会場を歩いていると
懐かしい顔がみえた。
ジーノ、リゴッチ教授だ。
向こうも、すぐ気がついて、握手となった。
以前、私がイタリア・ベローナの国立ベローナ病院に招待されて
小耳症デモンストレーション手術と、講演を行った所だ。
リゴッチ教授は、乳房再建が専門で
今回もその部門のキーノートスピーカーを行った。
そのそばには、日焼けした女医さんがいた。
私が、イタリアに行った際に、
ずっと宴会の時に私に、付きまとっていた女医さんだった。
鋭い目つきをし、
大きく胸元を開けたドレスを着ていたことを記憶している。
あの時は若かったが、今回は、ずいぶん年を取っていた。
「明朝の永田先生の耳の発表を、見に来ますよ。」と言っていた。
まだ、リゴッチ教授の元で働き続けていたのだ。
両者とも懐かしかった。
今日は11時15分から、ベルリンでの国際学会で、
Aesthetic Facial Conturing Surgery 「美容的顔面輪郭外科」
のセクションの、チェアマンを行いました。
このセクションで最も重要人物は、
台湾、チャングン大学の、ユーレイ・チエン教授でした。
キーノートスピーカー3人の中の一人です。
あとの2人はアメリカ人で、あまり、大したことは無い内容だとはじめから、わかっていました。
その3人のあとには、
7人の一般演題が続きました。
私は、肝心のユーレイチェン教授のみ、まず紹介しました。
しかも、丁寧に。
「最初の、キーノートスピーカーは、ユーレイ・チェン医師です。
チャングンメモリアルホスピタル、台北、台湾からです。」
と紹介して公演が始まり、公演が終わると、
「ありがとうございます、ユーレイチェン先生。最高の結果です。
質問はありますか?」
すると、ドイツからの質問者が、手を上げたので、指差すと
「最高の結果です。」ときた。
もう一人を質問させてから、
私は、ブラジル人のもう一人のチエアマンに、バトンタッチした。
その時点で、聴衆は、部分的に、外に出始めた。
ユーレイチェン教授の公演だけ、聞きに入った聴衆が多かったのだ。
このように海外では、聴衆も、はっきりと意思表示をする。
ブラジル人のチエアマンは、2番目、および、3番目の、アメリカ人の「キーノートスピーカー」
を紹介する時、私の紹介の仕方と比べて、やや「失礼な紹介のしかた」だったので、
むっとした顔をしていた。が、
ブラジル人は、かまわず、そんな、司会を続けた。
一般演題では、日本、スイス、コスタリカ、ドイツ、ドイツ、日本、チェコスロバキア
の順に、発表がなされた。
終わりごろには、ほとんど聴衆は少なくなっていた。
時間制限があるので、時間をオーバーする人には、「まとめに入れ!」と
促されているのだが、
それが理解できない日本からの教授は
原稿も用意してなくて、意味が通じない発音の英語で、ズルズル
まだ公演を続けようとしていた。
内容もぱっとしない。
さらに催促されて、ようやく終わった。
このような発表が最も困るのだ。
とにかく、12時45分終了のはずが、1時となって終わった。
終わってフロアーに降りると、3人が、私のそばへ、いつの間にか来て取り囲まれた。
「私は、キルギスタンから来た医者です。」と言うではないか。
キルギスタンは、旧ソビエト連邦から独立した国である。
そして、さらに言った「私は、永田法を使って小耳症手術を行っています。」
私は、答えようも無く一瞬「・・・・・」。
すると、「一緒に写真をとってもらいたいのです。」ときた。
その人と一緒に写真を取られたので、終わろうとしたら、
他の二人が、入れ替わり立ち代り、私と一緒に並んで写真をとっている。
国際学会に、行くといつもこれだ。
今日はまだ、小耳症のセクションでは無いのにだ。
私が壇上に上がって、司会をしているところのネームプレートに
大きく、「SATORU NAGATA 」と書いてあったので
私が終わるのを待ち構えていたらしい。
驚いた。
とにかく、無事、司会は終了した。
明日は、チエアマンとして、司会を、しながら、
小耳症のセクションを、やり、
自らも、キーノートスピーカーとして発表する日だ。
今日はようやく、ベルリン時間で、
朝6時に、起きました。日本時間では午後1時ですよ。
昨日までは夜中3時から眠れませんでした。
今朝はこちら時間の朝11時15分から、Chairmanをやらなければなりません。
その時間には眠気が来ない様にしなければいけないので、
朝風呂などに入り、調整しています。
こちらのホテルの部屋の中では、
いつものクリニックにいる時と同じ「赤い手術着」を着ています。
もうこちらで7時を超えたので
そろそろ着替えて朝食です。

