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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

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耳垂残存型小耳症術前。赤マジックで、耳のあるべき場所を示す。


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デザイン完成の状態。


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完成した3次元肋軟骨フレームを示す。


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皮弁形成の状態を示す。


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3次元肋軟骨フレームを移植した状態を示す。


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ガーゼを巻いて、軟膏をつけ、陥没部に圧迫をするため・


縫合固定したところ。



その1

このブログの写真は小耳症治療をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

小耳症手術による合併症
一過性の顔面神経麻痺 浅側頭動・静脈の血行不良による植皮の生着不良 感染、移植軟骨の露出 気胸 術後肺炎
縫合不全 ハゲ 床ずれ その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。


その2

このブログの写真は耳介形成術をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

耳介形成術による合併症
 感染、 縫合不全 その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。




科学者は、自分の開発した事を、論文にし、


世界中に認知されている科学ジャーナルに論文を投稿して


世界の判断を仰ぐ。


必ずしも一流ジャーナルに掲載される事になったからといっても、


後世まで引き継がれるものとなるのか、ならないのかは、時間と共に判明してゆく事になる。


 


形成外科医にとっては、自分の書いた手術法が


世界に広く行われるようになって価値が高まってくる。


 


私の書いた小耳症の論文が15年経っている今日、


エジンバラで行われた国際耳再建学会では


ほぼ世界中で使われるようになった事が明確になった。


 


しかも、私の教えた門下生同士の学問のバトルとなった。


ブレント法はほぼ消滅した事が明らかとなった。


ブレント自身もそれを認識しており、


あと2年で引退するとの事だ。


 


彼が私にくれた贈り物が


耳の模型の耳たぶに穴を開け、丸いリングが差し込まれたキーホルダーだった。


その名前がしゃれていた。


Ear Ring 」


すなわち、「耳の輪


もっと深く捕らえると


耳再建の研究に、一生を費やしている世界中の形成外科医の


集まりの仲間としての輪


耳再建は、形成外科の中で、最も困難とされる分野である。


だからこそその困難な分野に携わり、各国同じ苦労を共にしている。


 


それぞれが、苦労を持ち寄りとなり、学問の進歩を実現し


小耳症患者さんたちに、新たな技術を提供できる。


 


これが、耳の輪、EAR RING なのだ。

私の教え子であるドイツのラルフ・シーゲルト医師は、


1997年に私がドイツで行われた第2回国際小耳症学会に招待されたとき


主催大学であるリューベック大学の助教授であった。


私は、その時、小耳症手術法の公演と、デモンストレーション手術を行った。


 


それ以来、シーゲルト医師は、ブレント法から方向転換して、


永田法での小耳症手術を行うようになった。


 


その後、ジュッセルドルフのレックリングハウゼン大学から教授として引き抜かれ


ドイツ中の小耳症患者を手術するようになった。


 


また、彼は、2008年9月、第31回ヨーロッパ顔面形成外科学会・


「The Europian Academy of Facial Plastic Surgery 」を、


ジュッセルドルフで、開催する主催者となっている。


 


顎顔面を治療する形成外科医・耳鼻科医・口腔外科医が集合した


ヨーロッパでも1・2を争う大規模な学会となっている。


 


その学会のときに、「永田医師に招待公演として来てくれないだろうか?」


と、打診された。


私は「いいよ。」と返事した。


すると、非常に喜んでくれて言った「永田医師は、世界中の学会で、引っ張りだこだから


来てくれないのではないかと心配していたのだが、


承諾してくれて、とてもうれしい。」と、言う。


 


それに対して私のほうとすれば、


逆に、関連分野の最新情報が入る良いチャンスなので


むしろ、純粋にうれしい。


 


いつも今まで、こんな事を繰り返してきて、私の患者さん達にも


最新の技術導入を幅広く取り入れることが出来ているのだ。


 


科学技術はこうして、ギブアンドテイクなのだ。


 


 


 

今回のイギリス・エジンバラでの国際小耳症形成外科学会で、


デモンストレーション手術を行ったのは、


私と、ドイツのラルフ・シーゲルトと、フランスの、フランソワーズ・フィアミンの3名だった。


フィアミンもシーゲルトも、私の教え子である。


 


フィアミンは、


パリの中心のビゼット病院でフランスでは最も多く小耳症手術を行っている女医である。


 


ラルフ・シーゲルト医師は、


ドイツ・ジュッセルドルフのレックリングハウゼン大学病院で教授となっており、


ドイツで最も数多くの小耳症手術を行っている医師である。


 


私が手術を、行った患者さんは、


事故のため、頭の皮膚全体もろとも耳も含めて全て無くなった患者さんで、


頭の血管膜も破壊されているために、再建が


最も困難なケースだった。


 


ドイツのシーゲルトは前傾耳垂をした耳垂残存型小耳症の症例。


 


