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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

早いものであと、3日もすれば3月になる。


今年の桜の開花時期は3月中になるということだ。


入学式の季節には桜は散っている事になる。


例年の常識からするとちょっとイメージが違う。


卒業式に桜が咲くところが出てくるのだ。


 


私は小学校や中学校までは卒業式が心にジーンと来た記憶があるものの


高校や大学などの卒業式には何の感動も感じなかった。


学生運動の盛んな時代で、


学校の1クラス60名は、当たり前。


しかし当時の教師は優秀で愛があった。


悪い事をすると、しかられたものだ。


子供を一人前にするために、社会も家庭も教師もきちんと機能していた。


だから、世界1の数学力を誇っていた。


しかし、受験地獄と言われた時代だった。


大学の受け入れ態勢拡大が間に合わなかった。


特に医学部・歯学部・薬学部・理工科学部への人気が集中した時代だった。


中でも国立大学医学部の受験競争倍率は10倍、20倍、30倍となり、


東京大学の理科系のどこかに入学する学力が無いと


地方国立大学医学部には合格できなくなった。


当時の地方大学の中で比較すると、


教育学部の合格最高点よりも医学部の合格最低点の方が高いのが常識だった。


国立にどうしても入りたければ


教育学部にでも行こうと言う事をもじって、「デモシカ教師」と呼んでいた。


 


一方で中学卒や高校卒で


地方から東京や大阪へと集団就職をした数多くの若者がいた。


今ほど男女が平等ではなかった時代だ。


日本が高度成長時代に入ろうとする幕開けだった。


沖縄はまだ日本ではなかったのだ。


 


「若いみんなががんばれば、日本の将来は明るくなる。


必ず、親の時代よりも、より良い社会生活が待っていて当然だ。」


と言う時代だった。


悲惨な戦争を経験した我々の親たちは、我々に学問を勧めた。


出生率も高く、当然受験地獄となった。


医学部入学定員は現在の3分の1ほどだった。


 


そしてよりにもよって私の受験の年には学生運動のため


東京大学入学試験が中止となった。


一方、アメリカでは人類初の月面着陸をはたした。


当時は、あと10年もすれば


火星にも人類が着陸するだろうと言う勢いだった。


 


そして、我々の世代は、大学を卒業し、爆発的に生産人工が増加した。


みんなガムシャラに働いた時代だった。


大学病院の患者の手術室入室時間は午前7時だった。


だから、少なくとも大学に朝6時半には、ついていなければならなかったのだ。


研修医が自宅に帰る事などほとんど考えられない時代だった。


ガムシャラに働く人々を称してモーレツ社員と言う呼び名がついたほどだ。


終身雇用制度を信じさせられて会社のために尽くし


年功序列制度の給料体系を押し付けられた我々団塊世代は、


今は給料は安いが歳さえとれば給料は上がるので我慢我慢とがんばった。


その結果、ついに日本が国民総生産世界第2位になった事で自信を持った。


さらにその後、土地代の異常な値上がりとなったのも、


我々、団塊世代の自宅需要の多さのためだった。


土地の値上がりのすごさに乗り遅れたら


自宅さえ永遠に持てなくなると言う危機感があった。


受験地獄に始まり、常に、あらゆる事に過酷な競争にさらされ、


勝ち抜かなければ生き残れないと言う、厳しすぎる時代だった。


その後のバブル崩壊により、終身雇用、年功序列体制は、崩れ去り


ようやく今から歳をとってきたので


年功序列の恩恵を受けられるようになってきた、と思った矢先に


大量の団塊世代は、解雇され失業者となった。


そして、会社ヒトスジが間違いだったと気付かされた。


会社に騙されたような時代だった。


受験地獄を経験した団塊世代は、ここで重大なミスを犯した。


受験地獄は良くなかったのでこんなことになってしまった、と勘違いを犯したのだ。


そこで、子供達には受験地獄から開放されて


のびのびとしてほしいと言う発想が生まれ


競争するのは悪い事だと言う極論にまで達してしまったのだ。


これが、大間違いの元だった。


モーレツ社員は家庭に夜遅くしか帰れないことにかまけてしまい。


鍵っ子が増えた。


しかも、教育をデモシカ教師にまかせきってしまった。


当時のデモシカ教師が校長や教頭となり、日教組を構成していた。


その日教組は文部省をも巻き込み、会社が土曜日休みとなってきた時代だから


児童にも、と言う巧妙な理屈をつけて


学校も、土曜日休みとする運動を展開し、まんまと、教師の土休を勝ち取った。


さらに、教師はただ時間内に授業をすれば良いと、


愛の無いサラリーマン化してしまった。


学級崩壊が起こり、小学生が授業中教師の話も聞かず


机の上を走り回っていても関係なくそのまま授業を進行しただけだった。


こんな子供が大人になってから社会生活が出来るはずが無い。


教師の指導力の無さが問われるようになった。


なさけない事に、子供が授業を聞いてくれないと、泣き出す教師まで増えてきた。


教師が子供に注意すると、あまりにも擁護派のPTAは,


教師に「体罰は加えるな」、とプレッシャーをかけてしまった。


また、電車やバスで靴をはいたままの幼児が


騒いで椅子に立っていても放置して叱りもしないような親が増えた。


よその子が悪い事をしていても黙認するような社会人となった。


親も子も家庭も教師も社会も自由を、はきちがえてしまった。


そんな事もあって、学級崩壊の起こった大騒ぎの教室で、


勉強したい子供にとっても教師の声も聞こえなかっただろう。


だから、本当の勉強をするために塾に通うようになった。


教師も教師で受験を考えている子供には熟に行くように勧めた。


本来は教師の仕事なのにだ。


当然、子供間の学力格差が増大した。


 


かくして、現在の子供達は


世界的にも学力の無い、しかも、


人間としての基本的な社会性も無い状態となってしまった。


 


そのような子供達が、今、大人になって「就職できない」と世間では騒いでいる。


格差社会だと騒いでいる。原因があって結果があるのだ。


だから、歴史を思い出せば、なるべくしてなったと言う結果に過ぎない。


ただでさえ生産人口は減少していく上に、世界と比べて


科学力までも低下した生産人口構成要因では、質的にも世界との競争に敗退し


国民総生産は低下し、世界の2等国家と成り果てる。


このままでは、今台頭してきた中国やその他のアジア諸国に


支配されかねない危うい状況になるのだ。


今後増加する一方の老人など支えられるはずが無い。


 


結局、我々、団塊世代は、年金など当てに出来ないので


定年延長という、政治家のだましのテクニックで死ぬまで競争を強いられる運命なのだ。


一方で医者の世界は仕事の都合上、土休などとんでもないままなのだ。


へたすると、日曜日も無いのだ。


新たな研修医制度で、研修医は5時に返す事になっている。


その結果将来サラリーマン化した医師が増えるとどうなるのだろうか?


ぞっとする。


 


 


 


 


 


 













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