1月26日退院の患者さんが1名退院診察。
入れ替わりに、明日の耳立て手術予定の患者さんが入院。
その後、入院中の小耳症患者さんたちの包帯交換を行った。
午後からは、小耳症経過観察の患者さんの再診と、
3名の小耳症術前の患者さん達の術前検査を行った。
インフルエンザが流行しているので、
術前の患者さんは特に、帰宅したら、うがいや、手洗いをしてくださいと
お願いした。
その患者さんのお母さんから
「永田先生、お痩せになりましたね。」と、言われた。
実は確かに、最近スマートになって来た。
入れ替わりに、明日の耳立て手術予定の患者さんが入院。
その後、入院中の小耳症患者さんたちの包帯交換を行った。
午後からは、小耳症経過観察の患者さんの再診と、
3名の小耳症術前の患者さん達の術前検査を行った。
インフルエンザが流行しているので、
術前の患者さんは特に、帰宅したら、うがいや、手洗いをしてくださいと
お願いした。
その患者さんのお母さんから
「永田先生、お痩せになりましたね。」と、言われた。
実は確かに、最近スマートになって来た。
かつて、日本は、無謀にも太平洋戦争を開始した。
開始した当初は軍部の上層部が指示したのだったが、
それで、多くの日本人が、いやおう無く兵士として駆り出され、
計り知れない戦死者を出した。
これら、おびただしい犠牲者を出した事の責任は誰にあるのだろうか?
本当に軍部の一部だけの責任だろうか?
戦時中は、「戦争反対」などと叫びでもすると、すぐに国賊といわれ、
投獄され拷問を受けた。見せしめに殺されもした。
国民が国民をそれぞれ監視していたのだった。
そのように、軍部からの命令で、命令に背けないように統制されていたのだ。
言い換えると、自分が痛い目にあわないために、
小市民と成り下がった卑しい大多数の多くの国民がいたから、
軍部は、ますます、戦争を遂行することになった。
軍部の言い分は、天皇陛下の意志だとしていた。
真相はわからないままだ。
兵隊は最後まで戦って
天皇のために死ね、という事だった。
太平洋戦争末期には、
戦闘機から爆弾を落としても、敵戦艦に当たる確率が低かったので、
よりにもよって
爆弾を積んだ戦闘機ごと敵の戦艦に体当たりをする、
と言うとんでもない作戦が考え出された。
神風特攻隊として、帰りの燃料も積まず、
敵の戦艦に飛行機ごと体当たりして命を落として行った兵士達が数多くいた。
国の命令で、死ねといわれ、若い多くの命をなくしてしまったのだ。
それを指揮していた人達は、終戦後生き残った。
指揮した人達は、国からの命令でやった、
自分の意志ではなかった、と言うのかも知れないが、
その人達は見方を変えれば、自分の命をかけて、国の方針に反対することが出来なかった。
国民が、総動員して、戦争反対を唱えて動くことは、出来なかったのだろうか?
現在では考えられないことだが、
当時の国民は、結局、国の言われるままに戦争へ突き動かされてしまったのだ。
すなわち、当時、「戦争反対」と叫んだ少数の人の事を、国賊といって、
軍部に知らせていた大部分の国民がいたのだ。
それら大部分の国民達にこそ、責任があるのだ。
終戦後、その大部分だった国民達は、
責任を取ることも無く、生きている。
心の底に、罪悪感を感じながら。
神風特攻隊をはじめとして、なくなった戦死者からすれば、言葉もないであろう。
また、当時、戦争反対と正義を唱えたごく少数の人たちは、見せしめとして殺されたのだ。
言い換えると、
結局、自分を守るためだけに悪い事と、心の奥底ではわかっていても
戦争賛成側にまわってしまった大多数の卑しい国民達は、悪の片棒を担いでしまったのだ。
その大部分の国民達は戦後、
あたかも最初から戦争には反対だったという顔をしている。
そして今、それらの人たちは80歳台後半から90歳代となっている。
戦争に限らず、
現代社会でも、同様に、
いやしくも、自分を守るために、悪の片棒を大部分が担いでいることがある。
真に、新たな、正しい画期的な人のためになる発見がなされても、
発見者をたたえるどころか、発見者を落としいれようとすることがある。
なぜならば、その新たな方法を行われると、自分達が今まで行ってきたことが無となり、
自分の今までの仕事がなくなってしまうと危惧した卑しい多くの人達が
数の力で手を組んで、新たな方法を隠蔽してしまおうという動きがある。
しかし、いずれ長い目で見ると、新たな発見をした人の方が正しかったと
必ず理解する時が来る。
その時になって、既得権を守ろうとして、自分達が隠蔽行動に出た人達は、
その行為を社会には、ひっそりと隠して、
はじめから新発見はすばらしい事だ、と、
自分は、はじめからの理解者だったなどと言って
普通の顔を装うのだ。
つまり、その間、世の中のためになる新発見を
社会へ浸透する時間を、わざと、遅らせてしまったという、
タイムラグに対する責任を取らないのだ。
開始した当初は軍部の上層部が指示したのだったが、
それで、多くの日本人が、いやおう無く兵士として駆り出され、
計り知れない戦死者を出した。
これら、おびただしい犠牲者を出した事の責任は誰にあるのだろうか?