フランスの、フランソワーズ・フィアミンは、通常の耳垂残存型小耳症の手術。


 


それぞれの手術室からの手術の画面がモニターを通じて


学会場に中継されており、質問形式となった。


 


マイクが、今どこの手術室に、通じているのかが、画面の下にランプがついて


表示するようになっていた。


 


日本・ドイツ・フランスの部屋へ順繰りにマイクが回っていった。


 


会場では、司会者がいて司会をしていた。


 


フィアミンが、肋軟骨膜を付着させたまま肋軟骨を採取した時。


カナダのシックキッズ病院の女医であるレイラ・キャスライ医師「女医」が司会をしていた。


マイクはフランス部屋に入っていた。


司会者はそれに気がつかないまま、


「フィアミン医師のように、肋軟骨膜を付着させたまま肋軟骨膜を摘出すると、


胸壁が凹んでしまう。後で、胸壁の再建が必要となる。


だから、永田法のように軟骨膜は体に残して軟骨本体のみを採取すべきなのだ。」


と強い口調で述べた。


これが聞こえたフィアミンは、手術の手が止まってしまった。


司会のキャスライ医師も、私の門下生である


私の門下生である二人の女医同士が、激しい討論バトルとなった。


 


当然私の改良した新しい方法についてきているほうが、理論上優位に立つ。


相当大変なバトルとなった。


 


 


 


 

今日の、小耳症外来も忙しかった。


新患の患者さん3名と再診の患者さん5名。


新患の患者さんの説明は長時間を要するので大変だ。


 


最初に完全に理解をしていただく事が最も重要で、


そうしない限り必ず疑問点が出て患者さんは不安となる。


私はまだ時差ぼけが残っていて、


睡魔と闘いながらの説明をしたので疲れてしまった。


が、患者さんたちは全てを理解されれ納得頂き、


手術予約をおとりになった。


 


午前中は、小耳症の退院の患者さんが1名と入れ替わりに


明日の手術予定の小耳症患者さんが1名入院された。


包帯交換を済ますとすぐに眠くなる。


時差ぼけを解消したいものだ。


 


 

1992年及び1993年にかけて、「小耳症手術の新しい手術法」の私の論文が


アメリカ形成外科学会誌に掲載されてから今、2007年となった。


振り返ると、15年も経っている。


 


論文が出た直後から、世界中の大学病院、形成外科学会などから大反響が起こった。


常に毎年最低でも3カ国からの招待講演を依頼されて、


私は忙しい人生となった。


 


まずは、1992年フランス形成外科学会からの招待から始まった。


そのときから


フランスのフランソワーズ・フィアミン医師「私より10歳ほど年上の女医」を育てた。


彼女は元は、ブレント法を行っていたのだが、その後は、ヨーロッパ中に「永田法」


を広める事となった。


 


しかしブレント法の影響を完全に拭い去れなかったために、


中途半端な永田法となってしまった。


 


それゆえ、今回のエジンバラで行われた小耳症学会においては、


他の国の、私の教え子達から、バッシングを食らう事となった。


 


カナダ・トロントのシックキッズ病院の医師からは、


「肋軟骨膜ごと肋軟骨を摘出してはいけない。


フィアミン医師のように肋軟骨膜を含めた摘出を行うと胸が変形してしまう。


だから、永田法を純粋に守り肋軟骨膜は生体に残して、


耳を作って残った肋軟骨は、再びみじん切りにして、


肋軟骨膜の中に入れ戻すべきなのだ。」


とバッシングを受けた。


 


さらに、フィンランドの医師からは、


「自分はフィアミン医師から間接的に、永田法を学んだ。


その際に皮弁を作るときには、皮膚の下の茎を残さなくても良いとフィアミンは教えた。


しかし、それは本物の純粋な永田法とは違っていたために、


フィンランドの患者は、皮膚が壊死となり患者の再建した耳が犠牲となった。


だから、本家本元の日本に行って、永田先生の手術を直接見て学んだ。


その後は良い結果となった。


だから、皮弁の作成に当たっては、一部、皮膚下に、茎を残すべきだ。


これは皮弁が安全に生きる血行のために重要な事で、永田の論文に書いてある。


フィアミンはうそを教えた。」とまたバッシングを食らった。


 


私の手術法は今も進歩を続けているので、


私の教え子達は、私の進歩について来れる人とついて来れない人とに別れてくる。


フィアミンは、残念ながらついて来れない医師となってしまった。


 


それに対して、台湾のチャングン大学・を筆頭に


カナダ・トロントのシックキッズ病院・


カナダ・エドモントンのアルバータ大学・


などは、私の進歩に、ついてきている。


なぜなら、彼らは,ことあるごとに、私を教授として頻繁に行き来して学びに来るからだ。


 


 


それに対して、日本国内は、残念ながら、


私のレベルについてこれる大学などの施設は、どこもない状態となった。


 


