に近いので


まだ時差が少なくて良い。


 


ウイルキス教授は、ドイツ・ベルリンにあるカナダ大使館に報告しにいかなければならない


と忙しそうだった。


 


彼が言うには


「4年後カナダで開催する国際形成外科学会の小耳症レクチャーは


もう、永田に決まっているよ。」と、言っていた。


 


 

こちらドイツでの


国際形成外科学会のプログラムを見ると、


小耳症に関するセクションの演題状況は、


まず、


キーノートスピーカーとして、私と


私の教え子のフランスの、フランソワーズフィアミン女医。


 


他に、一般演題としては、ドイツから2演題。


イギリスから2演題。


韓国から2演題。


あと、1演題出てる国が


オーストラリア、セルビアモンテネグロ、中国となっています。


 


私は、議長なので、時間配分を考えながら、


このセクションを司会もしながら、進行させなければなりません。


それぞれの抄録をあらかじめ、チェックしておき


質問時間をも含めて計算しておかねばなりません。


いろいろ気を使います。


 


それにしても、


小耳症部門の発表演題が、国際学会となると、


日本からは、私以外には無いという事が、


ちょっと寂しいような状態です。


 


 

私ごとですが、昨日6月27日は

「My Birthday」 (スペイン語では Mi cumpleaños かな・・)

高校時代の友人がお祝いしてくれることになっていました
スペイン人の友人Gさんがそれなら私が料理を作ってあげるよ!!と・・・

スペイン人のGさんはご存知のとうり、私の行きつけのスペインバルのプロデュースした方で、そこでコックをしたり、時には料理教室を開いたり・・・
そんなGさんの料理は最高に美味しい
誕生日会を料理教室の場所で開いてくれるってことに!!

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料理教室っていうから、雰囲気は期待していなかったが、
こんなステキにセッティングされていました。 

次から次へとコース料理が・・・
はじめに「いわしの酢漬け」 (写真撮りそこねたっ!!)
思ってたイメージと違って、美味しい!!

そして2皿目
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「タコのガリシア風(たぶん・・・)」   これは、ジャガイモが下に敷き詰められていて、タコの上にパプリカがかかっています。ほんの少し辛くて美味しい!!

3皿目
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「スペイン風オムレツ」   
  中にエビがたくさん入っていて、美味しい!

4皿目
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「モンゴイカの鉄板焼き 墨ソース」
  これは、おそらく行きつけのバルでも出されているメニューかな?   イカ墨ソースがかかっていて、モンゴイカは噛みやすかった。

5皿目
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「肉のパエジャ」
  イベリコ豚と、鳥肉のパエジャです。よく魚介のパエジャは食べるけど、肉のパエジャは食べた事がなかったので、リクエスト!!
味が濃いのが、結構好きなので、美味しかった。おこげも最高!!もちろん、イベリコ豚も!!

ここで、Gさんの友人であり、私も一度お会いした事のあるスペイン人のAさんが来られました。
もう、美味しい料理は、私と友人のAちゃんで食べ尽くしてしまい、
残っているのは「パエジャ」のみ・・・
ごめんなさいね・・・Aさん

そして、最後にビックリのプレゼント!!
スペイン人のGさんとAさんがスペイン語で
Happy Birthday to you~~」の、あの歌をうたいながらケーキを・・・

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これには、感動、感動・・・
私がイチゴ、生クリームが好きなのでGさんは作ってくれました。
中はたっぷりの生クリーム・・・周りにたくさんのイチゴ…
おいし~~~い

この料理・・・レストランで頼んだらいくらのコース料理かしらっ
これが、ぜ~~んぶタダで食べれて
おまけにスペイン文化に触れながら
楽しい時間
なんて、幸せな○歳の誕生日・・・
最高の思い出となりました


Gさん、Aさん。そして、ステキなプレゼントまで用意してくれた親友のAちゃん、ありがとう!!!!

風呂から上がったら、


こちら、ベルリンでは、もはや夜の10時


日本では午前5時。


ジョージさんは睡魔が襲っている。


 


私はこのブログを書いていたのでかろうじて起きている。


早くこちら時間に体を合わせたいとの思いで起きている。


しかし、それも限界に近い。


 


そろそろ、日本の皆が目覚めようとするころになって


こちらでは、「おやすみなさい」ということになる。


それではまた、明日。


 


「おやすみなさい。」


いや日本の皆には、「おはよう。」


 


そろそろ寝るぞーー。


コメント、よろしく入れてください。


おきたら見ます。


 


 

このあたりは、元は東ベルリンだったところで、


西ベルリン地区と違って、


寂しいところだったのですが、


開発が進んで、


新しい町となり、生まれ変わって来ている所です。


 


なにせ、古い建物と、新しい建物とが混在している場所です。


以前、東西を仕切っていたブランデンブルグ門から


2キロ以内の場所になります。


古い教会のそばに新しいテレビタワーがそびえています。


今から東京に建設しようとしている新しい東京タワーと同じ形です。


カナダのトロントのテレビタワーと同じ形です。


カナダのより低いのですが。


 


