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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

小耳症治療を専門として生きている形成外科医は


世界的にも限られている。


 


だから世界中の形成外科医が


どのような小耳症治療を行っているのかは


国際的な欧米の学会にいつも呼ばれている私は


手に取るようにわかる。


またイギリス形成外科学会誌に世界中から、送られてくる小耳症の


論文の審査員も私がおこなっているので、さらによくわかる。


 


世界中から、同じような顔ぶれがいつも集まってくる。


そして、それを見た若い医師たちが


私の元へ留学したり、見学したりしてきたために


現在は大部分が私の教え子となってきた。


 


そもそも教え子達は


その国を代表する病院から選ばれた才能ある形成外科医が


私の元へ送られてきていたために、


国に帰っても小耳症治療に専念する環境にある人達である。


 


彼らは経験を重ねて、ようやく、私の手術法を自分の手で理解し獲得していく。


わからないときは、その国で手術をして、教えに行っている。


そんな事を私は、毎年行ってきた。


そして国際的な学会となればその成果を見せてくれる。


それが、また楽しみとなる。


 


私の教え子達は英語圏の人たちが多く、


私よりもよっぽど英語が堪能なので


ブレント法、や、その他の方法などは、私の教え子から、痛烈にたたかれる事になる。


現在は純粋なブレント法をやる形成外科医は


先進国ではほとんど消滅しようとしている。


ブレント自身も、私の方法を取り入れようとしているくらいだ。


ましてや、タンザー法などは、とっくの昔に消滅した。


 


残念ながら、日本国内では、いまだにブレント法よりも古いタンザー法もどきの手術を


大学病院でも行っているところが多いので、


私の元へは、それらの作り直し手術を求めて来られる患者さんが非常に増加した。


 


このブログでもその手術をしばしば紹介している。


 


国内の学会ではいくら発表をしても、


コンセンサスをまとめ、どのような手術が正しいのか、というような


まとめと指導がないために、


いまだに、


施設により、てんでん、ばらばらの手術法となっているのが実情だ。


 


ある教授などは「どんな方法でも良いではないか。」などと、


無責任極まりない事を言う。


そんな人は、いまだに、タンザーモドキの手術をする人だ。


いや、それしか出来ない進歩についていけない人だ。


 


学会としてのサイエンスのまとめをする事が出来なければ、


学会は、国民のために役立つ事はない。


時間の無駄となる。


 


科学者としては、サイエンスをサイエンスとして扱ってくれる海外の学会


へ、発表する事に力を注ぐようになってしまうのは当然の結果だ。


 


 


 


 


 


 


 


 


 

五感が鋭ければ、いろいろ楽しい事がある。


五感で物を感じ、判断する。


 


五感の鋭い人は、その場の空気を読める。


言葉だけでなく、その裏まで読めるから


その場にぴったりの反応が帰ってくる。


 


そうするとそれに反応した人から


また返答が来て話がどんどん進むようになる。


すると内容が深い話となってくる。


深く理解できる程、充実した会話となる。


 


しかし、五感が鈍い人は、その場の真実と言葉の裏が読めずに、


表面上の言葉だけの判断となる。


すると、ちぐはぐな話しか出来なく、話が進行する事がなくなる。


相手もあきらめるからだ。


 


五感は鍛えるべきだ。


 

自分だと思うと細かな事まで気になる。


しかし、他人のことは、さほど気にならない。


だから逆に他人から見れば、自分の事など、そこまで見てもいないのだ。


 


自分を別の自分から客観的に、外から眺めてみれば、


それが理解出来るようになる。


 


そうなると自分は多くの人の中の単なる一人なのだ。


自分を他人として見てみると


今までは気になっていた細かな事も気にならなくなる。


 


そう考えると細かな事で消耗しなくなる。


 


 


 


 


 

計画的に人生は運ばない。


だから面白いのかもしれない。


思ったとおりに事が運び過ぎても、おもしろくない。


 


意外な転機となる事もある。


タイミングが、そうさせている事もある。


なかなか先が見えないわからない人生。


 


しかし筋は1本貫き続けたい。


そうでないと、自分でなくなってしまうから。


 


自分が自分であることを実感する事がなくなれば


すべては、無になってしまう。