 


 

子供たちが、うるさい。元気がいいことは良いことなのだが、元気がよすぎると、困ることもある。 


大部屋の2号室で子供たちが大騒ぎをしている。個室のお姉さんが、驚いて飛び出してきたぐらいだ。頭にきた私は2号室に飛び込んだ。


「何をしているの!耳を怪我したらどうするの!」「~△~▲~~~!」「!!!!!」


たちまちみんなが固まった。


「わかったの!わかったら返事しなさい!」


漫画を見てて、何がおきたかわからない、きょとっとしてる一人を指差し「あなたはいいの!」「あとはさっさと自分の部屋に帰りなさい!」


たちまちみんなが散らばった。すぐ散らばるくらいなら、最初からおとなしくしていなさい。


「まったく、自分の子なら○○×××よ」と夜勤さんに話したら「院長とけんかしたときもですか」と聞かれたので「院長のときは物を投げつけるの」と答えた。


元気がいいのは良いけれど、どんな理由があれ病院で暴れるのは許されない。


けんかでも、どちらがいいか悪いかは関係ない。治療に専念できなければ、それが悪いことだ。


それをよくよく自覚してほしい。

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耳垂残存型小耳症術前の状態。


赤マジックで耳のあるべき場所を示す。


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デザインの完成した所。


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4本の採取した肋軟骨を示す。


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胸の切開した傷と、そこから採取した肋軟骨4本を示す。


非常に短い傷で、採取している事を示す。


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3次元肋軟骨フレームのベースフレームを作成するためには


2本の大きな肋軟骨を組み合わせて作る。


型紙を置いて示している。


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上左は、4本の肋軟骨を用いて作成した耳形の完成した3次元禄軟骨フレーム。


上右は、型紙。


下は、余った肋軟骨を示す。


余った肋軟骨は、米粒大に、小さく切って。肋軟骨を採取したところに


すなわち、肋軟骨膜の中に、入れ戻す。


すると完全な肋軟骨が再生されるために、胸の陥没変形が起こらなくてすむ。


この肋軟骨再生は世界初のもので、当院の研究成果が、


アメリカ形成外科学会誌に、昨年5月号、本年1月号にパート1・2として掲載された。


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作成した皮膚弁の状態を示す。


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3次元肋軟骨を皮下に入れて移植し、手術が終了した。


皮膚の下に細いチューブを入れて、空気抜きをした状態。



その1

このブログの写真は小耳症治療をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

小耳症手術による合併症
一過性の顔面神経麻痺 浅側頭動・静脈の血行不良による植皮の生着不良 感染、移植軟骨の露出 気胸 術後肺炎
縫合不全 ハゲ 床ずれ その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。


その2

このブログの写真は耳介形成術をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

耳介形成術による合併症
 感染、 縫合不全 その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。




午後からの外来は、来週手術予定の小耳症患者さん3人の


全身麻酔のための手術前の検査を行った。


その後手術後の経過観察のため来られた小耳症患者さん3名を診察。


その後、新患の小耳症患者さん3名を診察した。


外来が終わってからは、急速に眠くなった。


時差ぼけである。


 


夕方6時半からは、アロマ姫からのアロママッサージを受けた。


12時間にも及ぶ、ジェット機にのって時差ぼけと重なり、疲労困憊だったのだが


アロママッサージのおかげで、こりこりに疲れていた体が見事に軽くなった。


やはり効果絶大だ。


 

今日の午前中は、退院の患者さんが1名。


入院の患者さんが1名。


病室の包帯交換を行った。


皆順調な経過をたどっている。


元気すぎて、けんかをしたという報告も聞いている。


 


外来は午後からだが、11時から、新患の患者さんが待っている。


昨夜は、眠れなくて、


とにかく、まだ時差ぼけがあるので、


ちょっと休んでおく事にした。

気がつけばもう10月も半ば、秋の真っ只中となっている。


永田小耳症形成外科クリニックも、あと、一月で


開業2周年を迎える。


早いものだ。


ようやく軌道に乗ってきた。


 


多くの問題を解決して、ここまで到達して来た。


振り返ると、最初の半年が最もつらい時期だった。


開業していなかったら、わからない問題を、多く学んだ。


この時期を乗り越えた事で、このクリニックは、永続する事が出来るようになった。


 


いつも問題を解決していく新たな工夫とチャレンジをしていく事が重要だ。


自分独自のやり方でないと、解決できない事ばかりである。


人生勉強になった。


 


これからもまた、色々な問題が起こるたびに


新たな挑戦が続く、試練がおきると、それを解決する能力が湧き出す。


色々工夫して、乗り越えていく事だ。


と、今、再び自分に言い聞かせている。

小耳症手術には


、自分の肋軟骨を採取して、耳の形を作り移植する。


アメリカのジョー・ライニッシュ医師は、


「メッドポアー」と言う人工物を耳の形にして移植した耳を作っている。


随分改良して結果は良くなったが、


 


