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小耳症(永田法)の軌跡と新たな出発

永田小耳症形成外科クリニックは、院長・永田悟医師の逝去にともない、令和4年1月に閉院いたしました。このブログと、永田法による小耳症手術は次世代に引き継がれ、現在も行われています。小耳症手術をご検討の方は、ぜひご覧ください。

1週間ほど前「都会の産科崩壊」のトピックがニュースとなっていた。

病院の産科が閉鎖されると言うことだった。

その病院では、小児科医が3名いたのだが、4月で2名が去り、

残った1名も、6月で退職する。

これでは、生まれた子供に異常があっても、

それを管理する小児科医が、いなくなるために、産科を閉鎖することになったそうだ。

その病院で出産する予定だった妊婦さん達125名は、

新たに自分で、別の施設を探さなければならなくなった。


別の産科クリニックでは、医師が高齢となり、

最後の30名ほどの出産を済ませたら閉院すると言うことだった。

息子は、医者になっているものの、

訴訟の多い産科を嫌って、麻酔科医となったそうだ。

高齢の医師は、クリニックに泊り込む生活をずっと行ってきた。

何年も泊り込んでいるのは私も同じだが、

産科の場合は、夜中の出産が多いのだ。


この高齢の医師が言うには、

「誰もこのような、過酷なつらい産科の仕事など、やりたがらないのだ。」

「だからこのクリニックは、自分一代で、閉院する。」

ということだった。


このように、医療は、これまで、

まじめな高齢の医師の人類愛により

多くが支えられてきた面が大きかったのだ。


しかも以前は、2つの県に1つの医学部しかなかった。

私が医学部受験時代は、競争率は10倍以上30倍まで当たり前だった。

結果的にその時代の医師達は、非常に優秀な頭脳を持ち、

非常にがんばって働く医師が多かった。

患者さんのためと言う意識も強かった。


現在の医学部の競争率は、2倍か3倍と言うところが多い。

医師の質も低下しているようだ。

と同時に、我慢することもなくなっている。

夜中まで働きたくない医師がほとんどとなった。


医師も人間と言うことで、研修医の過労死問題で裁判が行われてから、

権利意識があまりにも強くなりすぎるようになった。

私が研修医のころは、大学でも定時の手術が朝の7時から始まっていた。

だから、朝の6時30分には、手術室に入っていなければならなかった。

自宅に帰れるのは、夜中遅くとなっていた。

それも、週に3日帰れれば良いほうだった。

給料も、すずめの涙だった。

看護士の給料より、研修医の給料は安かった。

しかし、膨大な症例を、研修医の間に、見ることができて

医師としての経験が豊富となり、実力が付いた時代だった。



今では、患者さんが手術室に入るのが朝9時からとなっている。

研修医は、夕方になったら原則帰ることになっている。


10年経っても、一人前の手術ができない医師が多くなっている。

夜中に働くと言う意思が消失してきている。

患者のために働く意識も薄れてきている。


さらに、医療費削減が、医療崩壊を招いている。

悪循環だ。












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