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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

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8月10日のローヘアーライン小耳症手術の術前を示す。


耳があるべき場所を書いてみると、耳の上3分の1には髪の毛が生えている。


耳垂は遥か前方に存在する。


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頭から血管膜を起こした。


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肋軟骨4本を採取して、3次元肋軟骨フレームを作成した。


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昨日の手術と同様に血管膜で、移植した3次元禄軟骨フレームをカバーした。


耳の下半分は皮弁でカバーしている。


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あらかじめ頭から採皮しておいた皮膚を血管膜の上に移植した。



その1

このブログの写真は小耳症治療をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

小耳症手術による合併症
一過性の顔面神経麻痺 浅側頭動・静脈の血行不良による植皮の生着不良 感染、移植軟骨の露出 気胸 術後肺炎
縫合不全 ハゲ 床ずれ その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。


その2

このブログの写真は耳介形成術をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

耳介形成術による合併症
 感染、 縫合不全 その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。



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8月9日の、ローヘアーラインを伴う異所性耳垂手残存型小耳症手術。


上の写真は術前を示す。


赤マジックで、耳が存在すべき場所を書いたところ。


髪の毛が耳上半分はえている。


耳垂は、前方に離れて存在している。


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最終デザインを示す。点線は血管の走行を示す。


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3次元、肋軟骨フレームを示す。


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頭皮を薄く採取したところを示す。


毛根を含まないように採皮している。


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耳のあるべきところの毛根部を切除して、下に置いてある。


この髪の毛が生えなくしたところに、3次元肋軟骨フレームを置く。


頭からは血管膜を起こしてくる。


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3次元肋軟骨フレームを、血管膜でカバーした所。


これで移植した肋軟骨が生きることになる。


耳の下半分は、皮膚弁でカバー出来ている。


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血管膜の上に、あらかじめ頭から採皮していた毛根を含まない皮膚を


移植した。


頭の赤いところは治って髪の毛が生える



その1

このブログの写真は小耳症治療をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

小耳症手術による合併症
一過性の顔面神経麻痺 浅側頭動・静脈の血行不良による植皮の生着不良 感染、移植軟骨の露出 気胸 術後肺炎
縫合不全 ハゲ 床ずれ その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。


その2

このブログの写真は耳介形成術をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

耳介形成術による合併症
 感染、 縫合不全 その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。



今日は長崎の原爆記念日だった。


私は長崎の爆心地に


最も近い城山小学校に通っていたので、


毎年8月9日になると、


夏休みなのだが小学校に行って


原爆投下時間になるとサイレンが鳴り、


黙祷をささげた。


そして、


原爆に関する話を色々聞かされたものだ。


 


例えば、城山小学校では当時、


全校生徒が、


校庭に白い体操服で整列し、ぎっしりと並んでいた。


そこに突然、敵機の爆音が聞こえ、


長崎上空に機影が見えた。


「皆、そのまま校庭に伏せなさい!」と、


教師が指示した。


 


子供たちは言われたとおり


校庭に整然と並んだまま


伏せた。


そして、原爆投下。


上空で炸裂した原爆は、


灼熱地獄と化した。


校庭に整然と伏せた子供たちは


そのまま、整然と、白骨と化した。


その校庭の白骨が整然と並ぶ写真は、


とても悲しい。


長崎市民は瞬時にして、10万人が亡くなった。


 


生き残った人達も、


体中の皮膚が厳しい熱傷によりはがれ、


その皮膚は体から、ぶら下がり、


脱水によリ、水を求めて


さまよった。


 


体は熱く激痛のため、


多くの人達は


体を冷やしたくて、浦上川に集まって来た。


次から次へと


川に飛び込み体を冷やしたかったのだ。


川に飛び込み、


人々は、次々と、息絶えた。


浦上川には、多くの死体が、


ゆっくりと流れた。


風が吹くと、


人々の体から燐が燃え、


おびただしい人魂が飛び交った。


 


「水・水をくれ」と、苦しんで言う人に、水を与えたら


安心したのか、一瞬安らぎ、


そのまま息を引き取った。


 


生き残った人であっても、


熱傷の痛みは長く続く。


当時・物資や薬品は、不足しており、


ただ


ガーゼ交換や清拭しか出来ない。


 


何年もの治療が続く事になった。


途中でやけどの皮膚から流れる体液に


細菌感染を起こし高熱で悩まされ、


ついに、


うじ虫がその体について、


化膿した部分を食べる。


 


長年の苦しみの果てに、


ようやく、やけどの傷が癒えたと言っても、


ケロイドによる瘢痕は、硬く、


関節は引きつれ、


不自由な体となリ果てた。


 


顔にやけどを負った人達は、


鼻や耳が、融けて無くなり、


毛根まで熱傷が及んで、


髪の毛も眉もなくなっていた。


 


マブタも引きつれ、閉じる事も不可能となった人は、


角膜潰瘍となり失明した。


口は口角で癒着して、


開口障害を引き起こした。


そして傷跡は赤く硬い瘢痕ケロイドとなり


盛り上がったのだ。


 


当時の医学としては、


これ以上、治す手立てが無いと言う時点に達したと告げられる。


その時点で、


自らの顔形を鏡の中で確認し、


変わり果てた自らの姿に、


耐えられなく失望した若き乙女達は、


自らの命を絶ってしまったのだ。


これらの乙女達を[原爆乙女]と呼んでいる。


 


当時、


日本の形成外科技術は、ほとんど無く、


原爆を落とした国であるアメリカに、


これらの人々は、


治療を受けるためハルバル海を渡ったのだ。


原爆を落としたアメリカが、罪滅ぼしに、


日本人の被爆者を治療したという事になっているが、


真実は、


原爆がどのように人に害をもたらしたのかを


医学的に知りたいアメリカは、


サンプルとして、被爆した日本人の体を


医学的に確認したかったとしか考えられない。


当時のアメリカは日本人の事を、


猿真似しか出来ない「イエローモンキー」と呼んでいた。


 


さらに生き残った人たちは、


それから毎年何十年にも渡り


放射能障害のために、


一人又一人と亡くなっていったのだ。


 


ある人は、血液の癌である「白血病」で吐血して。


ある人は、特に子供は甲状腺癌となり、全身転移して。


ある人は、全ての毛がはえなくなりあらゆる癌を引き起こし。


ある人は、これらが全て同時期に起こり、


苦しみぬいた挙句に、亡くなっていったのだ。


被爆2世にも、白血病を起こす人がいる。


いまだに後遺症で苦しむ人がいる。


 


 私の母は、被爆を直接したわけではないが、


原爆投下後1年後に長崎市に住み始め、


4年後に私を出産し、


17年前に、白血病で


全ての体中の臓器から


大出血を引き起こし、


亡くなった。


享年63歳だった。


 


原爆投下後、今年で62年目となる。


 


 今、私は、


アメリカのレベルを追い越した世界1の耳を作れる形成外科医となった。


耳の再建は、


形成外科分野で、最も困難な手術といわれている。


耳を制するものは形成外科の全てを制す。


 


アメリカを追い越し、


世界最先端の私の脳の中の知識を


アメリカに与える事が、日本の頭脳のプライドだ。


「イエローモンキーとは言わせない。」


私の生涯をかけた執念なのだ。41


 


昨年に引き続き、


今年も10月にアメリカ形成外科学会で、


3時間のインストラクショナルコースをやり、


私の小耳症に対する耳の再建法を、


耳作りを専門とするアメリカの教授にも教育する。


 


原爆は、私をこのように改造した。。