これが世界に広まらないのは、肋軟骨移植では、


部分的に皮膚をケガして


一部の肋軟骨が、たとえ露出したとしても、部分的だけで収まるのに対して


一旦、化膿すると全てを摘出しなければならなくなる点だ。


 


しかも、セメントみたいに硬くなってしまうと言う事で、トラブルが多く


ドイツで追試をしたが、4例行った後は、やめたほうが良いと言う結果となった。


 


かつて人工物移植として、日本も、


シリコン耳をアメリカから輸入して用いたところがあったが


問題が噴出してアメリカそのもので発売禁止としてしまったのだ。


 


これも今や、作り直し手術の対象となっている。

今回のスコットランド・エジンバラで行われた小耳症国際学会では、


いろいろな、問題が討論された。


 


やはり耳の輪郭を出すために、


複雑な耳の形をした3字元肋軟骨フレームを作るだけでなく


その形を十分に覆える皮膚弁の作り方


しかも、それを血行の良い状態で保つためには、


 


皮弁の一部を皮下茎とする永田法を完全に遂行する事が、


血行上、理にかなっているという事が、


確認されたと言う、ドイツの大学からのリサーチの成果が発表された。


それを裏打ちする臨床報告もフィンランドから報告された。


結局、私が以前書いた論文どうりの手術を


全て省略することなく遂行する事が最善の方法だと言う事が確認された。


 


さらに、耳を立てる手術においても耳の後ろに支えとする肋軟骨移植だけでなく


耳の後ろに血管膜で血行の補強をする事が


肋軟骨の融ける事を防ぐのに、重要だと言う事も確認された。


 


日本から私以外で、参加した発表は、たった1ヶ所しか無かった。


そのあるところからの演題は、耳の上下に三角皮弁を作って


耳の後ろの支えの軟骨をカバーし、


耳の裏と側頭部に色の違う皮膚移植をする方法が発表されたが、


それでは耳の裏に血行の補強が出来ないので


移植肋軟骨が10年くらい経つと融けてくる。


 


しかも、「色の違う皮膚と、いい色の皮膚とが交互にパッチワークとなって、


傷が耳の後ろに多くなってしまう。」と言う事をその時の司会者の


ドイツのヒルコ・ウエルダー教授から指摘された。


その日本からの発表者は、


通訳を連れてきていたにもかかわらず、指摘された英語が理解できていなくて


トンチンカンな回答をしていた。これでは学問の討論にならない。


 


そもそも、三角皮弁を作る方法は、20世紀半ばに、


ステフェンセン医師がすでに報告した方法で、


これを昔、猿真似して日本で、それを、用い


さんざん、耳おこし手術をしていた大学があったのだが、


 


今頃になってワイヤーが飛び出してきて、永田小耳症形成外科クリニックに


それらの患者さんたちが数多く作り直しに来ている。


耳の後ろと髪の毛のはえぎわに、目立つ傷があることも患者さんたちの悩みとなっている。


 


このようなケースの作り直し手術をつい最近も、


このブログで10月2日に、お見せしたとおりだ。


この手術を受けてしまった患者さんたちは、早めに、手術をやり直しておいたほうが良い。


早ければ早いほど被害が少なくなる。


 


その、三角皮膚弁の下に、この日本からの報告では、


支えの肋軟骨を入れているのだが、同様に


いずれ、全ての移植肋軟骨が10年後には融けてきて


耳は変形し、ワイヤーが飛び出す運命となっている。


 


私は世界中を育てたのに、その日本からの報告は


いずれにしても、納得できない報告だった。


 


さらに理解できないのは「作ったフレームを肋軟骨膜でカバーする」と言う報告をしていたが、


これに対しても、ウエルダー教授から、


「肋軟骨膜を付けようと付けていまいと、同じだと言う研究結果が出ている」


と指摘されていたのに対して、これも英語がわからなかったのか


「ワイヤーが露出しないため」と、解答していた。


 


全く理解が足りない。


ワイヤー露出は、血行の悪い耳を作ったからであり


肋軟骨が融けて、ワイヤーは融けないために


露出すると言う事が理解できていないようだ。


 


また、肋軟骨採取では、彫刻刃で、部分的に採取するために


肝心な肋軟骨量が、不足し、永田法の3次元肋軟骨を作るためには


不可能な量となっているので


不完全なフレームしか作れない。


本末転倒だ。


 


永田法では、胸の変形もなく、完全な3次元肋軟骨フレームを作れる十分な量の


肋軟骨が、短い切開線で採取できる。


 


もっと、きちんと勉強してほしいものだ。


 


 

エジンバラのホテルを朝の6時頃に出て、


エジンバラ空港を9時に飛び立ち、ロンドンのヒースロー空港へ向かった。


ほとんど眠っていたら、あっという間に ヒースロー空港。


 