悪い事をした訳ではありませんよ~~
運転免許書の更新です

警察の駐車場に入れないと困ると思い、早く出ました。
さすがに、警察の前で路駐はできませんからね・・・

わたしは、


(運がいいだけかも・・・ね

なので、有効期限は5年・・・
5年前の自分の写真と今日撮った写真では・・・
やはり、老けたかっ・・・

いつも思うが、何で免許書の写真って、こんなに写りが悪いのだろう…
(写真のせいにしているが・・・)
よく見ると、目の大きさは違うし、口角の高さも左右違うじゃない・・・
まぶたが腫れぼったいな・・・
ん!?太ったか・・・、いや、たるんだのかっ!!


など、など・・・
気になる所がいっぱいに・・・

園長先生に「治しましょうか??」と言われそうだが・・・

まぁ、30分の講習を受けて無事新しい免許書を頂けた。
結構疲れた・・・。
昨日は2名もの方が、交通事故で亡くなられてるとか・・・
ほぼ毎日運転している私も、気を付けよっと

今日の夕食も歩いて10分のところにある日本食の店に行った。
この店は「五行」と言って、日本人がやっている店なので
安心できる。
しかも日本語が完全に通じるのでさらに安心だ。
店の前には日の丸がどーんと目立つ。
客は私とジョージさんを除くと、
すべてドイツ人で、いつ行っても、しっかりと客が入っている。
東側のベルリンにおいては、唯一、本物の日本食の店だ。
ドイツ人が皆、お箸を使いこなして、すしを、注文して食べている。
ただし、味噌汁だけは、スープのように、「さじ」を使って飲んでいた。
湯豆腐と、太巻き寿司、味噌汁、湯豆腐、そして、
メニューには無かった「納豆の細巻き」と、「かんぴょう巻き」を、注文したら、作ってくれた。
ラッキーだ。
二人とも喜んで食べた。
本物だった。
ベルリンでつかんだ幸せなひと時だった。
「アジアン・テイスト」などと、「アジアン」と言う名に、だまされ入って食べたら、
ベルリンでは、とんでもなく、まずい物が出てくるので要注意だ。
また、「ラーメンショップ」と言う店では、
「スパゲッテイースープ」が出てくるそうでこれも要注意。
今回のベルリンでの国際学会では、会場が、
コンベンションセンターなので、
ホテルとは別なのだ。
だから皆は、周囲のホテルからそこへ通っている。
あまり休むためのソファーなども無いため、
自分の発表が終わったらホテルへ帰って休むしかない。
だから、ちょっと疲れるのが難点だ。
私の滞在するホテルから会場までは、約10分強かかる。
その間に、雨にばかり見舞われる人もいる。
幸いにもこれまで、私はあまり雨にはあっていないので、ラッキーだった。
ポスターになってしまった人などは、
ポスター展示無しの、コンピューター展示なので、
ほとんど誰も見てないようだ。
今回の国際学会では、
アメリカからこれまで出ていた半額にも上る資金援助が
無くなったため、ドイツサイドもさすがに当てが外れて困ったのか、
プログラムは配ったものの、アブストラクト集の印刷物は無く、
変わりに単なるCDで、見ても、誰の物かも目次が無く、見る気も無くなる。
開催国としては、準備不足で失格だ。
皆は、不満を漏らしていた。