放射能障害は見えないだけに恐怖だ。
日本は、広島、長崎に原子爆弾を受けた世界唯一の被爆国である。
それぞれに一瞬にして、10万人の人々が死亡した。
生き残ったとしても、爆発による熱傷を長年の軟膏療法の結果、
ようやく傷はふさがりはしたものの、多くのケロイドを残した。
長年の治療の結果やっと病院を退院したものの
自分の姿を鏡に映し見て、落胆失望した若き女性達が6000名も自殺した。
この乙女達を原爆乙女と呼ぶ。
このように悲しい事実があるという事を日本人は肝に銘じてほしい。
長崎出身の私は、爆心地に最も近い城山小学校に通っていた。
原爆記念日が来るたびに「原爆乙女」の話を聞かされた私は、
当時日本にも、形成外科の技術が発達していれば、
このような患者さんを救えたはずだと、子供心に深く刻み込まれた。
その結果、私は小学校5年時に形成外科医になる事を決意した。
現在でも放射能障害で、さまざまな疾患を併発し、死亡している人々がいる。
世界で唯一の被爆国日本。
放射能障害が年単位で時間を経過するたびに、どのような
医学的障害が起きてきたのかという学問的経験が残されている。
どのくらいの放射能にさらされると、どのような障害が起きるのかが
長崎大学や、広島大学に資料として残っている。
これらの経験による結果を、福島原発事故の放射能障害に対しても
今後とも有効に活用する必要がある。
さて、小学校時代からずっと希望していた形成外科医となった私は、
体表の中で最も複雑な形態をし、
形成外科分野の中で最も困難といわれた正確な耳介再建のため挑戦を続けてきた。
1992年に私の「耳介再建に対する新たな手術法」論文が巻頭論文として掲載されて以来
欧米をはじめとした各国の形成外科学会から依頼を受け続け
「小耳症に対する耳介形成手術」の教育講演やデモンストレーション手術を
この20年以上も行い続けてきた。
また世界中の形成外科医が
永田小耳症形成外科クリニックへ小耳症手術を学びに来院し続けた結果
現在、永田法は、ついに世界中に広がって来た。
今年の10月11日にも、サンジエゴで開催されるアメリカ形成外科学会において
私は「小耳症の3次元肋軟骨の作成法」を
形成外科医への教育コースを3時間行う事になっている。
原子爆弾により起きた「原爆乙女」の悲劇が、
現在も私の形成外科医を継続し続けるモチベーションとなっている。
自分が開発した手術法を、世界が見る学会誌へ掲載し、
さらに世界中の形成外科医を20年という長年にわたり教育し続け、
世界中の形成外科医が、行えるようになる事で
自分が死しても、自分の生きてきた証が世界に永田法として残る。
自分のみで手術する件数は限られているが、
世界中の形成外科医が永田法を行ってくれる事で
世界中の小耳症の患者さんのみでなく、
外傷により欠損した患者さんや、
耳介にできた癌切除後の患者さんに対する耳介再建にも利用できるので
膨大な患者さんの耳介再建が永田法を用いる事で
直接私が行う手術以外にも、
世界中の形成外科医が用いる事で間接的に半永久的に行える事となる。
つまり、地域医療にとどまらず、世界医療へ貢献する事が出来る。
私が形成外科医として耳介再建の進歩を行う事への
モチベーションが継続する原動力だ。
私が「耳の再建ばかり行っていて飽きるだろう」
と言う形成外科医がいるが、
上記のモチベーションがある私が、飽きるはずが無い。
日本は、広島、長崎に原子爆弾を受けた世界唯一の被爆国である。
それぞれに一瞬にして、10万人の人々が死亡した。
生き残ったとしても、爆発による熱傷を長年の軟膏療法の結果、
ようやく傷はふさがりはしたものの、多くのケロイドを残した。
長年の治療の結果やっと病院を退院したものの
自分の姿を鏡に映し見て、落胆失望した若き女性達が6000名も自殺した。
この乙女達を原爆乙女と呼ぶ。
このように悲しい事実があるという事を日本人は肝に銘じてほしい。
長崎出身の私は、爆心地に最も近い城山小学校に通っていた。
原爆記念日が来るたびに「原爆乙女」の話を聞かされた私は、
当時日本にも、形成外科の技術が発達していれば、
このような患者さんを救えたはずだと、子供心に深く刻み込まれた。
その結果、私は小学校5年時に形成外科医になる事を決意した。
現在でも放射能障害で、さまざまな疾患を併発し、死亡している人々がいる。
世界で唯一の被爆国日本。
放射能障害が年単位で時間を経過するたびに、どのような
医学的障害が起きてきたのかという学問的経験が残されている。
どのくらいの放射能にさらされると、どのような障害が起きるのかが
長崎大学や、広島大学に資料として残っている。
これらの経験による結果を、福島原発事故の放射能障害に対しても
今後とも有効に活用する必要がある。
さて、小学校時代からずっと希望していた形成外科医となった私は、
体表の中で最も複雑な形態をし、
形成外科分野の中で最も困難といわれた正確な耳介再建のため挑戦を続けてきた。
1992年に私の「耳介再建に対する新たな手術法」論文が巻頭論文として掲載されて以来
欧米をはじめとした各国の形成外科学会から依頼を受け続け
「小耳症に対する耳介形成手術」の教育講演やデモンストレーション手術を
この20年以上も行い続けてきた。
また世界中の形成外科医が
永田小耳症形成外科クリニックへ小耳症手術を学びに来院し続けた結果
現在、永田法は、ついに世界中に広がって来た。
今年の10月11日にも、サンジエゴで開催されるアメリカ形成外科学会において
私は「小耳症の3次元肋軟骨の作成法」を
形成外科医への教育コースを3時間行う事になっている。
原子爆弾により起きた「原爆乙女」の悲劇が、
現在も私の形成外科医を継続し続けるモチベーションとなっている。
自分が開発した手術法を、世界が見る学会誌へ掲載し、
さらに世界中の形成外科医を20年という長年にわたり教育し続け、
世界中の形成外科医が、行えるようになる事で
自分が死しても、自分の生きてきた証が世界に永田法として残る。
自分のみで手術する件数は限られているが、
世界中の形成外科医が永田法を行ってくれる事で
世界中の小耳症の患者さんのみでなく、
外傷により欠損した患者さんや、
耳介にできた癌切除後の患者さんに対する耳介再建にも利用できるので
膨大な患者さんの耳介再建が永田法を用いる事で
直接私が行う手術以外にも、
世界中の形成外科医が用いる事で間接的に半永久的に行える事となる。
つまり、地域医療にとどまらず、世界医療へ貢献する事が出来る。
私が形成外科医として耳介再建の進歩を行う事への
モチベーションが継続する原動力だ。
私が「耳の再建ばかり行っていて飽きるだろう」
と言う形成外科医がいるが、
上記のモチベーションがある私が、飽きるはずが無い。
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