ジョージさんと一緒に昼食。


彼は何か買い物をしていたが、


私はそんな気もなく、ただ座って乗り込みゲートが決まるのを待っていた。


 


そこで2時間ほど待って、ようやく、


成田行きの飛行機に乗った。


 


この数日の、時差ぼけ、及び 睡眠不足、疲労の重なりで、


ジェット機に乗ってから 再び すぐに、眠ってしまった。


 


ようやく成田に着いたものの、混んでいてパスポートチェックで随分の行列。


待たされてやっと、通過したと思ったら、荷物がなかなか出てこない。


 


エジンバラへついた日には荷物が出てこなくて


、次の日に荷物がホテルへ届いた事を思い出し


今日も荷物が出てこないのかもしれないと


ずっと待ち続けて、ヘトヘト。


 


だめだ、やはりでてこないと、あきらめた頃、最後になって


ようやく、出てきた。


 


よかったよかった。


帰りのジャンボジェット機は、混んでいたので


荷物も多かったのだ。


もっと早くスムーズになってほしいものだ。


 


 

院長が、やっと帰りました。ずいぶん楽しかったようで、帰るなりずっとしゃべっています。


永田クリニックの柱が100本あるお城みたいなところに行ったとか、ブレントに耳の形をしたキーホルダーをもらったとか・・・。


他にも医学的な事でいろいろ新しい情報も仕入れてきたようです。


私はそれどころではなくて、とりあえず洗濯機を回して、スーツをクリーニングに出して、レシートの点検をして、月末のアメリカ行きのために荷物をチェックします。院長は毒子さんが相手をしてくれています。


院長はスーツは体にぴったりだったから、買い変える必要はない、と言っていますが、本当だかどうだか?毒子さんは今着て見たらどうですか?と言うけど、スーツがすごくきれいなので、たぶん向こうではあまり着ていなかったんだろうと思います。


ほら、だから、スーツがきついのよ。


ふと見たら、昨日の○先生と同じ格好で、寝てしまいました。


寝てるときは二人とも、静かです。


お休みなさい。

○先生も、当クリニックを守るのはそろそろ最終日。


当クリニックの最高齢ナースペアに守られながら、今日も一日無事終わりそうだ。今日は外来手術もあり、回診もあり、ああ、疲れたと○先生は院長の布団でお休み中。お疲れさんです。


「院長、エジンバラからもっとブログ書いてくると思ったのに、あんまり書いてきませんね」と○先生。


「ネタが切れたのよ」と私。


「いつもすぐ夢中になって、あるとき突然パタッと止まるの」


「へえ、そうなんですか?」


「英会話を始めた時も山のようにビデを買い込んでね」


「油絵を描くのも100号のキャンバス買ってきて、私の顔途中でかくのやめたからモデルがすっかり老けちゃった」


「ピアノの時も」


「家の模型を作るときも」


「なるほど・・・。じゃ、続いているのは小耳症だけですか」


「そう、それと私ね」


「なんだかブログのネタみたいですね」というわけで、今日のネタは飽きっぽいネタでした。       


 


 


 

今日は、エジンバラの子供病院で


デモンストレーション手術を行った。


 


頭のほとんどの皮とともに、


右の耳が全く無くなってしまった14歳の女の子だった。


以前に頭の皮下にある血管の膜が傷つけられていたので、


二枚目の血管膜を使って皮膚の不足分を補った。


 


とにかく困難なケースだったが、夕方7時には無事終了した。


 


それからは、


宮殿みたいな所での夕食会となった。


 


世界中からの小耳症の専門家が多数、出席している会なので


盛大な会となった。


 


イギリス形成外科学会が総力を挙げて後援していることがよくわかる会となった。


 


とにかくも、ほとんどが私のところへ学びにきた教え子ばかりなので


みんなかわいい。


 


それぞれの国で、


皆、永田法を行い悪戦苦闘しながらも


頑張っているので、その苦労がわかる。


 


ついに、完全に小耳症の世界が


ブレント法から永田方へと転換した。


 


 

朝医局のドアを開けると、カレーくさい!夕べの○先生の食事はカレーだったのだ。流しにカレーのお皿がそのまんま。最近は○先生の痕跡も匂い付きになってきたようだ。


私は今日は外来もなく、少しは事務仕事を進めなくてはと、あせっていた。2階のナースは今日はアロマさん。子供たちは元気がよすぎて、うるさくてたまらない。アロマさんが一生懸命怒っても、誰も聞かない。私はそれどころではない。税理士さんの帰った後はいつも以上に忙しい。


