私のところへ世界中の国々から、
小耳症手術の見学をしたいと訪れた形成外科医がこれまでに数多くいる。
いろいろな国の状況を背負った留学生達は、思い出深い。
その中でも、最も熱心だった留学生と言えば台湾のチャングン大学病院形成外科から
留学してきたズン・チャン・チェン医師だった。
現在は40歳くらいとなっている。
チャングン大学病院とは、ベッド数が4万を超えたアジアでもダントツの巨大な大学病院だ。
東大病院のベッド数が千何百と言う規模と比較しても桁が違うほど巨大なのだ。
国際的な科学ジャーナルである論文を多数排出している病院でもある。
形成外科医の数だけでも50人を超えている。
その病院の院長が当時は顎顔面治療で国際的にも有名なユー・レイ・チェン医師だった。
そのあと、病院長はマイクロサージャリー領域で世界的なフー・チャン・ウエイ医師となっている。
すなわち、これらの形成外科医が4万ベットの大学病院の院長となっている。
それゆえ、形成外科領域では
国際的に、最もレベルが高い大学病院のひとつとなっている。
実は、日本人の形成外科医も、数多く留学して学んでいる施設でもあるのだ。
そのユーレイ・チェン先生とフー・チャン・ウエイ先生の両者から
私へ6年前、丁寧な依頼状が届いた。
チャングン大学の「ズンチャンチェン医師を日本へ留学させて永田法を習得させたい。」
との依頼状だった。
チャングン大学形成外科医のなかで、芸術的センスがあり、
小耳症の治療に最も適正がある医師ということだった。
ズンチャンチェン医師は、そのようなバックグラウンドから
私のところへ1年間の留学を行った。
チャングン大学から毎月の仕送りを受けての留学だった。
来る日も来る日も、私のところで小耳症手術を見ては
ノートに細かなスケッチを行い、最終的には
分厚い小耳症のテキストブックが出来るくらいの資料を作り上げたばかりか
自分が自ら木を掘り、彫刻して作った3次元形態の耳型を私のところへ持ってきて
添削してくれと言って来た。
非常に熱心な留学生だったので、私の教育にも力が入ったものだった。
留学期間終了後も、困難な小耳症手術がある時には
私は、台湾へ呼ばれて、何回もの手術を行って彼のために教えた。
いわゆる永田塾だった。
そして、昨年論文を書いたので私との共同ネーム入りでアメリカ形成外科学会誌に
投稿するとの連絡が来ていた。
そして今年11月を向かえアメリカ形成外科学会誌が届いた。
ジャーナルの再建部門の巻頭論文に彼の論文が掲載されていた。
世界中の形成外科医が注目する最もレベルが高いジャーナルだ。
タイトルは「永田法の耳立て手術の新しい方法」と言う論文だった。
再建結果は、当院と同等のレベルを示す写真が掲載されていた。
私は大変喜んだ。
なぜなら、かつて、日本人のある医師から
「永田法は困難すぎて、永田以外は出来ない方法だ、そんなものは世界に広がらない」と
、陰口をたたかれたことがあった。
しかし、ズンチャンチェン医師は、6年もの歳月をかけて
来る日も来る日も、小耳症治療一筋に血のにじむような努力を継続して
私と同等の結果を出せるようになった。
私の教育が正しかったと言うことになる。
それがとても、とても、うれしかった。
更に、カナダ・トロントのシックチルドレン病院形成外科医の
デイビット、フィッシャー医師とレイラ・カスライ医師、そして
アルバータ大学のウイルキス教授に対しても
それぞれの病院長からの依頼で数年間の永田塾を行った。
今では彼らとともに、アメリカ形成外科学会における
2時間もの「小耳症インストラクショナルコース」を行うようになった。
1992年に永田法がアメリカ形成外科学会誌に掲載されてから
2009年の今年まで、長い歳月をかけて永田法は、世界に広がっている。
そして今月末、私は国際形成外科学会で、
小耳症治療の1時間のマスターコース教育講演を行う予定となっている。
小耳症手術の見学をしたいと訪れた形成外科医がこれまでに数多くいる。
