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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

いよいよゴールデンウィークの幕開け。
この時のために冷蔵庫に冷やしておいた「カンパリソーダ」を1本空けて、
さあ、明日は休みだと布団に入ったけど、
貧乏性が災いしてかやはりいつもどおりに目が覚めた。

空は晴れ。
花粉はもうさすがに終わりとなり、空気もさわやか。
夕べ空にしたカンパリソーダの赤いビンにセージのつぼみを挿してから、
紅茶をすすりながら、1時間かけて新聞を読み、
う~ん、至福の時だ。
この時が一番の幸せ。

今日はこれから柴咲コウを見に行きます。
やっほう!
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チャウ・シンチーとちゃう。

コウちゃん、かわいかった。
岡村さん、すてき。

でも、チャウ・シンチーとちゃう。
ちょっと、悲しい。
三つ子の魂百までと言うことわざがある。

3歳までに、しつけを厳しく教え込まれていなければ、

後で言っても治ることは無い。


私が子供時代には、学校で悪いことを行った子供は先生にしかられて、

ゲンコツを食らったものだ。

それは、しかる先生も、しかられる子供も、真の教えと愛ある行為だった。


そのしかると言う行為は、子供にとって将来、

社会生活をまともに営む大人になるために、必要なことだ。

とみんなが認識していた。


ところが、ある時期から、怪我をするほど殴られるような事件が引き金となり、

PTAが強くなって、教師に、体罰を与えるな、と言うことになり、

子供を放置するようになりすぎた。


又、受験地獄は過酷過ぎると言うことになり、

学校教育のあり方が見直されすぎて、

日本の教育レベルが国際比較しても低下した。


これらの結果として、

社会生活に必要な、忍耐や我慢ができない若者が急増した。

自分中心の考えをする若者が増加して、

現在の社会を築いている。


日本はこれから先、このままでは、根性の無くなった国民とともに

経済力は、世界との競争に打ち負かされていき

しだいに、国力低下をきたして、活力を失っていくだろう。


国民が、まじめに働き続けた結果、

老人となっても、年金記録を国がまともな、把握もしてなくて

きちんと年金ももらえない。さらに、

後期高齢者医療制度などと言って

年金から天引きされ、そのうえ、

病院倒産で、まともな医療が受けられない、

安心して暮らすことができない国と言うことであれば、

誰も国の言うことを信じることができない。


こんな国にしたのは、低レベルの政治方針を支持してしまった国民なのだ。



親が、ただ、勉強しなさいと言っても、

何のために勉強しなければならないのかが、わからない子供は、

いやいやながらの受身の勉強となる。


将来、自分が何の仕事に尽きたいという夢も持っていなければ、

モチベーションに乏しいから、勉強するための動機が無い。


親は自分の子供のころを思い出すことが必要だ。

ハングリー精神が、がんばろうと言う引き金となるのだ。


何不自由ない生活を送っている子供達に

ハングリー精神は生まれにくいものだ。


子供に夢を持たせて、

夢を実現させるためには、

どのようにしてハングリー精神を生み出し、

また、楽しみと希望を与えることができるのか、

感受性の強い子供ほど、伸びる芽があるのだ。

それを引き出すのが親の務めなのだが、

無理強いしていても限界がある。


そういう自分も、反省仕切りなのだ。

1週間ほど前「都会の産科崩壊」のトピックがニュースとなっていた。

病院の産科が閉鎖されると言うことだった。

その病院では、小児科医が3名いたのだが、4月で2名が去り、

残った1名も、6月で退職する。

これでは、生まれた子供に異常があっても、

それを管理する小児科医が、いなくなるために、産科を閉鎖することになったそうだ。

その病院で出産する予定だった妊婦さん達125名は、

新たに自分で、別の施設を探さなければならなくなった。


別の産科クリニックでは、医師が高齢となり、

最後の30名ほどの出産を済ませたら閉院すると言うことだった。

息子は、医者になっているものの、

訴訟の多い産科を嫌って、麻酔科医となったそうだ。

高齢の医師は、クリニックに泊り込む生活をずっと行ってきた。

何年も泊り込んでいるのは私も同じだが、

産科の場合は、夜中の出産が多いのだ。


この高齢の医師が言うには、

「誰もこのような、過酷なつらい産科の仕事など、やりたがらないのだ。」

「だからこのクリニックは、自分一代で、閉院する。」

ということだった。


このように、医療は、これまで、

まじめな高齢の医師の人類愛により

多くが支えられてきた面が大きかったのだ。


しかも以前は、2つの県に1つの医学部しかなかった。

私が医学部受験時代は、競争率は10倍以上30倍まで当たり前だった。

結果的にその時代の医師達は、非常に優秀な頭脳を持ち、

非常にがんばって働く医師が多かった。

患者さんのためと言う意識も強かった。


現在の医学部の競争率は、2倍か3倍と言うところが多い。

医師の質も低下しているようだ。

と同時に、我慢することもなくなっている。

夜中まで働きたくない医師がほとんどとなった。


医師も人間と言うことで、研修医の過労死問題で裁判が行われてから、

権利意識があまりにも強くなりすぎるようになった。

私が研修医のころは、大学でも定時の手術が朝の7時から始まっていた。

だから、朝の6時30分には、手術室に入っていなければならなかった。

自宅に帰れるのは、夜中遅くとなっていた。

それも、週に3日帰れれば良いほうだった。

給料も、すずめの涙だった。

看護士の給料より、研修医の給料は安かった。

しかし、膨大な症例を、研修医の間に、見ることができて

医師としての経験が豊富となり、実力が付いた時代だった。



今では、患者さんが手術室に入るのが朝9時からとなっている。

研修医は、夕方になったら原則帰ることになっている。


10年経っても、一人前の手術ができない医師が多くなっている。

夜中に働くと言う意思が消失してきている。

患者のために働く意識も薄れてきている。


さらに、医療費削減が、医療崩壊を招いている。

悪循環だ。