頑張ったら首がパンパンに張ってきて、頭がしびれてきた。そうだ、きょうはアロマさんがいる!予約なしだったけど、無理に頼んで急遽マッサージを受けることにした。


「今日は何の香りにしましょうか?」                                      最近急に冷えてきて、足も辛いし・・・ということで選んでもらったのが『オレンジ・シナモン』の組み合わせ。これは体が温まるのだとか。シナモンの香りで、まるでヨーロッパのお菓子屋さんにいるような。私はヘンゼル。あなたはグレーテルよ。


2階では○先生と毒子さんが回診をしている。マッサージを受け終わった私は、早速2階へ上がり、鼻をくんくん言わせながら、ケーキの香り、いいでしょうと自慢した。


回診が終わった後、○先生は買い物に行き、いろいろ買いこんできて、なんと、たこ焼きを作ってくれると言う。


先生、ぎこちない手つきで、「先生、焼けるの?」「大丈夫?」とかいろいろいわれながら焼いてくれた。出来上がったたこ焼きは卵やきの味がして、中身が空っぽな不思議なたこ焼きだった。


「うちの奥さんが焼いたほうがおいしい」と○先生が言うから「奥さんに焼いてほしい」と思ったけどそれは無理なので、仕方がないから食べたけど、実はものすごくおいしかった。


○先生、ありがとう!


でも、気がついてみたら医局中が「たこと青海苔とソースとマヨネーズの匂い」でいっぱいで、何処をどう嗅いでもシナモンの匂いなど消えてしまった。


明日の朝医局のドアを開けた人は、まず、「たこと青海苔とソースとマヨネーズの匂い」に迎えられることだろう。

今日は私の講演の日だった。


朝は、アメリカのブレントが講演したが、今までのブレント法と同じ内容で、


以前と結果は同じで、みな退屈だった。


 


その後、数題の一般演題へと続き、


昼にはフランスのフィアミンの講演があった。


これも結果が思わしくなくて、皆が退屈しているのがわかった。


 


一般演題は、永田法を使った発表ばかりとなっていた。


フィアミンもブレントも、永田法についての発表内容が多く、もり含まれていた。


 


昼休みとなり、


ある日本人の一般参加の教授が、私のところへ来て言った。


 


「今回の学会では、世界が急速に進歩していますね。


このままでは日本は遅れてしまいますね。」と。


何も理解していないようだ。


 


私は答えた。


「私がこれまでにどれだけ世界を教育してきたか、がわかったでしょう。


国内の学会のあり方も、教授になったあなたが、その一端を担っているのだから


きちんとしたアカデミックな学会にあなたが変えないといけない立場ですよ。」


と言ったら、「日本ではごく一部だけで物事を決めている学会だからどうしようもないのです。」


と、自分の立場がわかっていなくて他人事のようなことを言う。


 


昼食後はドイツのシーゲルト教授の講演のあと


また一般演題が何題か続いた。


シーゲルトも私の教え子の一人だ。


 


そして休息をしたあと、


時差ぼけで眠たいながらも


午後4時から、私の講演となった。


約1時間半に及んだ講演のあとは、大拍手となった。


いつものごとく、私と一緒に写真をとってくれとか、


私と握手をしたい、とかいった医者がやってきた。


 


ブレントは、後でやってきて、「スーパー手術だ。」と言った。


 


今や、ほとんどの発表が、私の手術法に関する物となっていた。


自分が開発した手術法が、世界中で使われてこそ、意味がある事だ。


 


そういう意味からも、


今回の国際学会は、ソレの実現した事を実感するものとなった。


非常にうれしい。


これまで、長年にわたり世界中を教育し続けていた甲斐があったと言うものだ。


 


 

さて、院長はエジンバラで講演をし、ヘトヘト・・・だろうが。。。
私は、中学時代の友人の結婚2次会パーティへ参加してきました

場所は銀座
私の大好きな銀座
銀座に来たら買い物したくなるところをグッと我慢

会場はものすごい人数でした。
100人位居たのではないでしょうか。。。
新郎、新婦が見えない。。。
マイクを使って話してるが・・・・聞こえない
ちょっと、残念。。。
2次会にはつき物のビンゴ大会
ビンゴで景品が当たるはず
だって、私は木星人
アロマ姫様いわく、「木星人は財成の年だから当たると・・・」
現にアロマ姫様は車が当たり、
園長先生はラジコンが当たり(笑)
今度は私・・・
ってちょっと期待していたんですが・・・
何も当たらず・・・
あれっ

まっ、懐かし~~い同級生にも会えたりして
結構楽しかったです
プチ同窓会・・・って感じでした。
中学卒業して、15、いや16年かな?経ってるけど
みんな変わらない・・・

今日は水曜日ということもあり、
早々とみんな去って行きました。。。

    友人よ、お幸せに。。。

院長がいないので、ゆっくり出来ると思ったのに大間違い。○先生がいるからやっぱりセカセカせかせか。


外来でも○先生目当ての患者さんが来られるし、私は私で税理士さんが来てくれてどたばたドタバタ。なんてこったい。


○先生、前回汚いのゴミ箱だのと言われ、みんなに呆れられたものだから、今回は固い決心をしている。医局を汚さない!綺麗に使います!


