fc2ブログ

小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

IPRAS 2009

すなわち、

「The 15th World Congress Of 
The International Confederation For Plastic Reconstructive
And Aesthetic  Surgery」

日本語に訳すと、

「第15回国際形成外科、美容外科学会」が、

2009年11月29日から12月3日までの5日間、インド、ニューデリーで開催される。

前回の、この学会は、2年前の夏ドイツ、ベルリンで5日間行われた。



この、「国際形成外科、美容外科学会」の下の傘下の分科学会として、地域別に

「アジア太平洋形成外科、美容外科学会」とか

「ヨーロッパ形成外科、美容外科学会」などがある。


アジア太平洋形成外科、美容外科学会」は、

IPRAS APS 2009 と略して言う、すなわち

[The 10th Congress of the International Confederation for
 Prastic Reconstructive and Aesthetic Surgery
Asian Pacific Section]

である、が、2009年の10月8日から10日までの3日間、日本の東京で行われる。

前回のこの学会は、2年前の春インド、ムンバイで、4日間行われた。



問題は、インドで行われる国際学会と

東京で行われるアジア太平洋学会とが

日程的に1ヶ月ちょっとしか離れていないことである。


もちろん、インドでの学会の方が、意味的に重要視される学会だ。

当然、学者としては国際学会を優先するのだから、

日本で行われるアジア太平洋学会に、世界の学者を招待しても

なかなか来てくれない。


Scientific Program を見ると

その進行準備状況が、見えてくる。


確かに、あまりにも同じような時に、

同じ目的の学会を、頻繁に行いすぎている。

少なくとも、国際学会とダブらない年に、アジア太平洋学会を行うべきだ。


私としては、インドでの国際学会から

小耳症の1時間、マスターコース,Master course,の講演を依頼されているので

国際学会のほうへ出席する事になる。






同じ事でも、

単に義務的に行った場合は、すぐに忘れる。が

能動的に,行った事は、記憶に残る。


常識と考えられていることを、

何の疑いも持たずに、そのまま行っていても

常識の範囲内の結果しかもたらさない。


常識を打ち破ってこその進歩があることが多い。


小耳症治療に関してして言えば、

タンザー法が、頭にしみこみすぎて、

変える事が出来なければ、

今でも、平らな不完全な耳しか再建できない。


常識を打ち破って、永田法が開発できた。

結果として、完全な耳が出来るようになった。


開発できたのは、能動的に

従来法の常識を一つ一つ打ち崩してきたからだ。


常識に埋没していては、

進歩など出来ない。


その他の世界全てにおいても、


何も疑わないで、

これまで過ごしてきた慣れ親しんできた環境や、社会通念。

すべて、信じていては、世の中も変わらない。

自分自身もその泥沼に埋没してしまう。


自分特有の道や

特有の人生を、切り開けた人は

必ず、どこかで、

常識を覆している。


「一芸に秀でれば、全てに通じる」


一つの事を、真にやり遂げると

ほかの事をやり遂げるための

応用力や理解力が備わってくる。

あるいは、

他の世界がどのようにして進化したのか、と言う事まで、

理解できるようになる。


人それぞれ生きがいを持っている。

いろいろさまざまな生きがいがある。


いつから生きがいが出てきたのだろうか?

それは、少しずつ日々変動している。

年齢を増すにつれて

どんな小さなことにでも

生きがいをみいだせるようになる。

生きがいが深みを増してくる。

生きがいを感じて

やっと生きているのかもしれない。


人生は

はかないものだ。が、


人生は

偉大でもある。

人生は一度しかない。


わずかなはずみや

その場だけの一瞬の感情で

人生が大きく変わることを

いろいろ経験してきた。


後で後悔しないよう

いつも、もう一度考えているつもりでも

後悔ばかりの人生なのかもしれない。


あの時、もっと大きな気持ちでいたら、

後悔しない道を選べたのかもしれない。

いつもそれを深く感じる。


救助を待っていても

助からないときに

あきらめるか

突き進むか


人生の分岐点だ。