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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

かつて私は2度、スペインのマドリードを訪れたことがある。


一度目は、1992年、国際形成外科学会で「小耳症の新たな手術法」を発表した時、

二度目は、ヨーロッパ形成外科学会の時だった。


確か、初めてマドリードを訪れた時は、

パリ経由だった。

当時のエアーフランスに乗り、9時間くらいもかかってパリの空港で乗り換えた。

日本では、夜中の1時なのに、マドリードではまだ夕方の4時くらいだった。

空港からホテルに着いた時、時差ぼけでボーっとしていたことを覚えている。


とにかくすぐ眠ってしまい翌日になってホテルのコーヒーを飲んだ。

その時流れていた曲は、スペインなのになんとカンツォーネばかりだった。

カンツォーネ好きの私には、とても心地よかった。

そして昼間なのに、昼寝に帰るスペイン人の習慣に驚いた。

その代わり夜は遅くまで生活をエンジョイする生活をしている。


とにかく、国際学会での発表は、大成功で拍手が鳴り止まなかったことを覚えている。


発表の前の日にマドリードから

「トレド」という町へ行く観光バスに乗った。

1時間以上かかったような気がする。


トレドの町に近づいた時

はっとした。

周囲をまるで、お堀のごとく深い川に囲まれている自然の巨大な城壁となっている。

高い大地の上に存在する天空の町が見えた。


町は歴史があり、道路のすみずみまで細かな石畳が敷き詰められ、

石造りの建物の窓には、とても美しい花が飾ってあった。

ずっと住み続けたいと思ったものだ。

スペインでの家の窓や、坂道が

私の出身地、長崎の南山手の風景にそっくりだったのだ。


そしてトレドの町の中央に存在する巨大な教会が

想像を絶する荘厳なものだった。


どこまでも高い石造りの何本もの柱で支えられた巨大な大教会の中は

信者でなくとも、心打たれる神聖さを正に感じる空間となっていた。


かつてのトレドの町の繁栄を示すものでもあった。

その独特の文化に

心打たれたのを覚えている。


「サルバドール・ダリ」そして「ピカソ」という世界的大天才芸術家を輩出し

「プラシド・ドミンゴ」「ホセ・カレーラス」という世界3代テノールのうち2人の天才を輩出し、

フラメンコという、情熱の踊りを生み出した

芸術性の薫り高い国、スペイン。


ヨーロッパと、アラブの文化が不思議に混合し

強烈な独自性を今も持っている国なのだ。


スペインの、顔の白い人形が、医局に、こちらを向いて飾ってある。

ピエロの涙がまるで光っているようだ。。


3月3日となるのに、

関東では、これまでで、最も雪が降るという

天気予報が出ている。


しかし、外では、冷たい雨が降っており、

いまだ雪とはなっていない。

これから、雪に変わるのかもしれない。


今日は、小耳症手術が順調に終わり、

雪が降るのを恐れて、皆、早々と帰宅した。


本当の春がもうすぐそこに来ている。

寒い日はこれで、最後にしてほしい。


明日の午後は、水曜の外来日。


ついに雪が舞ってきた。




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小耳症術前の状態。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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手術前のデザインが完成したところ。
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3次元肋軟骨フレームを作成したところ。
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皮弁形成および皮下ポケットを作成したところ。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。

その1

このブログの写真は小耳症治療をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

小耳症手術による合併症
一過性の顔面神経麻痺 浅側頭動・静脈の血行不良による植皮の生着不良 感染、移植軟骨の露出 気胸 術後肺炎
縫合不全 ハゲ 床ずれ その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。


その2

このブログの写真は耳介形成術をご理解いただくために、参考資料として掲載させていただいています。
それぞれの症状によって、手術結果は異なりますのでご了承ください。

耳介形成術による合併症
 感染、 縫合不全 その他
上記のような合併症が生じた場合は、症状に応じて対処致します。場合によっては再手術を行う可能性もあります。