本とかな?と思ったが、あら、本とかも。いつもよりは綺麗かも。


で、何かをせっせとたたんでる。Tシャツ4枚。パンツ4枚。で、机の上に綺麗に並べてある。


ぱんつ・・・机の上。サトイモが3個残ったお弁当のパックも・・・机の上。


まだ当直週間は始まったばかり。

もう日本では、朝の仕事が始まるころですが、


こちらエジンバラでは夜中の午前0時半。


ようやくホテルに戻って風呂に入り


今から寝るところです。


 


時差ぼけでの夕食会はとっても、眠かった。


日本時間の午前4時くらいからの夕食ですから


大変大変。


 


明日は、講演を行う予定です。


それでは、おやすみなさい。

今日昼間に、今回の、国際小耳症学会の主催者である


ケン・スチュワートの自宅へ、連れて行かれた。


なんと、広大な庭である。


 


大邸宅だ。まるで、お城そのもの。


家は、永田小耳症形成外科クリニックの外来と同じ高さの天井で


クリニックと同じほどの広さがある。


敷地はもちろんソレよりも、はるかに広い


8歳・6歳・4歳の子供がいる。


 


話は前後するが、


昼、ホテルの玄関前で、タバコを吸っていたら、


私に気がついたカナダのアルバータ大学の


ゴールドウィルキス教授が、手を上げてやってきた。


部下を2人連れてきていた。


 


小雨が降っている中、私が外でタバコを吸っているので


そのまま皆ぬれながら、話してくる。


そこへ、ここエジンバラの、スチュワート医師がやってきた。


私と、パリから来たフィアミン医師を連れにきた。


 


私が世界中の形成外科医師を知っているので、スチュワート医師が驚いていた。


 


ホテルへ帰ったら、


オランダ・アムステルダム大学の、モシュ・コーン教授と出くわした。


またイタリアから、ピエール・ルイジ・ジべリ医師が到着していた。


 


台湾からのズン・チャン・チェン医師も、エジンバラに到着したとの連絡が入った。


ドイツのシーゲルト教授は、明日到着の予定だ。


みな私の教え子ばかりだから、当然、皆が私めがけて連絡を取ってくる。


 


1時間後には、患者さんを診察する予定となっている。


あさってデモンストレーション手術予定だ。


夕方になったら、スチュワートの広い自宅での食事会の予定となっている。


 


楽しい忙しさとなった。


 


今回の学会は、本当に小耳症治療だけに専念する各国を代表する医師ばかり、


世界中から、約150名くらいが出席する事となっている。


 


 

医局が危ない。


 


私が学会でエジンバラにいるので、


園長先生が代わって当直を行っている。


 


園長先生が、動き回ったあとには


そのまま、その痕跡が、残る。


 


脱いだ服は、どこで脱いだのかが


わかるように、そこに、そのままとなる。


 


食べたあとはそのままとなる。


 


6月私が学会でドイツへ出かけた後


医局は、ものすごいゴミ状態となった。


と看護士さんから聞いて驚いた。


 


だから、今回も、そのようにならないか


とても危険なのである。


 


気がかりで、なんだか、恐ろしいような予感。

前からこのブログにも書いてあるように、


ヨーロッパでは、電柱がない。


ここエジンバラでも見当たらない。


だから町がきれいになっている大きな要素だ。


 


ホテルの近くの両替が出来る銀行に行って


両替をして、飲み物を買いに行ってきた。


 


電信柱がないだけでも町はすっきりとした風景となる。


もしこの町でも電柱があったら、


おとぎの町と言うイメージが吹っ飛んでしまいそうだ。


 


ヨーロッパでやれることが、日本で出来ないはずがない。


早く日本でも電線は地中に埋めるように方向転換すべきだ。


ソレをやるのは環境省か?


 


きれいな国にしたいものだ。


永田小耳症形成外科クリニックの前にも


電柱がなければ、写真をとってもきれいなのに。

日本時間は、夕方5時ですが、


こちら、エジンバラでは、朝の9時です。


昨日夕方に到着しました。


 


空港には、この学会の主催者であるスチュワート医師が


自ら、出迎えてくれました。


 


機内に預けた荷物が出てこなかったのですが、


荷物を配達してもらえるよう、ホテルの住所を書いておいたら


今日ホテルに荷物が、朝早く届きました。


よかった、よかった。


 


ホテル名は,「ten hill place hotel」と言い、名のごとく


エジンバラの丘の上の、きれいな町の中にあるところです。


電話は、0131ー6622080です。


ホテルのホームページは、www.tenhillplace.com です。


 


