今からおよそ30年前のことだ。
毎日毎日、人の耳を見ては、スケッチを繰り返していた。
前から、横から、後ろから、斜めから
正常な耳の形態を、立体的に認識するまで
すなわち耳を見なくても
あらゆる角度から正確な形態が描けるようになるまで
執拗な訓練を続けた。
これを繰り返えせば繰り返すほど、
軟骨の形態と、それをカバーしている皮膚の必要面積との関係が、
痛いほど理解できるようになった。
当時、私は
小耳症に対して世界中で行われていたタンザー法で再建された耳介を
何度も見ては、正常な耳と比較していた。
正常な耳の細部構造の精巧さを100点とすれば
耳垂残存型小耳症に対し、
タンザー法で再建された耳の内で、
最も最高の出来栄えといわれる世界中の文献を探して見て、
私の判断では、どう見ても30点しか与えられない結果だった。
この判断を下した時点で、
タンザー法が、不完全な手術法だ。という事が
私の中で確信できた。
ならば、正しい方法を開発する必要がある。
と、ごく自然に私は直感した。
これが、永田法の開発に取り掛かるきっかけだった。
毎日毎日、人の耳を見ては、スケッチを繰り返していた。
前から、横から、後ろから、斜めから
正常な耳の形態を、立体的に認識するまで
すなわち耳を見なくても
あらゆる角度から正確な形態が描けるようになるまで
執拗な訓練を続けた。
これを繰り返えせば繰り返すほど、
軟骨の形態と、それをカバーしている皮膚の必要面積との関係が、
痛いほど理解できるようになった。
当時、私は
小耳症に対して世界中で行われていたタンザー法で再建された耳介を
何度も見ては、正常な耳と比較していた。
正常な耳の細部構造の精巧さを100点とすれば
耳垂残存型小耳症に対し、
タンザー法で再建された耳の内で、
最も最高の出来栄えといわれる世界中の文献を探して見て、
私の判断では、どう見ても30点しか与えられない結果だった。
この判断を下した時点で、
タンザー法が、不完全な手術法だ。という事が
私の中で確信できた。
ならば、正しい方法を開発する必要がある。
と、ごく自然に私は直感した。
これが、永田法の開発に取り掛かるきっかけだった。