あー、急に睡魔が襲ってきました。


まだこちらでは夜9時半です。


まだ、明るいですよ。


でも日本では、午前4時半です。


時差が、きつい。


今から、お風呂です。


 


 


 


 

今こちらの時間は夜の9時ですが、


日本時間は、こちらより7時間早いので、午前4時です。


日本の皆は、今まさに、睡眠中でしょう。


私の体はまだ日本時間ですが、こちらの時間に合わせて食事をしているので


こちらで、夕方8時に、夕食をとりました。日本では午前3時です。


体がまだついていけない状態です。


なんとかやっと見つけた日本食レストランで食事が出来てほっとしています。


なんと日本人ばかりでやっているお店だったので


まともな味でした。


なにせ、夜9時でもまだ明るい状態です。


 


このホテルでの地下には、ヌードルの店がありますが。


まったく偽者の極みで、がっかりさせられました。


お茶には、角砂糖が添えられていたくらいですよ。モー。


ヌードルは,油がベッチョリで、とても食べられてものではありませんでした。


 


外では雨が降ったりして風は強く、寒いですよ。


このようにベルリンでは寒いというのに、


ギリシャのアテネでは、42度という猛烈な暑さのために


死者が出たというニュースが流れています。


 


北ヨーロッパと南ヨーロッパではこのように気温差が激しい状態が続いています。


 

今日の午後、ベルリンの国際学会会場で、


もと、アメリカ形成外科学会ジャーナルの、


編集長、ロバート、ゴールドウイン教授と久しぶりに再開した。


彼はハーバード大学の臨床教授でもあった人だ。


もはや、80歳近い人だ。


彼は講演の直後だったので、花束をたくさん抱えていた。


ドイツでの歓迎ぶりが理解できる。


 


台湾のチャングン大学の


マイクロサージャンであるフー・チャン・ウェイ教授と話をしていた。が、


 


ゴールドウイン教授と、目線があったとたん、まずは握手。


そして私と、周りにいる人に語った。


 


「アインシュタインの相対性理論の論文を、最初に載せた科学雑誌は、


初めは、アインシュタインの理論を、誰も信じることが出来ずに、


論文記載を行った科学雑誌の編集長は、この論文を記載した事を非難されたのだ。


しかし日がたってから、この論文が人々にようやく、理解されるようになった後からは、


先見の目があった科学雑誌の編集長は、逆に高く評価されるようになった。


 


それと同じように、それまでは、小耳症は、ブレント法で代表されるように


今までは、4回以上手術しても、


完全な耳を作る事は、不可能だと考えられてきた領域だった。


 


そこに、突然、永田ドクターの2回の手術で、完全な耳を作れる、という4個もの論文を


1992年、1993年、アメリカ形成外科ジャーナルに6個もの永田の大論文を掲載した後、


同じように最初のうちは、編集長として、非難された。


 


だがそのうちに、評価は逆転し、


こんなすばらしい天才をどうやって見つけたのか?


と、逆に、編集長として、皆から、先見の目があった事を、ほめられるようになった。


私が、編集長時代に成した仕事として、最高の仕事だった。」と述べた。


これは私にとっても、生涯最高のほめ言葉となった。


 


それを聞いていたフー・チャン・ウエイ教授は、すかさず、言った。


「私の大学の、マイクロサージャリーの優秀な教え子である、ズン・チャン・チェン医師を、


永田医師の下へ、1年間留学させて学ばせたところ、


現在では、最高の耳を作れる医者に成長させてもらえました。


現在は、台湾ダントツ最高の耳つくりが、出来るようになりました。


永田医師のおかげです。」


と、ゴールドウイン教授に語った。


 


私は両教授に「ありがとうございます。」と述べた。


正直、私はうれしかった。


 


「ところで、ゴールドウイン教授のターニャ婦人はお元気ですか?」と質問すると、


ほぼ同時期に、トイレから出てきたターニャ婦人が、ニコニコと握手を交わしてきた。


高齢にもかかわらず、二人ともお元気そのものだった。


非常に感激したひと時だった。


 


 


 


 


 


 


 

院長がいないので、張り切ってるのは一人だけじゃない。


○先生も本日は大活躍。いつもの仕事に院長の仕事が加わって、大忙し。


朝から外来の患者さんの手術をして、昼過ぎからは回診を行った。


最初は余裕で「院長、いつもこうやってするんですよね」と軟膏のチューブをぎゅ~~っと絞ったり、顔を創部にくっつけるようにして見たりして院長のまねをする。


「先生、言い付けますよ」と言いながらなんだかおかしくて、


「○先生、院長は絆創膏はそうやって貼りませんよ」


「いいえ、永田先生はこうやって貼りますよ」とほとんど漫才のようなやり取りになったが、お母さんたちには大いにうけた。


が、間で外来の患者さんを見たり、レーザーを打ったりするので、だんだん二人とも必死になり、疲れ果てて一日が終  わった。


でもすべての仕事が終わったわけではないので、今、残業しています。


○先生もまだ仕事をしています。


だから○先生に感謝を込めて、今サラサラカレーを作っているところです。


お疲れ様でした。

コンピューターを、ジョージさんが持ってきていたのでこのブログを、


今ベルリンから書いています。


便利な世の中となったものです。


 


