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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

私は、もう新たなスタートをすべき時だ。

過去を振り返らず、自分独自の道を

今日、今から切り開いて行く。


すぐに行動に移して、新たなネットワークを形成する事ができるはずだ。

常に、前進あるのみ。


明日は、すがすがしく、新たな挑戦を試みる。

私に二言は無い。

言葉には重みがあるのだ。
後期高齢者医療制度が始まって

国民や老人達からの大批判がでてから、

その制度を2年半前に決めたはずの自民党が、自ら、うろたえている。

今頃になってから「実態調査をしなければ」

と首相自身が述べている。

また、公明党自身も与党の一員であり、その一端を担っていたにもかかわらず

今頃になってから、言い訳を始めた。


その制度を決めた張本人たちが、

よくその制度を、わかってなかったとは、白々しすぎる。

また、もし本当にわからないのに決定していたとするならば

あまりにもいい加減すぎる。

全くとんでもない事だ。

国民もあまりに無関心だから、政治家にしてやられる。


自民党・公明党の両党とも責任政党とは言えない。

かといって、ほかの党もだらしが無さすぎだ。


こんな変な事になっているのは、

いつも国民には、秘密裏に密室で行われる政治制度が間違っているからだ。


法律の決定の前にもっと国民に説明が必要だ。

開かれた国会であるべきだ。


国会でこそ、論議すべきなのだ。

新憲法の趣旨が国民にすべて伝わるように。

報道機関も、遅くとも2年半前に国会で決まったときに、

後期高齢者医療制度の詳しい内容を、国民にわかりやすく報道すべきだった。

当時すべて、うやむやにされていたからこそ、

今頃になって大騒ぎとなっているのだ。
相手の人を大切に思えば思うほど、

相手の気持ちを察したくなる。


相手次第で、自分をコントロールしなければならない。


相手が嫌がる時は、

相手から離れなければならない、と考える。


相手が大切になればなるほど

それが相手の望む事ならば、解き放ち、自由にしてあげなければならない。


自分を殺しても、


と言うようなストーリーが、かつて、悲しくも美しかったと、

感じた物語がテレビでオンエアーされていた。


逆に

相手が望めば、それに答えたくなる。

何をおいても、最高の事をしてあげたくなる。

人生は一度しかない。

後で悔いを残さぬように。

情熱の限りを尽くせる。


と言うような、ストーリーが、かつて、オンエアーされていた。


その分岐点は、人それぞれ。

自分で選ぶもの。


物語は、あらゆる方向へ。

「KY」と言うと、「空気読めない」。

と言う意味で使われる。

それなら、空気読める人を,「KU」/「空気understand]

としよう。


KYの人は、相手の気持ちに全く関係なく、自分の気持ちだけで行動する人のことで、

ちょっと、おばかで、気の回らない人である。

でも、KY本人は、楽しいのだ。

が、周りは迷惑する。

相手が嫌っていても、気がつかないのだ。

だから、本人は、相手かまわず、かって気まま。



KUの人は、相手の気持ちを察して、相手の迷惑にならない程度で

適材適所に距離を置いたり、

相手が望めば近付いたり、

相手が嫌えば、離れたりできる人の事である。

相手のことを大切に考える事ができる人である。

だから、KU本人は、楽しいこともあり、つらいこともある。



「KU」になればなるほど、不幸になる事もある。