いろいろな国の状況を背負った留学生達は、思い出深い。
その中でも、最も熱心だった留学生と言えば台湾のチャングン大学病院形成外科から
留学してきたズン・チャン・チェン医師だった。
現在は40歳くらいとなっている。
チャングン大学病院とは、ベッド数が4万を超えたアジアでもダントツの巨大な大学病院だ。
東大病院のベッド数が千何百と言う規模と比較しても桁が違うほど巨大なのだ。
国際的な科学ジャーナルである論文を多数排出している病院でもある。
形成外科医の数だけでも50人を超えている。
その病院の院長が当時は顎顔面治療で国際的にも有名なユー・レイ・チェン医師だった。
そのあと、病院長はマイクロサージャリー領域で世界的なフー・チャン・ウエイ医師となっている。
すなわち、これらの形成外科医が4万ベットの大学病院の院長となっている。
それゆえ、形成外科領域では
国際的に、最もレベルが高い大学病院のひとつとなっている。
実は、日本人の形成外科医も、数多く留学して学んでいる施設でもあるのだ。
そのユーレイ・チェン先生とフー・チャン・ウエイ先生の両者から
私へ6年前、丁寧な依頼状が届いた。
チャングン大学の「ズンチャンチェン医師を日本へ留学させて永田法を習得させたい。」
との依頼状だった。
チャングン大学形成外科医のなかで、芸術的センスがあり、
小耳症の治療に最も適正がある医師ということだった。
ズンチャンチェン医師は、そのようなバックグラウンドから
私のところへ1年間の留学を行った。
チャングン大学から毎月の仕送りを受けての留学だった。
来る日も来る日も、私のところで小耳症手術を見ては
ノートに細かなスケッチを行い、最終的には
分厚い小耳症のテキストブックが出来るくらいの資料を作り上げたばかりか
自分が自ら木を掘り、彫刻して作った3次元形態の耳型を私のところへ持ってきて
添削してくれと言って来た。
非常に熱心な留学生だったので、私の教育にも力が入ったものだった。
留学期間終了後も、困難な小耳症手術がある時には
私は、台湾へ呼ばれて、何回もの手術を行って彼のために教えた。
いわゆる永田塾だった。
そして、昨年論文を書いたので私との共同ネーム入りでアメリカ形成外科学会誌に
投稿するとの連絡が来ていた。
そして今年11月を向かえアメリカ形成外科学会誌が届いた。
ジャーナルの再建部門の巻頭論文に彼の論文が掲載されていた。
世界中の形成外科医が注目する最もレベルが高いジャーナルだ。
タイトルは「永田法の耳立て手術の新しい方法」と言う論文だった。
再建結果は、当院と同等のレベルを示す写真が掲載されていた。
私は大変喜んだ。
なぜなら、かつて、日本人のある医師から
「永田法は困難すぎて、永田以外は出来ない方法だ、そんなものは世界に広がらない」と
、陰口をたたかれたことがあった。
しかし、ズンチャンチェン医師は、6年もの歳月をかけて
来る日も来る日も、小耳症治療一筋に血のにじむような努力を継続して
私と同等の結果を出せるようになった。
私の教育が正しかったと言うことになる。
それがとても、とても、うれしかった。
更に、カナダ・トロントのシックチルドレン病院形成外科医の
デイビット、フィッシャー医師とレイラ・カスライ医師、そして
アルバータ大学のウイルキス教授に対しても
それぞれの病院長からの依頼で数年間の永田塾を行った。
今では彼らとともに、アメリカ形成外科学会における
2時間もの「小耳症インストラクショナルコース」を行うようになった。
1992年に永田法がアメリカ形成外科学会誌に掲載されてから
2009年の今年まで、長い歳月をかけて永田法は、世界に広がっている。
そして今月末、私は国際形成外科学会で、
小耳症治療の1時間のマスターコース教育講演を行う予定となっている。
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