昨日空港からエジンバラまで、スチュワート医師が車で送ってくれたのですが、


本当に、おとぎの国のように美しいところです。


デジカメを持ってきてないので画像を送れないのが残念ですが、


写真を撮っておかなくてはと思っているところです。


昨晩は、ホテルのすぐ近くにある日本レストランに連れて行ってもらい


焼き鳥、酢の物、細巻き寿司、たこ焼き、などを食べさせてもらって、ゴキゲンデシタ。


 


実は6月末ベルリンで学会があった時に


使った「写るんです」で取った写真機の半分しか 


使っていなかったので 、今回もそのカメラを持ってきました。


 


今日の朝食は 、ホテルのバイキング。


午後からは、早速、耳がない患者さんを診察しに行く予定です。


 


 

また出かけて行きました。今度はエジンバラ。


海外へ出かけることが多いけど、全部学会なので、持って行く荷物は大体いつも一緒です。だから旅行キットなるものができていて、スーツはこれ、替えズボンはこれと決まっている。毎回買い足すのはタバコと禁煙パイポ。


禁煙パイポは自宅近くの雑貨屋さんで、280円で売っている。駅の売店で買うと330円なので、また今度も買いに行った。ららら、ない。ない。グレープフルーツ味がない。                同じ禁煙パイポでも、ライム味とかミント味とか、いろいろあって、院長の場合グレープフルーツ味以外は吐き気がするそうな。そんなわけないだろうと思うけど、むこうはレストランとかホテルとかめったやたらと禁煙エリアで、その時は禁煙パイポをガリガリかじって、我慢する。灰皿を見つけたら吸いまくる。                                                  すいません、グレープフルーツ味の禁煙パイポありませんか?と聞いたら禁煙するの?と聞かれた。そうだったらいいのね。 違います!   


スーツはいつも同じもので、しわにならない旅行用。「たまには着てみんば」と言って着てみたら、着てみたら、え、着られない! デブになってる。                             今までは○先生の影に隠れていたけれど、○先生が最近すっきりしたものだから、今は院長がメタボナンバーワンだ!!!                                           「メタボ兄弟って、ほんとなんだ・・・」と毒子さんがつぶやいた。                      院長は「今晩飯を食いすぎたからだ!」と言い張ってはいるが困ったもんだ。


とにかく出かけて行った。今日からは○先生がクリニックを守ってくれる。              ○先生、よろしくお願いします。


 

今日の外来は非常に忙しかった。


診察しても、しても、カルテが、なかなかなくならない。


 


小耳症患者さんのカルテだけでこれだけ来られるとは、思ってもいなかった。


来週は私が学会でいないので、今日集中したのかもしれない。


それにしても、忙しかった。


 


初診の患者さんも4名。


うち1名は、大人の方で作り直しを希望されている方だった。


 


病室見学をされた後は、


小耳症の患者さんばかり入院している状態を見て皆安心されている。


なんとか夕方に包帯交換を済ませて終わったと思ったら


4時半からは、


耳をケガした幼児の患者さんの縫合を行った。


 


 


 

永太功真をごぞんじか?


以前から何度かこのブログに登場している、あの、チビのぬいぐるみ熊ちゃんの事。永田小耳症形成外科クリニックの中では今や守護神となり、このクマを預かると、順調に経過し退院できるとか、できないとか・・・?


今の時代に逆行して、ジェンダーはなはだしく、女子禁制。男子のみが保護者となっている。


この太功真くんにはいろいろな秘密が隠れている。そのうちのひとつ、保護者の心得を記した「太功真保護者5か条」をご紹介しよう。


太功真保護者5か条


1 クマの保護者は子供。


2保護者は何らかの形で名を残すべし。


3武器を故意に壊したり、それで遊ばないこと。


4クマに暴力してはならない。


5武器は作っても良い。


この度、創造主のたっての希望により、ここに公開する事とする。  以上

来週は、イギリス形成外科学会後援で


エジンバラにおいて、第4回国際耳再建学会がある。


 


第1回は1995年横浜で行われた国際学会のなかで、


私が国際小耳症サテライトシンポジウムを行った。


 


その後、ドイツのリューベックで第2回が行われ、


私は、小耳症のデモンストレーション手術と、講演を依頼された。


 


第3回は、カナダのレイクルイーズで行われた。


そのときも公演と、学会が終わってから、主催大学での


デモンストレーション手術を依頼された。


 


今年は2007年、そして第4回となる。


主催者は、私の教え子のイギリス人医師である。


世界中から集まってくる出席者の大部分が


気がつけば、今や、ほとんどが私の教え子となった。


教え子達は、それぞれの国の、小耳症治療の第1人者となっている。


うれしい限りだ。


 


イギリスの教え子だけでも5名にもなっている。


さらに私はイギリス形成外科学会誌の論文審査員をも行っているので


イギリスとは縁も深い。


今回も私はまたデモンストレーション手術と、教育公演を依頼されている。


忙しい1週間となる。