本当に軍部の一部だけの責任だろうか?
戦時中は、「戦争反対」などと叫びでもすると、すぐに国賊といわれ、
投獄され拷問を受けた。見せしめに殺されもした。
国民が国民をそれぞれ監視していたのだった。
そのように、軍部からの命令で、命令に背けないように統制されていたのだ。
言い換えると、自分が痛い目にあわないために、
小市民と成り下がった卑しい大多数の多くの国民がいたから、
軍部は、ますます、戦争を遂行することになった。
軍部の言い分は、天皇陛下の意志だとしていた。
真相はわからないままだ。
兵隊は最後まで戦って
天皇のために死ね、という事だった。
太平洋戦争末期には、
戦闘機から爆弾を落としても、敵戦艦に当たる確率が低かったので、
よりにもよって
爆弾を積んだ戦闘機ごと敵の戦艦に体当たりをする、
と言うとんでもない作戦が考え出された。
神風特攻隊として、帰りの燃料も積まず、
敵の戦艦に飛行機ごと体当たりして命を落として行った兵士達が数多くいた。
国の命令で、死ねといわれ、若い多くの命をなくしてしまったのだ。
それを指揮していた人達は、終戦後生き残った。
指揮した人達は、国からの命令でやった、
自分の意志ではなかった、と言うのかも知れないが、
その人達は見方を変えれば、自分の命をかけて、国の方針に反対することが出来なかった。
国民が、総動員して、戦争反対を唱えて動くことは、出来なかったのだろうか?
現在では考えられないことだが、
当時の国民は、結局、国の言われるままに戦争へ突き動かされてしまったのだ。
すなわち、当時、「戦争反対」と叫んだ少数の人の事を、国賊といって、
軍部に知らせていた大部分の国民がいたのだ。
それら大部分の国民達にこそ、責任があるのだ。
終戦後、その大部分だった国民達は、
責任を取ることも無く、生きている。
心の底に、罪悪感を感じながら。
神風特攻隊をはじめとして、なくなった戦死者からすれば、言葉もないであろう。
また、当時、戦争反対と正義を唱えたごく少数の人たちは、見せしめとして殺されたのだ。
言い換えると、
結局、自分を守るためだけに悪い事と、心の奥底ではわかっていても
戦争賛成側にまわってしまった大多数の卑しい国民達は、悪の片棒を担いでしまったのだ。
その大部分の国民達は戦後、
あたかも最初から戦争には反対だったという顔をしている。
そして今、それらの人たちは80歳台後半から90歳代となっている。
戦争に限らず、
現代社会でも、同様に、
いやしくも、自分を守るために、悪の片棒を大部分が担いでいることがある。
真に、新たな、正しい画期的な人のためになる発見がなされても、
発見者をたたえるどころか、発見者を落としいれようとすることがある。
なぜならば、その新たな方法を行われると、自分達が今まで行ってきたことが無となり、
自分の今までの仕事がなくなってしまうと危惧した卑しい多くの人達が
数の力で手を組んで、新たな方法を隠蔽してしまおうという動きがある。
しかし、いずれ長い目で見ると、新たな発見をした人の方が正しかったと
必ず理解する時が来る。
その時になって、既得権を守ろうとして、自分達が隠蔽行動に出た人達は、
その行為を社会には、ひっそりと隠して、
はじめから新発見はすばらしい事だ、と、
自分は、はじめからの理解者だったなどと言って
普通の顔を装うのだ。
つまり、その間、世の中のためになる新発見を
社会へ浸透する時間を、わざと、遅らせてしまったという、
タイムラグに対する責任を取らないのだ。