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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

第2次世界大戦後、廃墟となった日本は

国民の勤勉さと、長時間労働の努力により

瓦礫の中から、みるみる復興を遂げた。


どん底から立ち上がり世界第2の経済大国となり

1987年バブル崩壊までの期間は、輝かしい発展を遂げた時期だった。

貧困者はほとんどいなくなり、国民総中流時代となり

常に、今日より明日が、豊かになるという希望を持てる時代だった。


当時それを支えた中心となったのが、人口の多い団塊の世代だった。

常に、「未来は、輝かしいのだ」と、誰もが信じてきた。


しかし、バブル崩壊以降、日本には暗雲が立ち込めるようになった。

それ以降は、今日よりも明日が、貧困になると言う時代となってしまった。


当時、日本は、すぐに復活するものと信じていた。が、

ますます、経済的な停滞、更に落ち込みが続くばかりだった。

次第に、日本人は希望をなくしてきた。


そして、現在、ついに、貧困と、自殺者の増加が、問題となっている。

誰も、このような状態に陥るなどと、バブル経済のころは、予想だにしていなかった。


「老人が増加するから仕方がない」とばかり言っているばかりでは、

ますます国力は低下する。

「勤勉さ」をなくしてしまった日本人が、

再び「勤勉さを取り戻す」事も、求められているのではないだろうか。


国際競争力を増すためには、

競争のない教育方針などと、甘いことばかり言ってはいられない。

真のスパルタ教育を取り戻す必要がある。

教育は100年の計が必要だ。


土曜日も学校教育を復活すべき時だ。









本日は水曜日。

午前中には、入院していた小耳症の患者さんが1名無事退院となった。

また、明日手術予定の小耳症の患者さんが入院となった。


その後、入院中の小耳症患者さんたちの包帯交換を行った。

小耳症の入院患者さんは年間を通じって、常に12名から15名の間となっている。

包帯交換と言っても、2時間ほどかかり、

耳を保護するために立体的な包帯交換なので熟練を要する。


午後からは外来の時間となった。

経過観察中の小耳症患者さんを診察した。

また、小耳症で新患の患者さんが来られたので

2時間ほどかけて画像を供覧しながらの手術法の説明を行った。


小耳症と一言で言っても、術前の形態は様々に異なっているため

厳密には、患者さんに応じたオーダーメイドの手術法が必要となる。

形態により、全く別の手術となるほどバリエーションがある。


患者さんは、2時間の説明を聞いて初めてこの点が理解できるようになる。