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永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

絶体絶命の体験。


それがだめなら終わりと言う体験。


私は大学受験で国立大学医学部1期校の受験計画を立てた。


 


受験の直前、右下腹部痛、近所の病院で虫垂炎と診断された。


絶体絶命である。


 


「受験があるので、注射だけで何とかならないだろうか?]と言うと


先生が「なんとかしよう。でも耐えられなくなったら、手術しかないよ。」


との事だった。


 


そして、受験のため、飛行機で受験地へ飛んだ。


旅館滞在中、受験前日になって、腹痛がひどくなる。


旅館の人に付き添ってもらい病院へ行き


事情を話して、痛み止めの注射をしてもらった。


電話のむこうで、母は心配して


「命が大切だから、我慢できないほど痛かったら受験しなくても良いから手術しなさい。」


と言った。


 


翌日,おなかを押さえながら受験に挑んだ。


おなかの痛みが楽なやや前かがみの状態で答案用紙と格闘した。


国語、数学、英語,地理、物理,化学、を無事終えて


翌日、飛行機で長崎の自宅へ帰った。


 


帰ったその日に入院した。


そして翌日、虫垂炎の手術を受けた。


治るまでの時間を考えると


国立大学医学部の2期校受験には間に合わない。


2期校受験はあきらめた。


 


私はただ、結果を待つしかなかった。


 


退院した次の日に、通知が届いた。


おそるおそる電報をあける。


そっと開いてみたら


「サクラ、サク」と書いてあった。


父も母も、涙を流しながら「合格したばい。]と喜んだ。


 


私の受験番号は、11番だった。


競争率は11倍だった。


 


入学後に、旅館の人にお礼を言いに行った。


そのとき旅館の人から、教えてもらった。


 


「合格名簿に私の名前が一番最初に書いてあった」との事だった。


「11番」とは、「いい番号」だったのだ。


 


絶体絶命を乗り越えた気がした。


 


 高校時代の担任の先生に合格したとの報告に行ったら、


同じクラスの人も


東京のある私立大学医学部に合格した事を教えてくれた。


「彼は、お父さんが3000万円払っての入学だ。」と。


それを聞いたとき私は日本社会に矛盾を感じたものだ。


36年も前の話だ。


今なら3億円だろう。


その大学医学部は今もそのまま東京に存在している。


 













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