夕べ,夜遅く、ベルリンへ着きました。


べルリンの空港は、ジャンボジェット機が、発着できない小さな空港のために


日本からジャンボジェット機ではいけません。


ですから、イタリアのミラノ空港へ降りて、


ミラノで、2時間待ちとなり、


小さなジェット機に乗り換えて、ベルリンへ入りました。


 


ですから成田を発ってから15時間以上たって、ようやく到着しました。


こちらは日本時間から遅れる事、7時間です。


 


ミラノは30度以上で、暑かったのですが、


ベルリンはなんと13度位で寒いです。


冬みたいですよ。


サムーーー。


 


朝は目玉焼きとソーセージ、ハム、果物、ジュース、お茶でした。


なんとキュウスに入ったお茶がホテルに用意されていました。


ラッキーです。


でも味が薄い薄い。


そこで、ソウル大学の教授と出くわし、


一緒に写真をとってくれとせがまれて、さっそく写真を取られてしまいました。


 


国際形成外科学会は昨日から、すでに始まっていますが


今朝は、会場へ行って、プログラムをもらいました。


 


私は、29日午前中に、顔面外科のセクションの議長。


そして30日には、「小耳症のキーノートスピーカー、及び、座長」をやることになっています。


 


今回の国際形成外科学会は、非常にポスターセッションに回された演題が多く、


日本の大学病院からの演題も、大多数が、ポスターに回されてしまっています。


 

院長がベルリンへたち、
何だかクリニックが静まりかえっているような・・・
いつも会うたび、「ブログ書いて」と言われるのだが、
さすがに今日は言われない・・・
と、思ったら・・・

奥様こと事務長より
「ブログ書いてね」
と・・・
仕方ないので書き出しました。
ネタは・・・ないので困っていたら、
ちょうど、電話が鳴りました。
院長あてだったのですが、
以前私が一緒に働かせて頂いた形成外科の先生でした
私がまだ新人で何もわからなかったころ、その先生の手術に感動し、形成外科に興味を持つ事ができたのです。
このクリニックに居るのも、原点はその先生のおかげかも・・・
と思える尊敬する先生の一人です

しかし、その先生は私の名前をお忘れに・・・
必死で思い出そうとして下さったのですが・・・
そりゃあ、私が新人の頃で・・・
使い物にならなかったナースの事なんて忘れて当然か・・・
10年も前の事ですし・・・
くすん・・・

ショックでしたが、思いがけない電話での再会に嬉しかったカルメンでした

院長が、やっと出かけていきました。


毎回、もう大騒ぎ。


開院以来のスライドが入ってる段ボール箱が院長席の周りを取り囲み、その山の陰でバシバシブログを打っている。


「ねえいい加減片付けて」と頼んでも


「もうすぐ整理するから」とほったらかしているから、出かける直前が大慌て。スライドの整理が間に合わないと言って、結果大騒ぎとなる。


何年か前に買った高いデジカメ使えばいいのに、なんせ、インターネットも強引にアナログにしてしまう人だから、余計に時間と手間がかかるだけ。


荷物もタバコの心配だけはして、後は全部人任せなので、私も院長の荷物を作るのだけは早くなりました。


とりあえず出かけてしまえばコッチのもので、灰だらけの医局も院長のデスクもそうじして、すっきりしたところです。


「事務長さん、最近ブログ書かないんですか?」と聞かれるけど、たまに書いてもすぐ院長がバチバチ打ちまくり、あっという間に私のブログは行方不明になっちまう。報われない努力はしたくない。


他のスタッフも院長のその勢いに恐れをなして「院長、すごいですよね、」と腰が引けている。


でも、今がチャンスだよ。


さすがに院長も飛行機の中ではブログは書けまいから、ね。


 

今日も、初診の方が来られた。


まだ生まれて間もない小耳症の方と、もう初老期の小耳症の方。


どちらとも予約を取りお帰りとなった。


 


前々から、このブログでも述べているように、


あらゆる大学病院で手術された小耳症手術は、


血行が悪く耳の形が不完全なために


ほとんど、全ての小耳症の症例が、移植肋軟骨が融けてきて、今作り直しが必要となり、


続々と、永田小耳症形成外科クリニックへ作り直しを希望して、


患者さんが殺到している。


 


いつどこで誰がどんな手術をしていたか


日本中の小耳症の症例が手に取るようにわかる。


 


いくら隠蔽しようとしても


実際に私は作り直しを行っているために


その現実と真実を


全て知ってしまう立場となっている。


 


とにかく植皮だけでの耳おこし手術は、全滅だ。


そして今も日本中で、そのような手術が行われている。


将来必ず作り直しとなる。


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明日持っていく荷物をバックに詰めて、


やっと一安心。


 


と思ったら、


肝心の原稿を入れ忘れていたことに気がつき、


またまたバッグをあけて入れなおす。


いやいや、


さすがに肝心の原稿を忘れては


なんともならないので、気がついてよかった。


 


もう忘れ物はないだろうか・?


ないない。


と自分を自分で安心させています。