FC2ブログ

永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

東北関東大地震はマグニチュード9.0という途方もない大地震だった。

震度7の地域でも、日本の優秀な住宅は、かなり耐え抜いていたが

更にその後襲ってきた大津波により、

世界的な堤防すらも破壊され、ついに東北太平洋沿岸は広範囲に町全体が崩壊した。


多くの死者と行方不明者は、現在把握しているだけでも3万人近くとなっている。

町は瓦礫と化し、呆然と立ちすくむしかない状態となった。


肉親を亡くされた多くの方にとって、その悲しみの深さは計り知れないものがある。

一家全員が亡くなられた家族も非常に多い。


その後、福島県の原子力発電所も津波による災害で広範囲な放射能汚染を引き起こしている。


このような悲惨な大災害から、1950年長崎生まれの私には

かつての日本の悲惨なイメージを思い起こさせる。


1945年8月9日長崎では原子爆弾が炸裂し

瞬時にして10万人近くの人々が命を絶った。

町は瓦礫と化し、生き残った人々も放射能障害を引き起こし

次々と亡くなっていった。

その悲しみは深く、多くの人が地面をたたき涙したのだった。

絶望を希望に変えるまで長い長い年月を要した。

そして、長崎は見事な復興を遂げたのだった。


大地震という自然の猛威の前に、人間は、なすすべを知らない。

しかし、原子爆弾という人為的な殺人兵器の猛威にも同様だったのだ。


想像を絶する大災害が、今後又いつ襲ってくるかわからない。

あまりの惨状に感情のコントロールが不可能となり、脳は一時的に思考を停止する。

その後、時間とともに深い悲しみが繰り返し襲ってくる。

そして、泣きつくし涙が涸れた時から、復興復活への第一歩が始まる。

一歩を歩み始めた時から初めて希望が湧いてくる。