FC2ブログ

永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

1992年及び1993年にかけて、「小耳症手術の新しい手術法」の私の論文が


アメリカ形成外科学会誌に掲載されてから今、2007年となった。


振り返ると、15年も経っている。


 


論文が出た直後から、世界中の大学病院、形成外科学会などから大反響が起こった。


常に毎年最低でも3カ国からの招待講演を依頼されて、


私は忙しい人生となった。


 


まずは、1992年フランス形成外科学会からの招待から始まった。


そのときから


フランスのフランソワーズ・フィアミン医師「私より10歳ほど年上の女医」を育てた。


彼女は元は、ブレント法を行っていたのだが、その後は、ヨーロッパ中に「永田法」


を広める事となった。


 


しかしブレント法の影響を完全に拭い去れなかったために、


中途半端な永田法となってしまった。


 


それゆえ、今回のエジンバラで行われた小耳症学会においては、


他の国の、私の教え子達から、バッシングを食らう事となった。


 


カナダ・トロントのシックキッズ病院の医師からは、


「肋軟骨膜ごと肋軟骨を摘出してはいけない。


フィアミン医師のように肋軟骨膜を含めた摘出を行うと胸が変形してしまう。


だから、永田法を純粋に守り肋軟骨膜は生体に残して、


耳を作って残った肋軟骨は、再びみじん切りにして、


肋軟骨膜の中に入れ戻すべきなのだ。」


とバッシングを受けた。


 


さらに、フィンランドの医師からは、


「自分はフィアミン医師から間接的に、永田法を学んだ。


その際に皮弁を作るときには、皮膚の下の茎を残さなくても良いとフィアミンは教えた。


しかし、それは本物の純粋な永田法とは違っていたために、


フィンランドの患者は、皮膚が壊死となり患者の再建した耳が犠牲となった。


だから、本家本元の日本に行って、永田先生の手術を直接見て学んだ。


その後は良い結果となった。


だから、皮弁の作成に当たっては、一部、皮膚下に、茎を残すべきだ。


これは皮弁が安全に生きる血行のために重要な事で、永田の論文に書いてある。


フィアミンはうそを教えた。」とまたバッシングを食らった。


 


私の手術法は今も進歩を続けているので、


私の教え子達は、私の進歩について来れる人とついて来れない人とに別れてくる。


フィアミンは、残念ながらついて来れない医師となってしまった。


 


それに対して、台湾のチャングン大学・を筆頭に


カナダ・トロントのシックキッズ病院・


カナダ・エドモントンのアルバータ大学・


などは、私の進歩に、ついてきている。


なぜなら、彼らは,ことあるごとに、私を教授として頻繁に行き来して学びに来るからだ。


 


 


それに対して、日本国内は、残念ながら、


私のレベルについてこれる大学などの施設は、どこもない状態となった。


 


 


 













管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
https://acrejuvenation.blog.fc2.com/tb.php/1219-8e0fffd5