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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

道を切り開く。

自分の道を。

これが私。

そういう人生をかける道を見つけるまで、

ひどく悩んだ32歳から33歳の頃を思い出した。

医師となって、研修医を終えて、

形成外科全般を学んだ頃のことだ。


もう通常の形成外科の仕事では飽き足らなくなったときのことだ。

ひとつの疾患について人生を没頭するものがほしかった。


形成外科医にとって、最も感じる醍醐味と、やりがいとは、

複雑な形態を、複雑であればあるほど、精巧に再建出来るようにする事である。


先人が不可能と言っている分野であればあるほどやりがいを感じる。

当時、そんなことに没頭したくて悩んでいた。


芸術的感覚は、子供の頃から磨いてきたから、

この自分の特性を生かすため形成外科医となった。


形成外科医を目指したのは小学校5年生の時だったから、

今思えば特殊な自分だった。

志は人一倍高かった自信があった。


没頭する専門性を持ちたくて、東京大学形成外科学教室の医局で一人騒いでいた。

翌日、当時の助教授に言われた。

「夕べは騒いでいたそうだな。」と。


その時ひそかに決意していた。

「みんなが作れない耳を完全に作ろうと」。


根拠があるわけではなかったが

芸術的感覚で絶対の自信を持つ自分は、

いやこの自分だからこそ

先人達が出来なかった完全な耳の再建だったが、

それを可能に出来るのは

世界で自分だけだと信じていた。


その時心は決まっていた。

ただ、当時そんな本心を言えば、

馬鹿扱いをされるのが関の山だったので

「自分が没頭する道がほしくって、騒いでいただけです。」

とだけ当時は言ってごまかしておいた。


当時はやっていた歌は

「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「野ばらのエチュード」などの松田聖子。

「エスカレーション」「けんかをやめて」「唇のプライバシー」などの河合奈保子。

そんな時代だった。