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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

明日も、耳立て手術が予定されている。

外来が忙しかったので終ってほっと一息。


夕方眠くなり、ちょっと一眠りをしたら死んだように熟睡。


起きてみると、首が痛い。


寝たままテレビニュースを見ようと、枕を高くしていた。

いつの間にか、そのまま、寝入ってしまった。

気がついたら、なんともいやな首の痛み。

寝違えてしまったらしい。


一時、吐き気までして、がっくりしていたが


頚を急激に動かしてみたら、

劇的に頚の痛みが改善し、

さっきまでの症状が、すかっり消えて

うそのように治って壮快となった。


枕の高すぎは、要注意だ。

またまた月曜日、

本日は、小耳症の退院患者さんが1名。

入れ替わりに、小耳症の入院患者さんが1名。

明日手術予定だ。

午前中は、局所麻酔手術を1件こなした後、

入院中の満床となっている小耳症患者さん達の包帯交換を行う。


午後からは、外来診察。

小耳症の術前検査の患者さんを診察し

初診の患者さんと再診の患者さんを診察する予定だ。


開院して来月で4年目に突入する。

気がつけば早いものだ。
1945年、日本は太平洋戦争に敗戦し

都市は破壊されつくし灰色の状態となった。


1950年、ベビーブーム時の最後に、私は生まれた。

そして、日本は、次第に戦後復興を遂げて行った。

アメリカに追いつけ、追い越せと言われながら、

受験地獄へ突入した。

当時の医学部の競争倍率は、10倍以上、から30倍まで、天文学的なほどだった。


大学を卒業し

社会へ出た時は。年功序列という世の中だった。

会社への忠誠を誓って働けば年さえ取れば、

給料が上がって行くという事を信じ込まされて

若いときは給料が低くても我慢を強いられていた。


1980年代となり、私の年代は、生産人口の真っ只中を迎えた。

1987年までは、増大した生産人口年齢層が激しく働き

毎年毎年、国民総生産は増加の一途をたどり続けた。

そして、住宅の需要がピークを迎えた1987年。


突如として土地代が暴落。

戦後信じられてきた土地神話がもろくも崩壊。

金融機関は崩壊を 始めた。


日本はこの崩壊を取り戻すまで、これから10年間もの時間を要した。

失われた10年と呼ばれる。

1997年ごろからようやく金融機関が立ち直ったものの


国が抱えた借金はあまりにも膨大となり。

2008年の現在ですら、財政再建は成し遂げられていない。

にもかかわらず、

アメリカ発のバブル崩壊は、今、世界大恐慌時をはるかに超えるような

世界中の株価大暴落を引き起こしている。


これらの復興のためには、また下手をすると10年が必要となるかもしれない。


悪いことに、日本はこれから生産人口の急激な減少期を迎える。

そして教育レベルの低下した時代の子供達が成人となり、

世界との科学力に勝てるはずもなく

危機を迎え始める。


日本が今後伸びていくためには

海外からの優秀な人材を多く受け入れざるを得ない。

グローバル化した地球で、日本だけでは生き残れない。


これに伴い、既得権など守っていては

日本がつぶれてしまう。

このような発想をしていけば、

総理大臣は

国民投票にせざるを得ない。


国民皆が

自分達で、声を上げるべき時だ。