
写真の向かって左側が、私、永田悟。
写真の向かって右側が、現在、ニュージーランドのオークランドから
永田小耳症形成外科クリニックに
小耳症の手術の勉強に2週間予定で
見学に来ている形成外科医だ。
彼は両親が、香港人だった。
両親がニュージーランドに移り住んでから彼はニュージーランド人として生まれ
形成外科医となった。
ニュージーランドで最も大きな病院に勤務している。
形成外科医だけでも30名いるそうだ。
以前にも、その病院に勤めていた形成外科の女医さんが1年間、当院に留学していたことがある。
そもそも、日本で、最初にタンザー法の小耳症手術を行い始めたのが、
かつての東京大学医学部の福田修教授だった。
福田教授は、ニュージーランドの、この病院に1年間留学して
アメリカ人タンザーが開発した耳の再建法を、
ニュージーランドの形成外科医から間接的に学び日本に持ち込んだのだった。
私は、まず、その福田教授から、「タンザー法の福田変法」なるものを学んだ。
が、
いくらその手術を忠実に行っても、完全な耳とは、程遠い結果しかえられなかった。
そこで、タンザー法の間違いに気がつき、
それから、全く発想の異なる「永田法」を開発した。
1992年、1993年、と永田法の膨大な6論文が、
形成外科分野では最もレベルの高いジャーナルである
アメリカ形成外科学会誌に巻頭論文として記載されてから
永田法が世界中に広まるきっかけとなった。
そして、福田教授が、かつてニュージーランドの形成外科医から学んだタンザー法。
現在は、逆に、福田教授が学んだ同じ病院のニュージーランドの形成外科医が、
永田法を学びに、日本の埼玉県戸田市にある小さな、
永田小耳症形成外科クリニックにやって来るようになっている。
この間の歴史での立場の逆転は、感慨深い事だ。
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